サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實*オモニム 「伝道師から弟子に」 1982.8

康夫人は,ベルベディアにおいて,証の後で,花束を贈呈される(写真)


私は,1952年に,ポムネッコルと呼ばれる釜山の小さい山で,アボニムにお会いしました.その時,私は,長老派教会(天幕教会)の伝道師で,神学校に通っていました.その神学校は,とても強く,正統派で,韓国が日本に占領されていた時も,日本の神様を拝むことを拒否しました.多くの人々が,日本の神様を拒否したため,投獄されました.私の通っていた神学校は,聖書の指示に厳密に従っていました.例えば,毎週日曜日には,車を運転しないし,教会から遠くへは行かず,高価な物を食べず,物の受け渡しはしませんでした.彼らの方法は,聖書に従ったとても狭いものでした.


ある日,一人の女性が,私の学校に来て,ポムネッコルという場所に,一人の青年が居て,とても変なことを教えていると言いました.私は,彼女の話の中で,その青年は,人間が堕落し,そして,救われるかについて,どのように教えているのか,とても興味がありました.その話を聞いた時,私は,「世界が終わる,終末があります.聖書によると,反キリストが現れると言われています.あなたがしていることを理解できないのなら,そこに行くべきでないし,何も聞くべきではないのです.行かないで下さい.」と,彼女に言いました.


このことが心配になり,私は,一週間の祈祷条件を立てました.神様に尋ねました.もし,それが神様の御心ならば,私をそこに行かせて,その青年に会わせて下さい.もし,御心でないのなら,私をそこに行かせないで下さい.ある雨の朝,1952.5.10に,教会で祈っていると,その日に,行って,青年に会いなさいという啓示を受けました.私の,そこへ行く,真の動機は,もし,彼の努力が誤っており,あるいは,彼のしていることが理解できないなら,私は行って,正しい方向を示し,教えなければならない.と思っていました.私は,試してみて,彼を伝道**しようと思っていました.


当時,私は生涯を神様とイエス様に捧げていました.私は,狂人のようでした.日々,3時間から4時間祈らなければならず,聖書を30ページ以上読み,3軒以上訪問していました.


しかし,一度その青年を探し始めてからは,たぶん,そこには二人の青年がいましたが,それが難しくなりました.私は,村の名前は知っていました.二人の青年が居て,自炊して,周りに女性が居ないことも.私が,そこに着いた時,多くの人達を止めて,聞きました.二人の青年が居て,自炊をして,変なことをしているかどうか,尋ねました.ついに,一人の女性が言いました.「丘をまっすぐ登ると,泉があり,そばに二人の青年がいます.また,家は普通ではないです.小屋です.乞食の家より酷いものです.」


とうとう,私は,泉とそこから流れる小川を見つけました.そして,そこで,手を洗いました.私は,中年の婦人を見ました.オク・ハルモニ(玉世賢,オクセヒョン)でした.今は,80代です.私達は,オク・ハルモニと呼んでいます.彼女は,私に,何処かで働いていますかと,聞きました.


「私は,働いていません.伝道師です.」と応えました.彼女の家に来ませんかと聞かれました.一緒にお祈りをした後,目を開けると,私達は,普通の家ではないところに居ることが分かりました.土と石で作られ,屋根から雨漏りがした跡が残っていました.床は,キャンバス(シート)の切れ端で覆われていました.実に,みすぼらしいものでした.このような家に住まなければならない人は,残された人生に,恨みを抱くだろうと思いました.


                                                       私の最初の出会い


しばらくして,一人の青年が入ってきました.私の第一印象では,彼は,工場か何処かで,重労働をしたように感じました.緑のズボンは,ボロボロで汚れていました.上着は,赤褐色で着古したものでした.靴下は汚れた軍足で,ゴム靴でした.私を見て,何処から来ましたかと聞きました.「私は,下の村のポムチョン(凡川)教会から来ました.」と応えました.


突然,彼は語りました.「神様は,7年前から,あなたをとても愛しておられます.」


そこで,私は考えました.「この7年間,私は何をしてきたのでしょうか.7年前に何があったでしょうか.」私は,自分が,生涯を神様に捧げると決意したのが,ちょうど7年前であったことを思い出しました.


アボニムは,言われました.「今日は,特別な日です.あなたが,ここに来たのは,とても幸運です.」(後に,私は,アボニムがその日に,原理原本を脱稿されたことを知りました).


アボニムは,神様が,多くの弟子と信者を与えて下さるという約束を,強く感じておられました.脱稿された時に,山に登られ,熱心に祈祷されました.


「天のお父様,あなたは,私が多くの素晴らしい人達に出会うことを約束されました.しかし,韓国に来てから,一人も会っていません.だから,どうか,お父様,私が原理を語ることのできる人を遣わして下さい.」


皆さんが,今学んでいる原理は,総序から始まり,創造原理,堕落論等々が続き,再臨論に至ります.しかし,アボニムは,私に,最初に,最後のところを語られました.メシアはどのように来られるか,雲に乗ってこられるのではありません.あなたや私のように,肉体を持って来られるのです.


アボニムから,メシアが韓国から来られるという結論を聴いた時,私は,「とても貧しく,多くの問題のある韓国にメシアが来られるという考えは,とても素晴らしいでしょう.さらに,メシアが私達と同様に,肉体を持ってこられるということは,とても幸運だと思います.でも,そのようなことは信じられません.」と言いました.


さらに,アボニムは,もっと信じられないようなことを言われました.「今は,韓国や韓国人についてよく知る人はいません.でも,いつの日か,韓国は山の頂上のように上がります.そして,多くの人達が,韓国人であれば良かったと願うでしょう.」


アボニムは,「1950年に,イエス様ご自身が,北朝鮮に現れた.」と言われました.(韓国動乱の時,一人のパイロットが,空で,イエス様をはっきり見たと証言しました.この現象は,韓国の新聞に,たくさんの記事が出ました.)


私にとっては,イエス様が北朝鮮に現れたことは,特別な意味があるに違いないと思いました.当時,アボニムは,あなた達の多くと同じような,32歳の青年でした.アボニムのお話は,決して変わりませんでした.その頃,彼は,私一人しか居なくても,とてもエネルギッシュに,熱意をもって,あのように大きな声で,数千の人達に語るかのように,語られました.私は,耳の遠い老人ではなかったのです.どうして,私達は,個人的に話せないのでしょうか.アボニムが,私にそのように強く語られることが,不安でした.


部屋は,とても狭く,二人にちょうど良い大きさでした.私は,壁にもたれて,アボニムと対面していました.彼は,強く語られ,いつも水を飲んでおられました.皆さんのようにカップは使わないで,瓶で直に飲んでいました.お顔を見上げると,目がランランと輝き,光を発しているのに驚きました.私の目がどうかしたのか,あるいは彼の目がどうかしたのかと疑いました.このエネルギッシュなお話の全てが,一つのトピック,つまり再臨です.休憩もなく,3時間続けられました.3時間の後,私は,家を出ようと思いました.しかし,アボニムは私に聞かれました.「特別ではありません.夕食を一緒にしませんか.」「私は行かなければなりません.」「私の教会は,丘の下です.私は,そこに行かなければなりません.」と私は,応えました.


しかし,彼は,私に留まるように強調されました.「彼は若い男性で,私は若い女性です.」と考えました.事実,30年前の韓国においては,クリスチャンの基準はとても厳しかったのです.そのような状況は,殆ど聞いたこともなかったのです.松の木の一人用の小さいテーブルに,夕食が出されました.お米は殆どなく,しかも,貧しい避難民達に政府が供与した,粗雑な脱穀米でした.さらに,時間がたって,酸っぱくなったキムチと豆腐しかありませんでした.夕食の食卓で,アボニムは私に,お祈りをしてほしいと言われました.でも,私は,お話を3時間も聞いた後で,お祈りをするのに自分の考えがまとまりませんでした.私は,漬かったキムチのように,すでに霊的に疲れ切っていました.その時,食事の前にお祈りを聴かないで,去っていたら,今,私は,ここにいないでしょう.統一教会の食口にもなっていなかったと思います.しかし,アボニムのお祈りは,とても感動する,涙のお祈りでした.「私は,あなたの御旨を果たしたいのです.」「私は,あなたの悲しみを解決したいのです.私は,あなたを慰めてあげたいのです.天のお父様,あなたは,あなたの御心を果たせる人をずっと探して来られました.私は,あなたの御旨を果たし,世界を救いたいのです.」


私は,そのお祈りに深く感動しました.当時,私はたくさん祈っていました.毎日,4時間,5時間以上,国の大統領のために,指導者達のために,北朝鮮の人々のために,韓国の人達のために,貧しい人達のために,不幸な人々のために,祈りました.百名以上の私の信徒の名前をあげて,祈っていました.でも,私の祈祷の動機と内容は,アボニムのそれとは違っていました.私は,「天のお父様,これをお与え下さい.それを助けて下さい.私に全てを下さい.」と祈っていました.しかし,アボニムは「私が,全てを成します.心配しないで下さい.」と祈られました.アボニムは神様の御心を慰めることに集中されていました.私は,とても感銘を受けました.


夕食の後で,私は,「それは,あなたが私に語る全てですか.」と尋ねました.


「もし,私が本当にあなたに語りたいなら,数日間昼夜,要するでしょう.」「私の語る内容は,新しいことです.」と応えられました.


「では,私はまた来なければなりません.」と言いました.


アボニムは,「この部屋はみすぼらしく,不快であっても,私はこのドアを全人類のために開けています.多くの人達が,道を失い,何をすべきか分からなくなっているのを知っています.多くの人達が,苦しんでいます.私達は,彼らを助けなければなりません.だから,私は24時間,ドアを開けています.」と応えられました.


夕食の後,もう暗くなっていたので,アボニムは,私の教会まで送って下さいました.「いつでも,戻れるのですか.」と聞きました.


「もちろん,私のドアはいつも開いています.いつでも,来て下さい.」


私は,私をいつでも迎えるという彼は,どういう人かと疑いました.変だと思いました.忙しかったので,私は,次の日には行けませんでした.しかし,私の性格は,何かを始めると,最後まで見ないと気が済まないのです.次の木曜日に私は,戻ることにしました.


                                                       私の二回目の出会い


まだ,私が,離れた所にいるのに,アボニムはドアのところに立って,私を待っておられました.とても幸せそうに,私を喜んで,迎えて下さいました.


「一度お会いしただけで,3時間話しただけです.」と私は考えました.「どうして,そんなに幸せなのでしょうか.」極端だと感じました.


どうして,たった3時間だけ話した人であっても,アボニムが再会することをとても心配された理由を,後で知りました.後に,語られました.「神様を知らない人や神様から離れた人を見ると,私は,彼らが亡くなった後,何処へ行くのかを考えます.」だから,アボニムは,路上で会った人でも,会う人に真剣になるのです.人に会って,彼らを抱き,原理を教えるのに,いつも狂ったようです.


二日目に,私は,創造原理を聴きました.私は,クリスチャン家庭に生まれ,聖書はとてもよく知っていました.アボニムが説明された,主体と対象,プラスとマイナスは,全て論理的でした.私には,分かるところと分からないところがありました.でも,一つだけはっきりしていました.アボニムは,絶対的な確信をもって語られたことです.殆どの人は,一時的ですが,アボニムは確信に満ちておられました.


次の日,私は来て,もっとお話しを聞きました.そして,三日目まで続けて,私は,すっかり,アボニムと統合しました.アボニムは,夕食後,6時か7時頃,講義を始められました.たぶん,3時間ぐらい聞いて,アボニムが少し休憩をされました.時間を見ると,既に,朝の3:45でした.私は,毎朝4時の祈祷会を指導しなければなりませんでした.私は,心配になりましたが,アボニムは,「心配しないで,さらに15分いて下さい.私が,そこに行くのを助けます.」と言われました.


私は,いつも,その祈祷会のために,長時間準備していましたが,その日は,準備する時間がありませんでした.ただ,歩いて行き,語り始めました.でも,私が語った言葉は,とても霊性に満たされ,その効果は想像できないぐらいでした.人々は,胸を叩いて,悔い改め始めました.何が起こったのか,どうして,かくも多くの祝福が注がれたのか,分かりませんでした.多くの人が尋ねました.「あなたは,徹夜で祈祷しましたか.何が起こったのですか.」そして,アボニムに語り,どうして多くの啓示があったのかを尋ねました.


「私は,あなたが,そのように素晴らしい啓示を受けるように祈りました.それが,理由に違いないです.」


私は,アボニムのお話をもっと聞くために,戻りたいと熱望しました.でも,私は,信徒達への責任で,スケジュールは一杯でした.ある日,私と共に教会の長老が,アボニムの家の近くの家を訪ねました.私は,「丘の上にいる青年を知っています.」「彼は,とてもハンサムで,聖書をよく知っています.この青年は,教会に行っていません.私は,彼に証し,教会に連れて来ることを試みたいのです.だから,私をそこに行かせて下さい.」と言いました.


私は,20分も居られませんでしたが,アボニムは,とても幸せそうに,私を迎え入れて下さいました.


「私は,長くは居られません.」と繰り返しました.私は,長い間,お答えを逡巡していました.アボニムが教えて下さる最終結論です.


「あなたは,答えを知りたくないですか.」「原理が神様から来たものか,それとも,人間から来たものかについて,知りたくないですか.あなたは,答えを得るべきです.」


「でも,どうすれば,私は答えを得られますか.」と反論しました.


「神様はあなたをとても愛しておられます.」「神様が答えを下さるでしょう.」と応えられました.


そこで,私は,ひらめきました.もし,アボニムが「これは,原理です.神様のみ言であり,あなたは,受け入れなければなりません.そうしなければ,あなたは,懲らしめられて,地獄に行きます.」とおっしゃれば,私は二度と戻らなかったでしょう.でも,アボニムは「神様に,尋ねなさい.そうすれば,答えて下さるでしょう.」とおっしゃいました.


「それは正しい.私は,神様に尋ねなければならない.」と考えました.


早朝4時に,回答のために祈祷を始めました.多くの考えが,私の頭を素通りしました.「あの青年の教えは,とても素晴らしい.多くの素晴らしい学者や教授が,偉大な理論を開発しましたが,このような真理は,決して見出していません.」また,アボニムから,多くの素晴らしい約束を聴きました.「近い将来,理想世界が来ます.世界中の人々が,全て一つの家族になります.韓国人,日本人,西洋人が,全て一つの家族になります.他の国に行っても,あなたは何も必要ありません.なぜなら,彼らと一緒にいられるからです.彼らは,全員あなたの家族です.」


                                                         私の闘いが始まる


しかし,私は全ては理解できませんでした.そして,いくつかの疑念が生じました.そのような姿勢で,祈っても,何かが私をブロックしました.頭痛が始まり,胸が痛くなりました.それで,私は,天のお父様に尋ねました.「私は,過ちをしましたか.私に何が起こったのですか.私が,心を開いて,あなたと対話できるように,助けて下さい.」そこで,私は,地獄とは何かが分かりました.地獄は,ある特定の場所ではありません.神様との対話ができないことです.神様と離れたことを感じるのが,地獄です.


私は祈りました.「天のお父様,あなたは,私から全てを取り去っても結構です.しかし,あなたと私の関係だけは,取り去らないで下さい.私は心の中で,あなたと関わりたいのです.どうか,その関係を復帰して下さい.」


そのような混乱と共に三日間の闘いを経て,私は,何か希望が湧いてくるのを感じました.そして,私はヨハネ4:20を思い出しました.「『神を愛している』と言いながら,兄弟を憎む者がいれば,それは偽り者です.目に見える兄弟を愛さない者は,目に見えない神を愛することができません.」肉体を持って,あなたと共にいる人を信じられなければ,見えない神様をどうして信じられますか.聖句を考えながら,私は,悔い改めました.そして,神様と対話するドアが,実際に開きました.


その祈祷の後,私は,悔い改めて,神様への心を開きました.そして,すぐに,アボニムのところに行って,会いたいという衝動にかられました.



1958年,釜山における統一教会の食口達(写真)


アボニムは,すぐにドアを開けて下さいました.「どうして,何日か来なかったのですか.」と聞かれました.私の霊を見て,黒焦げの木のようであると分かりました.アボニムは,「ああ,この女性はとても傷つき,混乱しました.」と感じられたに違いありません.アボニムは,私の状況を心配されました.


私は,アボニムに抗議しました.「あなたを知る前は,原理を聴く前は,何も問題はなかったのです.全てが順調でした.しかし,今私は,痛みと頭痛があります.私の心はいつも,混乱しています.そして,問題だらけです.私は,多くの時間を失いました.ここに,度々来なければならなかったからです.あなたは,これらのすべてを復帰しなければなりません.」


「私は,この瞬間,逃げ出すべきです.」と考えました.「私が来た時は,いつもアボニムは,私を立たせなければならなかった.」何度も,私は,神様の(創造)理想について疑いました.


そこで,アボニムは動揺されて,不機嫌になられました.彼は立ち去り,神様にお祈りを始めました.そして,玉ハルモニが,アボニムの説明を始められました.「あの青年はとてもユニークです.神様のために多くのことができます.」アボニムを称賛しつつ,「私は,神様の声を聴き,神様からの啓示を受けました.」


「啓示は何でしたか.」「神様の声は何でしたか.」と繰り返しました.


「神様の声は,男性の声でした.」


私は,ひらめき,神様の声を聴きたいと思いました.「今度,あなたが,神様の声を聴いたら」「私を呼んで下さい.そして,一緒に聴きましょう.」


この婦人は言いました.「だめです.それはできません.あなたは,霊的にのみ聴けるのです.」「では,私はどのようにすればできますか.」「あなたの心が純粋でなければなりません.」「あなたは,自己中心的な視点を持ったり,自分のことだけを考えてはいけません.神様の前に,自分を完全に忘れるのです.」と彼女は話してくれました.


私は,祈祷を始めましたが,結果は出ませんでした.ある日,教会で祈っていると,突然,エレミア29:13を思い出しました.「私を尋ね求めるならば,見出し,心を尽くして私を求めるなら,私に出会うであろう.」また他の引用は,フィリピ3:20が浮かびました.「私達の本国(公民権)は天にあります.そこから,主イエス・キリストが救い主として来られるのを,私達は待っています.」私は,その声を三度聞きました.


私は,ひらめいて,アボニムに会いに行って,アボニムに告げました.「私は,神様から啓示を頂きました.」


「どんな啓示ですか.」


「私の公民権は天にあることを学びました.私が探しているものを頂き,そして,キリストが既に,ここにいらっしゃる.」と応えました.


そして,アボニムは冗談めいて,言われました.「たぶん,あなたは狂っている.」


「私は,実際に,真のクリスチャンになりたいのです.」「私は,献身するクリスチャンになりたいのです.私には,自己中心の動機はありません.もし,私が狂っているのなら,何ですか.」


「心配しなくて良いです.」アボニムは言われました.「あなたが,神様と真理に対して狂ったなら,悪いことは何も起こりません.」啓示とアボニムのお話は,とても素晴らしいのですが,現実は,あまりにも難しいのです.他の教会には,多くの人達が来て,多くの外的なひらめきに富んでいました.しかし,この教会には,アボニムと金元弼氏,玉ハルモ二と時々,厳(徳紋,オムドンムン)氏が居ただけです.それが,全員でした.私は,何の教会かと信じられませんでした.現実を許容できませんでした.そして,行くことを辞めようと考えました.


一日辞めて,そうしました.アボニムにお会いする道すがら,私は,立ち止まり,木を抱いて,アボニムにお別れをする決意を固めました.


私が行くと,アボニムはいつも,喜んで下さいました.しかし,その日は違っていました.外で,私を笑顔で迎えてくれませんでした.私に会ってもくれませんでした.「私は,部屋に入って,言うべきことがあります.」と感じました.「どうしたの.」とアボニムに聞かれました.「何を考えていますか.」「何もありません.」と私は応えました.


「では,私が,あなたに言うことがあります.」「あなたは,もうこの教会に来ないと決めましたね.ここに来る途中,松の木のそばで立ち止まり,辞める決意を固めましたね.」とアボニムは言われました.


「この人は,特別な人だ.」と考え込みました.彼は,私の生涯をご存知ではないかと思いました.そして,不安になりました.


アボニムは,私に,数時間訴え,懇願されました.「私も,この難しい道を歩みたくない.しかし,神様が私にこの使命を下さいました.そして,私にしてほしいと頼まれました.もし,誰か他の人が,この使命を受けて,果たすのなら,私は,彼に全てを譲ります.でも,私には選択の余地はありません.私がしなければならないのです.」涙を流して,アボニムは神様のご事情を話されました.彼がこのことを言われた時,私の心は完全に同化されました.


他の日に,私は,アボニムのお部屋を訪ねました.あまりにも狭く,2,3人がやっとでした.多くのものが床に散らかっていました.きれいではなかったです.天国のようではなかったです.彼らは,天国や理想世界を語っていましたが,家と部屋の状態は,理解できませんでした.


アボニムは,素敵な座布団を下さいました.そして,それがどういう由来のものか説明して下さいました.日本に留学していた時以来のお友達がいらして,それが,厳(オム)氏です.厳氏はスーツを一着だけ持っていました.そのスーツをアボニムに差し上げました.アボニムは,労働者の作業服を着ていました.黒い制服で,汚れが目立たないものでしたが,何日も着古したものでした.アボニムが難民として,釜山に到着した時,厳氏は,アボニムに,このスーツと座布団を差し上げました.「私は,厳氏の贈り物を決して,忘れられません.そして,いつも彼に感謝しています.」とアボニムは締めくくりました.


「でも,彼らは,このような環境で,どうやって,天国と理想世界を建てられるのでしようか.」私は自問しました.お金をたくさん稼がないのでしょうか.そして,外的に素晴らしい環境を作らないのでしょうか.私は,分かりませんでした.そして,再び,疑念が生じました.


私が彼らの状況を見たとき,私は,明らかに,意気消沈しました.彼らは,乞食のように生活し,他の難民よりも悪い状態だし,私は,全体の状況を許容できませんでした.


そこで,アボニムは聞かれました.「聖書を開いて,聖句を読みましょうか.」私は,マタイ14章(31節)を開きました.「大きな声で読みなさい.」と言われました.


「信仰の薄い者よ,なぜ疑ったのか.」と拝読しました.


「それは,あなたのことを言っています.」「それは,神様のメッセージです.」とアボニムは言われました.(このことは,3回ありました.いつも,メッセージは殆ど同じでした.)


彼は,キリスト教の統一について,語られました.全ての教派はどうしたら,統一されるか.私は,そのような考えが信じられませんでした.多くの学者が素晴らしい理論を提示しましたが,まだ,人々は一つにはなっていません.アボニムは立派な家さえもお持ちではないのです.乞食の家のようです.私は,そんなことは不可能だと思いました.「待っていなさい.」「時は,来ます.」とアボニムは強調されました.「キリスト教のみならず,世界中の全ての宗教が統一されます.」


そこで,私はもっと疑念が深まりました.「あなたは,数人の人も一つにできていません.」と私は考えました.「キリスト教の統一は余りにも難しいし,あなたは,どうやって全宗教を統一できますか.」


「近い将来のいつの日か,全天宙が一つに統一されます.」私は,天宙の統一など聞いたことがありませんでした.


「天と地が統一されます.全天地が統一される日が来ます.韓国人のみならず,米国人も,西洋人も来て,原理を聞くようになります.」


私は,とても変に思いました.なぜなら,私に限っても,アボニムが私に語られてから,多くのトラブルが生じました.どうしたら,そんなことができますか.


ある日また,私は口論を始めました.私は,聖書から見て,原理を議論する必要があると感じました.原理の教えである40日,40年,4000年を持ち出しました.「神様は,どうして何かを39日でなされなかったのでしょうか.」私は,議論しました.私は,否定的な態度でした.


ある日,私の神学校の近くを通りました.二人の若者が,犬のように,喧嘩をしていました.私は祈りました.「天のお父様,どのようにして,あなたは天国を創られますか.それは,単なる理想です.実現できません.どうすれば,あなたは,この人たちの心を変えられますか.」神様にそのような疑いを抱いて,二人の若者が喧嘩を止めた後で,私はそこを去ろうと思いましたが,私は,一歩も動けなくなりました.前にも後ろにも,右にも左にも.心は動いても,体は動きませんでした.そこでも祈りました.「私は,心が何度も変わったことを知っています.天のお父様.なぜ,私はいつもこうなのでしょうか.私をお助け下さい.」私は,悔い改めました.そして,全てが解かれ,私は動けるようになりました.


私は,このことをアボニムには,すぐ説明しませんでした.でも,数日後に,私は告げました.「どうして,私はこの運動から抜けられないのでしょうか.私は,いつも試みました.でも,そうはなりませんでした.」現実は,とても難しいので,私は,教会から離れようとしましたが,神様は,私をいつも留めました.


ついに,私は,神様に正解を下さるように祈ることを決意しました.「天のお父様,私は何ができますか.」私は,懇願しました.「あなたは,誰を最も愛しておられますか.あなたを最も愛する道は何ですか.」どうかお応え下さい.


神様が私に下さった回答は,「この統一教会の運動は,まさに,2000年前の状況と似ています.イエス様の弟子達は,従い,一緒に働きました.アボニムの使命は,イエス様の未完成の使命を果たすことです.あなたは,アボニムを助けなければなりません.彼に従って,サポートしなければなりません.」それが,神様の最終回答でした.それで,私は,好むと好まざるに関わらず,従うことを決めました.


                                                         私は伝道を始める


そう決意した後,私は,伝道を始めました.今まで,28年間続けました.「あなたは,誰かに会いに行って,伝道をして下さい.」とアボニムは,私に教えて下さいました.


「私は,伝道ができません.」と訴えました.「私は,原理の話し方を知りません.聖書で伝道することは容易ですが,これはとても難しいです.」


「何でも,唯,語ることです.」アボニムは応えました.


翌朝,私の教会の祈祷会において,私は,誰かに語り始めました.私は,教会全体に責任を持っている女性伝道師に会いました.そして,彼女に語り始めました.「これらは,終末です.世界の終わりです.私達は,世界の終わりには,メシアが来られることを,聖書から知っています.私達は,メシアがどこに来られ,どのように来られるかを,神様に祈る必要があります.これらの疑問への回答を頂くために,今夜,神様に祈りましょう.」その女性は,そのようなお祈りに同意しました.


この女性は,本当に熱心な祈祷者でした.彼女は,三つの光の玉の光景を見ました.「これは,どういうことでしょうか.」彼女は尋ねました.彼女は次に,韓国の国花である木槿(むくげ)を三つ見ました.「どういう意味でしょうか.」彼女は再度尋ねました.「光が韓国に来ました.」と私は応えました.


彼女は,三度目に,イエス様のお顔を見ました.「そして,これはどういう意味ですか.」「イエス様は,韓国に来られるのです.」と応えました.


「一度だけの祈りではだめです.」と私は加えました.「もう一度,祈らなければなりません.もう一度,神様の正しい回答を頂くために.」彼女は,熱心に尋ねました.そして,彼女は山の光景を見ました.小さい避難民の小屋がありました.最後に,素敵なハンサムな青年を見ました.「私は,お祈りで,このようなものを期待しませんでした.」「私は,それが何なのかさっぱり分かりません.」と彼女は言いました.


そして,私は彼女を連れて,アボニムに会いに行きました.丘にさしかかった時,彼女は言いました.「これは,驚きです.これは,私が見た丘と同じです.」近づくと,彼女は説明しました.「同じ光景を,どうして私は見たのでしょうか.」アボニムは,声を聴かれ,来られて,ドアを開けました.実際,ドアは,立って入るには,小さすぎました.中に入るのに,かがまなければなりませんでした.


「私は,この人を見ました.」と彼女は繰り返しました.


「どのようにして,ここに来ましたか.」アボニムは尋ねました.


「私は,三つの光景を見ました.」彼女は応え,それらを描写しました.


「それらの光景は,あなたのためではありません.」「それらは,康さんのためです.なぜならば,全てを信じることは,彼女には,とても難しいからです.光景を通して,彼女が信じたでしょう.それが,光景のあらわれた理由です.」とアボニムは言われました.(彼女は繋がり,後に,よく冗談で言いました.『私はあなたの霊の娘ではありません.あなたが私の娘です.なぜなら,私の見た光景を通して,あなたが,信仰を確立したからです.』)


私は,振り返って,何度も疑念や不信がありました.しかし,神様は,いつも分かるように助けて下さいました.私は,多くの人を導きました.そして,皆同じトラブルに遭遇しました.不信が募り,時に離れました.しかし,私は,いまここに居ます.それは,神様が私をとても愛して下さったからです.私が分かるように助けて下さり,霊的に支えて下さったからです.


経験したもう一つの伝道で,終わりにしたいと思います.私は,アボニムに,神学校の創立者が,特別復興集会を開催することを話しました.集会を告げるポスターがどこにでもありました.「どうぞ,行って,伝道して下さい.」とアボニムは勧めました.


「いいえ,それはできません.」「彼は,偉い先生です.どのように,私が伝道できますか.」と訴えました.


その会長は,私の出身でしたから,とても好意的でした.彼と私の父は,日本の統治時代に,同じ刑務所に居ました.日本の神様に敬礼をしなかったから,投獄されました.刑務所における拷問が元で,私の父は亡くなりました.だから,この会長は私をとても愛してして下さいました.復興会の後,夜に,私は会長のところを訪ね,語りました.「私は,お話がしたいです.」


彼は,私に会って,とても喜ばれました.私は,会長が私に会って,喜ばれたことを神様に感謝しました.「私は,聖書を深く知り,素晴らしい真理を教える青年に会いました.」と始めました.そして,私に何が起こったかを語りました.疑ったときに,私は動けなくなりました.そして,多くの奇跡が起こりました.彼に,私と同行してほしいと懇願しました.そして,彼は私にガイダンスをしてくれました.


私が,全部説明した後で,彼は応えました.「あなたは,もう信じるのに十分なことを知っています.私達の長老派教会で,イエス様のみに従いましょう.他のところに行く必要はありません.あなたが,どこかを探しても,何かが間違っており,あなたは地獄に行くでしょう.あなたは,気がふれるでしょう.あなたは,頭が良いから,どうか行かないで下さい.」


私は,彼を伝道しようとしましたが,彼は私を攻撃しました.私は,とても落胆し,傷ついたので,アボニムのところに戻ってお会いする気がなくなりました.私は,学友達と夜を過ごしました.私が,アボニムのところを訪ねると,力がなかったです.体がとても重くなり,私は動けないようでした.またしても,疑念が湧きました.会長は,このように偉い先生でしたから,私に,他の所には行かないように言われました.ただ,私の教会に居て,イエス様を信じるように.


私が,ドアを開けると,アボニムは,その会長と何があったのかを聞かれました.


「私は,神様の助けと霊界の協助を願いました.素晴らしいことが起こると期待しました.私は,彼がいらして,あなたに敬礼することを願いました.でも,そのようなことは起こりませんでした.私は落胆しました.今,私は何ができますか.」


「彼もまた,神様の子です.」「いつか,どうにかして,彼も真理を受け入れるでしょう.もし,生きている内に,理解できなければ,亡くなってから,真理を受け入れるのです.心配しないで下さい.」


アボニムのおっしゃったことが,私には悲しく,玉ハルモ二にも悲しかったです.「讃美歌を歌いましょう.」とアボニムが示唆されました.私たちは,大体このような意味の,讃美歌を賛美しました.「私達の道が,どんなに険しくとも,岩だらけの山でも,神様に出会えば,私達は祝福されます.」私達が,賛美した時,涙が流れ,私達は完全に一体化しました.


歌が終わると,アボニムは,私と玉ハルモ二の手を取って,お祈りを始められました.お祈りを聴くと,再び私は,感動しました.彼は,反対していても,韓国の教会と韓国人のために祈りました.彼は,神様に,み旨を果たすことを約束されました.天のお父様を本当に慰めて,信じて下さるようにお願いしました.「私は,あなたのみ旨を果たします.」と天のお父様に約束されました.


「神様は,この方を本当に愛しているに違いない.」と私は感じました.「涙には偽りがない.このような熱心な祈り故に,神様は彼を愛しているに違いない.」このお祈りに感動し,私は復活しました.


外的な状況を見て,それが不十分と感じても,皆さんは,アボニムの涙を思い出し,アボニムのお祈りを思い出し,アボニムの全献身を思い出すように,願います.私は,皆さんがこのことを深く理解されるよう期待します.


私は,皆さんの道が簡単ではなく,皆さんが多くの困難と問題に遭遇することを知っています.でも,私は皆さんに,アボニムの苦難と痛み,神様への投入と全献身を理解してほしいです.私達は,アボニムの基盤によって,上げられました.困難に遭遇して,もう進めないと感じても,アボニムの道を振り返えれば,何事も克服できるでしょう.


私達は,アボニムに従わなければなりません.彼は全生涯,血と汗と涙を私達のために,投入されました.私達は,真の父母様の息子娘です.私達は,生涯を,真の父母様と天のお父様に投入しなければなりません.私達は,全て努力しても,まだ,もっとしなければならないと感じるべきです.この地上界で終わらないで下さい.永遠の世界において,私達はアボニムと一緒に働くのです.全員で一緒に,真の父母様と天のお父様の最終勝利に向かって歩みましょう.


出典: https://tparents.org/Library/Unification/Talks2/Kang/Kang-820800.htm  
   as published in Today’s World, August 1982, p.16


<訳者注>
*本稿では,全て康賢實と記します.
**witnessは普通「証,信仰告白」と訳されていますが,本稿では,「伝道する」と訳しました.



<鷹の目>
康オモニムがアボニムから直接伝道された証を拝読し,感動の連続でした.また,82年頃を振り返り,康オモニムでさえも,何度も疑念や不信を抱かれていたことを聴き,内心ほっとしました.


伝道されて,原理を聴いて,感動の産声をあげたときのことは,生涯忘れられません.これは,食口の共通事項と思います.証をする時も,ほとんどの人が,伝道された頃の証をします.


心の弱い私達は,内外の状況の厳しさのために,時に,使命や義務を放棄しかねません.しかし,私達は,程度の差はあっても,必ず,アボニムに愛されてきました.真の愛で愛された思い出が,私達の信仰の原動力となっていることは,間違いありません.苦しい時に,アボニムの歩まれた道を振り返ると,感動し,涙が溢れ,そして再び力が湧いて来ます.私達は,その実感を是非後孫に伝えたいものです.

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