サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「私達は何処に居ても,神様の息子娘の心情は変わりません」



2017.11.15


サタンを帰順させましょう.私達が勝利の歌を歌える日まで,サタンに対する闘いに勝利しましょう.人々が統一教会に来ましたが,多くの家庭が10,20,或いは30年後には,去りました.この集会にいる私達は,永遠の霊界に住むまで,続けるように結束しましょう.私達は,一緒に残るべきです.皆さんは苦難に遭遇し,精誠の献身をしました.皆さんが途中で落ちるのなら,役に立ちません.よって,神様の不変の御心情で,私達は最後まで落ちることなく残らなければなりません,そうでなければ,私達の業績は,一日で水疱に帰します(康オモニム).


おはようございます.韓国語の礼拝の時間です.私の体調は余り良くありません.最初は,私は立って話したかったのですが,座る必要があります.体の多くの箇所に痛みがあり,よく歩けません.そして,私の普通でない状態から,私は,妍雅ニムが韓国語の礼拝に責任を持って下さる恩恵を頂けると思いましたが,彼女は出来ませんでした.皆さんは,年齢に対しては,本当にどうする事も出来ません.私は,90歳を越えました.私が思うようにすることは容易ではありません.私は,これらのノートを持ち歩いています.


最初に,聖句を聞いて下さい.


「主の目は全地を行き巡り,心が主と一つである者達に御力を示す.このことについて,あなたは愚かなことをした.今後,あなたには戦争が続く.」…歴代誌下16:9


私達は,主の目が全地を行き巡ることを読みました.よって,神様は,心が彼と一つである者達に御力を与えて下さいます.


「私を強めて下さる方のお陰で,私には全てが可能です.」…フィリピ4:13


皆さんが,旧約聖書と新約聖書のこれらの聖句を聞く時,「私達は,それが達成できるだろうか」と疑うかも知れません.しかし,聖書は,私達が徹底的に成功できることを示しています.


歴代16:9によれば,神様は,目を全地に行き巡らせ,その御力を,心が彼の方を向いている人達に下さいます.私達に,ほんの少しの信仰があれば,私達の思い付きに従って,これやあれを何時もします.しかし,私達が深い心情で神様に対する時,骨髄と心から衝動が起こり,神様に栄光を返そうとします.私達は,自分達が神様の息子娘であることを知っています.神様は,私達を彼の息子娘として抱いて下さいます.皆さんはその確信がある筈です.私達が神様の中にある時,彼にはそのような御力があり,全てが達成されます.全てが実ります.


次にエレミヤ29:13には,「私を探し求めるならば見出し,心を尽くして私を尋ね求めるならば,私は見出される.」とあります.神様は,皆さんが彼に出会うように導かれます.そして,私は,この礼拝の時,皆さんが正しく神様に出会うことを切に願います.私達は,全霊を注がなければなりません.神様の御旨を達成するためには,私達は,精誠と献身をもつて最大限しなければなりません.私達が心を尽くして神様を求める時,彼に出会う事が出来ます.そして,今朝は神様と出会う時です.また,神様が私達を息子娘と認める貴重な時でもあります.


私達は皆,神様と出会う事を願っています.どうすれば,神様と出会えるでしょうか.どのようにすれば,私は神様の息子娘になれますか.信仰生活において,私達はこのことを期待し続けて来ました.そして,私達は何をすべきでしょうか.私達は,心を尽くして活動しなければなりません.心を尽くして信仰すべきです.私達は,全霊を注いで実践しなければなりません.私達が心を尽くして神様を求める時,私達は彼に出会うことができるでしょう.


エレミヤ29:13は,そのように言っています.私達は,信仰の道を歩んできましたが,神様の御声を聞き,神様に出会う事は経験していません.小さいグループが今朝,ここに来ました.深い心情で神様を求めるために,私達が心を尽くす時,私達の父は会うために来られます.そして,男子は彼の息子に,女子は娘になります.よって,この礼拝は,神様の息子娘となるための貴重な時間です.


「心を尽くして」とは,皆さんの全ての理性と感情を献げることを意味します.50%や60%では働きません.私達の信仰は,絶対に100%,1000%でなければなりません.皆さんの信仰に対応して,神様が来られ,「あなたは私の息子です,あなたは私の娘です.」と言われながら,皆さんを認めて下さいます.大統領に認められる事は重要かも知れませんが,もっとも幸せな体験は,神様が皆さんを,息子娘と認めて下さる時です.


よって,私達は,今日,この事を考えなければなりません.皆さんは,皆さんが神様の息子娘であると言われる神様の声を既に聞きましたか.皆さんは,王の子供,大統領の子供,或いは億万長者の子供かも知れませんが,更に,もっと欲しくありませんか.私達の真の神様は,生きた神様です.天宙の万物の創造主は,私達の父です.私達は,神様の息子娘であるという信仰と確信が必要です.その後,神様が皆さんの所に来られ,彼の認定を下さいます.問題は,私達がそれを確信していない事です.私達が,本然の位置を復帰すれば,今日の礼拝が,至福の一つとなるでしょう.神様は,私達が子女であることを一時的に認めるのではありません.彼の創造は永遠です.よって,神様が一度,私達を息子娘であるとシールすれば,私達は,彼の大切な子女として生きることが出来ます.


私達は,彼の息子娘であるというシールを貰いましたか,それとも,自分達の道を唯,生きて来たのですか.一度,神様が,息子娘としてのシールを下されば,私達は,永遠に霊界,死後の世界において彼の子女となります.「これらの息子娘達は,私のものです.彼らは,私の側にいます.」私達は,このように認められているのに,私達は,しばしばそれを忘れています.だから,私達は自問しなければなりません.「私が,統一教会に入ってから,数十年が経ちました.私は,神様の息子娘としての信仰の道を,本当に歩んで来たでしょうか.」私達は,このことをもう一度考え直す必要があります.


今,私達は高齢になっています,私がここでは,最年長です.「天のお父様,どうか私の心の中にいらして下さい.私を,あなたの中に住まわせて下さい.どうかアボニムが私の心の中にいらっしゃるようにして下さい,そうすれば,私はあなたの息子娘として,十分自信を持てるでしょう.」私達は,そのような心を持つべきですが,度々,それを忘れて,唯生きています.私達が,神様の息子娘として生きられなかったから,サタンが私達を彼の子供として愛するような事を沢山しました.そして,私達はそのようなことを考えないで,ただ生きて来たので,今朝は,神様の前に,本当に悔改めなければなりません.


本来,私は,天のお父様の中に生きるべきで,いつも神様と共にあるべきでした.更に,統一の真の理想を果たすために,アボニムは,いつも私の中にいらっしゃる必要があります.私は,何処に行っても,アボニムの真の息子娘であるべきです.私達が,これを自信を持って語る時,私達は,天国に入る事が認定されます.


天国に入る為には,多くの条件が要求されます.誰でも入れるというのは,本当ではありません.神様が本当に要求される事は何でしょうか.神様は,皆さんに,彼の承認を持つことを要求されます.最初に,サタンが私達に,彼の承認を与えるべきです.「ああ,彼は何処に行っても,神様の息子です.この息子または娘は私由来ではありません.」私達は,そのようにならなければなりません.しかし,私達は,そのような承認を貰って生きていますか.それは,深刻な問題です.そして,私がこの聖句を選んだ理由です.


歴代誌下16:9には,「主の目は全地を行き巡り,心が主と一つである者達に御力を示す.」神様が私達に能力を下されば,私達は何でも出来ます,不可能なことはありません.皆さんが,今も神様の全能の人格の中に住んでいれば,皆さんは何でも出来ます.私達の肉身生活は短く,約100年ですが,私達は自身の人生のコースを有効に歩む事ができます.しかし,何度も私達は,願われた道を歩めませんでした,私達も頻繁に,自分達を中心に生きて来ました.私達がそのように不注意に生きているので,神様は私達の所に来られません.特に,私達は謙虚であるべきです.私達の性格には,多くの欠点があります.「天のお父様,どうか私の多くの欠点をお許し下さい.」皆さんが,このような信仰を持つ時,神様は贖罪をして下さいます.


しかし,皆さんは何も考えないで,唯,自分中心の気まぐれに生きています.私達は,全てを積極的に受けて,私達が望むことではなく,神様のみ旨を中心に生きなければなりません.皆さんの中には,60,70,80歳を越えた人も居るでしょう.皆さんは,信仰生活の為に,皆さんの欠点が贖われる必要があると思いませんか.


神様の息子娘になる為の秘密は,皆さんがサタンを屈服させる処にあります.私達は,いつもサタンと闘っていますが,この事実を知りません.私は,サタンと闘いますか.私は誰と闘っていますか.人々はこの事を知りません.何が必須ですか.私達の信仰生活は,サタンに勝つことの一つであるべきです.ヤコブは,何故「イスラエル」の名を受けましたか.ヤコブはサタンを屈服させたからです.長子権と神様の血統は,ヤコブにはとても重要でしたから,彼は,パンとレンズ豆で,エソウから生得権(相続権)を買い取りました.彼の弟が祝福を奪ったので,エソウは彼を殺したかったのです.よって,ヤコブは,母の兄,ラバンの処へ逃げました.そして,そこで僕として21年間生きました.これが,ヤコブの路程です.多くの苦難に直面しても,彼は,自身をサタンから分立出来ました.そして,神様のみ旨に絶対的に服従しました.私達が,ヤコブのハランに於ける21年の路程を辿れば,彼は誰も出来なかった事を果たした事が分かります.それが,彼が「イスラエル」の名を受けた理由です.


ヤコブは,一代の復帰を達成しました.一代をサタン側から神側に移しました.モーセは,イスラエルを民として復帰しました.彼らをサタン側から神側に移しました.そして,イエス様は,世界を復帰する使命を持っておられました.ヤコブ,モーセ,イエス様は,どのような生涯を先導しましたか.それは,各々が,全ての理性と感情を神様に献げた生涯路程でした.皆さんが,全ての理性と感情を神様に献げるような人生を生きていれば,些細な事から重要な事まで,神様はあなたの処に来られます.皆さんが,幾ら払ったかではありません,皆さんの考え方が問題です.全ての理性と感情で神様を求めているかどうかです.皆さんの理性と感情が神様を中心としているなら,神様は皆さんの処に来られて,一緒に住まわれます.


神様の息子娘となる秘密は,サタンに勝つ人生を生きる事です.私達の人生は,サタンに負けるのではなく,サタンへの勝利の一つであるべきです.つまり,私達は,サタンを屈服させなければなりません.サタンは,私の前に来て,認めるべきです.「私が間違っていました.」サタンが自然屈服するのに十分な資格を得た時,私達は,残った人生を,誰も理解できないような立場で生きられます.そして,まだ,私達は全てに勝利していません.21年の路程を開拓して,ヤコブは愛する両親や自然環境の家に帰りました.神様は,彼に天使と相撲をとらせました.彼は,その闘いにとても真剣でした,それは単純な闘いでは無かったので,彼は命を掛けました.


私が日本に居た時の証しがあります.日本には,経済的な責任がありましたから,多くの困難がありました.アボニムが一度,責任者に尋ねました「あなたは,目標を立てましたか.」当時,黄ファンチェ師が日本の責任者でした.彼は応えました「アボニム,日本の状況はとても厳しいので,目標を達成する事は,実際とても厳しいです.」アボニムは,響き渡る声で彼に叫びました「日本の状況を誰も知らないと,誰が言いましたか.先生も状況は知っています.私が,あなたにこれを聞いたのは,特別な意味があります.」「アボニム,私達は最善を尽くし,必要な金額に至るために可能な方法を試しました.それでも,厳し過ぎます.」私は,黄師のその時の表情を見ました.彼は,完全に死んだような顔でした.彼は,考えたでしょう「ああ,何もできないし,何もすることがない.」しかし,黄師は応えました「私は,命を懸けて果たします.」そして,アボニムは,微笑んで応えられました「オーケー,私達は,天国に入り分かち合うために,信仰の道に命を懸けなければなりません.あなたが,命を懸けなければ,行く場所がありません.」アボニムは,彼の命懸けの考え方に満足されました.私達が,天国に導かれる道を行く事は,容易ではありませんが,私達は,命を懸けて,命を献げて闘わなければなりません.これが,勝利する唯一の道です.他の道はありません.故に,信仰の路程は,容易ではありません.


黙示録2:10には「あなたは,受けようとしている苦難を決して恐れてはならない.見よ,悪魔が試すために,あなた方の内のある者を牢に投げ込もうとしている.あなた方は,十日の間,苦しみを受けるであろう.死に至るまで忠実であれ,そうすれば,あなたに命の冠を授けよう.」よって,私達は,この道を死後も歩みます.死後,私達が貴い天国に迎えられても,私達は,更に忠誠を献げ,命を懸けます.私達は,この信仰の道を行かなければなりません.皆さんが,信仰の路程を本当に歩む為には,皆さんはサタンに打ち勝ち,彼を屈服させなければなりません.サタンが頭を下げて,皆さんの所に来る時,「私が間違っていました.皆さんは,本当に神様の息子娘です.私は,エデンの園において,アダムとエバを堕落させたサタンそのものです.」と言うでしょう.サタンが,彼の全ての悪事を告白する時,私達は神側に所属し「皆さんは,本当に神様の息子娘です.」皆さんは,サタンの認証を得なければなりません.「この人は正しい.彼は真直です.この人は神側に立っています.この人は神様に属しています.」信仰の道において,サタンがあなたの認定証を書くことは不思議なことですが,それがなければ,あなたは天国に入れません.だから,容易な道ではないのです.


ヤコブは,21年間の路程の後,帰宅する時,ヤボク川の浅瀬にて,神様は,彼と相撲を取るために,一人の天使を送りました.ヤコブは,神様の血統の重要性を良く知っていました.彼は,自分が重要な神側にあって,正しい路程を歩まなければならない事を確信していました.ヤゴは,天使とどのように格闘しましたか.天使は,ヤコブが手を離せば,彼がヤコブに勝つので,ヤコブに行かせて下さいと促しました.しかし,ヤコブは最後まで闘いました,そして,天使は彼の腿のくぼみ[股関節]に触れました.彼は天使と格闘して,太腿が関節から外れても,ヤコブは闘いに勝利しました.ヤコブの真摯な心は,言葉では表せません.一方,天使はさほど真剣ではなかったのです,彼は唯,普通に闘いました.しかし,ヤコブは,生死を懸けて格闘しました.


そこで,今日私達は,どのような路程を行かなければなりませんか.私達も,ヤコブのように真摯な心が必要です.サタンは,いつも私達の日常生活に侵入します.よって,私達は彼と相撲を取り,屈服させるような人にならなければなりません.サタンを屈服させることは,神側に居て,天国に入るための資格として必要です.さもなければ,サタンは私達に勝利の資格を与えられません.私達は,彼から天国に入る切符を貰わなければなりません.私達は,この切符をどのようにしたら得られるでしょうか.私達は,サタンを屈服させた時にのみ,それを得られます.彼は,本当にあなたの前に来て,告白します「あなたは正に神様の息子娘です.エデンの園において,私は間違っていました.他の理由はありません」.これが,ヤコブがサタンと闘い勝利した方法です.


私達も,サタン或いは天使と闘い,勝利しなければなりません.私達は,負けてはいけません.何が最も大切ですか.私達がサタンを屈服させて,勝利している度合いに寄ります.私達が,サタンを自然屈服させられなければ,神様は私達を無視します.神様はあなたを否定しなければなりません「私は,あなたを知らない.」それは本当ですか.


マタイ7:22-23には,「かの日には,大勢の者が私に『主よ,主よ,私達は御名によって預言し,御名によって悪霊を追い出し,御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろうと記されています.イエス様は何と応えられましたか「その時,私はきっぱりとこう言おう『あなた達のことは全然知らない.不法を働く者ども,私から去れ』.」イエス様は,このように彼らを拒否されました.死から復活させた神様であっても,彼らを避けて「私は,あなた達の事を知らない」と言われました.


信仰生活において,皆さんもサタンと闘って,勝利しなければなりまぜん.天使と相撲を取ったヤコブは,勝利しました.彼は,神様の代わりにサタンを打ちました.最初に侵入したのはサタンでしたから,彼は私達の日常生活のあらゆる路程に侵入し,私達が真の道を歩むことを阻みます.それは,サンクチュアリ教会に繋がった皆さんも同じです.皆さんは,唯,ここに来ることが出来たのではありません.皆さんが,本当にサタンと闘って,勝利した時に来ることが出来ました.そのような勝利の達成が無ければ,ここに来る事は出来ません.


今から,皆さんは何をしなければなりませんか.皆さんは,サタンを屈服させたことを本当に認定されなければなりません.そして,皆さんは何処に行っても神様の代わりに活動ができます.皆さんは,そのように考えるべきです.ヤコブを21年路程の後,家に戻したのは,真の神様です.「あなたのご苦労に本当に感謝します」ヤコブは,慰労の抱擁を期待出来ましたが,彼は天使と相撲を取ることになりました.


彼は,腿の関節を外されても,サタンを屈服させました.私達も,今日同様の状況にあります.もし,ヤコブがその相撲に敗れたら,彼の21年間の業績は,一瞬に無となりました.私達の日常生活においても,全てが瞬間に無になることが沢山あります.瞬間に起こります.1秒間に或いは1分間に,私達は全てを失い,或いはすべてが破壊されます.私達が,そのような瞬間に向かう時は,私達はそれが神側なのかサタン側なのかを識別しなければなりません.注意深く区別して下さい.瞬間にあなたが砕かれることを赦してはいけません.あなたの闘いを維持し,保護して下さい.これが,私達が生きなければならない道です.


ヤコブはどのような考えだったのでしょうか.「仮に私が死んでも,私はサタンを掴むのを止めない,私は彼から手を離すことはできない.」これは,アボニムが私達を育てた道です.私達は,どれ程多くの苦難を経験しましたか.私達は,死或いは飢餓の谷を越えたとしても,私達はまだ勝利出来ます.これが,アボニムが私達を育てた方法です.アボニムは,生涯の闘いの経験に基づいて,私達に教えて下さいました.私達が彼の例や勝利の達成に従う時,私達は,瞬間に神側になります.つまり,私達は天国に入るための切符を手にするでしょう.


それは,どれ程貴重でしょうか.そう思いませんか.もし,私達がアボニムのモデルに従わなければ,とても悲惨になるでしょう.世間の人達は,私達のことを悪く言います.統一人として,私達は多くの悪口を聞きました.今は,サンクチュアリ教会の支持者として,嘲笑されています.私達は,人間として扱われたことはありません.私達は,この時に何をすべきですか.もし,私が闘いに負ければ,私は地獄[サタン]の子になります.私達が負ければ,生涯の路程に於いて蓄積して来たものを瞬間に失います.よって,皆さんはこのことを正確に理解しなければなりません.これが,私達が命を懸けなければならない理由です.


皆さんは,ゴリアトの話をよく知っています.若いダビデは,ゴリアトと闘う事になっていました.そこで,彼は,石投げ紐に使う滑らかな5個の石を川辺から取って,投石袋に入れました.ダビデが彼の前に,唯1個の石と石投げ紐を持って現れたので,ゴリアトは冗談だと思いました.「この少年は,何故冗談のつもりで来たのだろうか.」ゴリアトは全く真剣ではありませんでした.ダビデの石は,ペリシテ人ゴリアトの額を撃ち,額に食い込みました.そして,ゴリアトはうつぶせに倒れました.私達は,ゴリアトが十代の少年に負けた事が分かります.


私達も,ダビデと同じ位置に立つべきです.ゴリアトは,彼が石投げ紐を持って来るのを見た時,ダビデに用心する必要があるとは考えませんでした.しかし,ゴリアトは敗れました.私達も同じです.信仰生活において,しばしば不注意になります.しかし,私達は生涯を投入すべきです,そうでなければ,私達は神様の息子娘にはなれません.更に,私達は常に,サタンに対する闘いを思い出すべきです.私達は,彼に確実に勝つことを決意しなければなりません.サタン自身が脅迫された時,彼は手を上げて降伏するでしょう.此の時,私達は天国に入るための貴重な切符を彼から手にするでしょう.次に,私達はイエス様から切符を貰わなければならないし,アボニムからも一つ貰うべきです.最後に,私達は天国に入るためには,神様から切符を貰わなければなりません.


私達は,サタンに両手を上げさせて,降伏させるべきです.彼は告白すべきです「私が間違っていました.本当に私はサタンです.あなたは,神様の息子娘です.」サタンがこのように私達に証言する時,私達は勝利し,神様は私達が神側であることを要求します.よって,いつも,決して負けないと言う考えを持ちましょう.サタンは両手を上げて,私達に降伏すべきです.彼は,自分が間違っていたことを知るべきです.私達は,サタンに勝つポイントに至らなければなりません.私達は,命懸けで闘い,勝利するという固い決意をしなければなりません.そうでなければ,私達は生きられません.私達の決意が強くなればなる程,神様は,もっと私達を保護します.


ヤコブはとても真摯でした.今日,私達も信仰の道を真摯な心で歩まなければなりません.私達は,尊厳のない,弱い気持ちで歩んではいけません.ヤコブ,モーセ,そしてイエス様は,各々天国に入るために模索し,エデンの園以来,失われた全てを復帰するために,命を懸けました.各々は,勝利の基台を立てました.ヤコブの腿の関節は外されました.これは蕩減が払われたという事です.エデンの園において,アダムは腿を誤って使い,堕落しました.ヤコブはそれを蕩減しました.私達の信仰の路程に於いて,私達は,命をも懸けて闘うべきです.統一教会の食口達が,アボニムの教えに従って生きていたならば,私達は勝利したでしょう.しかし,私達はそうしませんでした.私達は,唯,アボニムのみ言を聞き,右往左往しただけでした.よって,私達の結果は良くないのです.ヤコブは,神側の一代を築きました.モーセは,民族的なレベルの一代を築きました.そして,イエス様は,世界を神側に動かしました.私達は,ヤコブ,モーセそして,イエス様以上に達成することを期待されています.


私が,今日,皆さんに語りたいのは,私達が何処に居ても,神様の息子或いは娘の心は変わらないという事です.神様とアボニムは,私達にみ言を下さいました.よって,私達は,サタンに勝つことによって,神様の息子娘になる事ができるということを知らなければなりません.私達は,勝利すべきです.そして,天国に入る切符を受けるべきです.地上天国に入るための私達の信仰に100%の自信を持ちましょう.私達の準備は絶対であるべきです.皆さんは,準備しなければ,認定されません.


マタイ5:7には,「憐み深い人々は幸いである.彼らは憐みを受ける」と記されています.これは,神様の息子娘になる秘訣です.天使達は,真摯でなかったのです.神側に立っていない人達は,真摯でありません.しかし,神側に居る人達は,最期まで闘います.一人の天使がヤコブの腿の関節を外しました.今朝は,私達も,同様に一人の天使の腿の関節を外さなければならない事を,どうか理解して下さい.


私は,アボニムが私を一度叩いたのを覚えていますが,私は,どのように残されたのかは知りません.アボニムは,私達に一度語られました.「先生に叩かれた者は,手を上げなさい.」私は,最前列に居ましたから,手を上げました.アボニムは,尋ねました「それで,何故あなたは叩かれましたか.」私は,アボニムが私にするように言われた事と一致できませんでした.そして,彼はとても怒りました.私は,台所に逃げましたが,彼は付いて来られ,私の腕を叩きました.そこで私は考えました.「アボニムは再臨のキリストである.何故,彼は私を叩いて,他の人達の前ですら,ご自分の間違った行いを見せるのか.」アボニムが私に,信仰の無い者達と一緒に働くように言われても,私はそのようにはしなかったのです.喫煙や飲酒をする信仰の無い者達が働いていました.そして,アボニムは私に彼らの仲間になるように言われました.「私は出来ません」アボニムは私に「本当に君は出来ないのか」と聞かれました.私は「アボニム,私は出来ません」と応えました.


私は,怖くなって台所に逃げました.アボニムは,まだ私を追って来られました.アボニムは,私の腕を2,3回叩きました.どんなに痛かったでしょうか.私は,何度も自問して「私は信仰の道を行かなければならない.例え,叩かれても.」その時,アボニムは説明して下さいました「先生は,君を憎いから叩いているのではない.唯,私が言ったようにしなさい.それは,君が天の民,そして,神様の天国の家族になるためです.真の愛のために,先生は君を叩いた.」


私達は,命懸けで闘い,勝つべきです.私達は,闘って勝利して,サタンを降伏させなければなりません.私達は,この信仰の道を行くべきです.人々から多くの試練が来ます.神様とリーダー達も色々な方法で私達を試験します.「勿論,私は多くの間違いをしました.しかし,これは,神様が私にしてほしい事です.」私達がこのように考える時,それはOKです.皆さんが克服したいのなら,どんなに難しいでしょうか.「神様は,それがとても厳しくても,私にこの位置に立つことを望んでおられる.」このように考えると,さほど難しくはありません.


よって,私は多くの事を学びました.誰かが彼の話をすれば,私は「ああ,神様がこれらのみ言を彼に語らせました.彼が語る事は彼に関わる事のみならず,私に関わる事です.」と考えます.故に,私は勝利しました.誰かが,何時皆さんを迫害しても,皆さんの心が突発的なトラブルで痛んでも,皆さんは,それをどのように解しますか.「神様は,私をとても愛しているから,私をこのような状況に置きました.よって,私は正しい信仰の道を勝利的に歩みます」.その後,皆さんに誤った行動をさせることはありません.


アボニムは,本当に難しい人生の路程を歩まれました.イエス様も同様でした.イエス様は,御自身を殺そうとする敵に何と言われましたか.愛の心をもって,彼は敵の為に祈られました.何と偉大な事でしょうか.今日,私達が勝利するために同じ考えを抱く時,天国は自然に築かれます.それは,他の人によって建てられるものではありません.最初に,大きな試練を克服するサタンの試験に望まなければなりません.私達は,彼を屈服させなければなりません.その後,天国は,私達に自動的に到来します.皆さんの日々の生活は,天国が自動的に来る為の準備をする処です.


ゴリアトも共産党も同じように,サタン側を象徴しています.しかし,私達は,他の人達の言行に邪魔されてはいけません.私達は,本当に神様とイエス様と共にあって,サタン側の人達のために祈らなければなりません.心から彼らを憐み,私達は祈るべきです「天のお父様,私達が彼らの罪に対さないようにして下さい.どうか,彼らをお許し下さい.」このような祈りを通して,私達は勝利します.神様は,私達がこの位置に立つことを望んでおられます.


従って,私達は勝たなければなりません.各々は,サタンを自然屈服させなければなりません.あなたが,唯,そのままであるのは不十分です.私達が,サタンを屈服させたと認定される時,イエス様とアボニムと神様が,私達をもっと良い処に導きたいと願われます.アボニムは,何度も語られました「死んではいけない.最期まで生きなさい.」私達は,創造目的を果たし,地上の肉身生活において,成熟しなければなりません.私達は,闘って,克服して,勝利すべきです.そうでなければ,私達はサタンに敗れます.従って,私達サンクチュアリの食口も,サタンを越える偉大な勝利に到達する準備をしなければなりません.負けてはいけません.


正しくアボニムが語られたように生きれば,多くの結果を私達に齎します.祈る時は何時も「天のお父様,全てを奪っても結構です.唯,どうか,あなたの息子娘として,あなたと私の関係をしっかり掴んで下さい.どうか,私達をお守り下さい.そして,私達が所有者となり,天国の教師となれますように.」このような勝利的な考えをもって,信仰の道を歩みましょう.


真の信仰の道はとても難しいです.皆さんを嫌う人達も居ますが,彼らを愛さなければなりません.それがどんなに難しいでしょうか.イエス様とアボニムの生涯路程,そして,神様を思い出して下さい.何時も,反対する人達が居ました.アボニムは,彼に反対する親達の息子や娘達の授業料さえも払いました.「私は,その事に責任を持たなければならない.」アボニムは,彼らに多額のお金を与える時,そのような姿勢でした.私達は,アボニムのお考えを研究すべきであり,そうすれば,驚くべき勝利を享受するでしょう.


最後に,これを強調したいです.私達は信仰の路程において,勝利を勝ち取るべきです.サタンと闘う時は,私達は彼に打ち勝って,彼が私達を拝むようにしなければなりません.その後,私達は「ああ,全てが順調です」と言えます.


1945年の韓半島の解放の後,アボニムは,そこに住んで居た多くの日本人を助け,多くの日本の警察官を救いました.アボニムはそのような日本人達に語りました.「韓国人は,多くの恐ろしい性格がある.皆さんがこれ以上韓国に留まっていたら,安全ではない.皆さんは直ぐに殺されるだろう.出来るだけ早く日本に帰りなさい」.よって,日本に早く帰国した人達は,生き残りました.しかし,韓国人達に殴られて,死んだ日本人も沢山居ました.このエピソードは,アボニムが,日本の家族が大切であるとどれ程考えられたかを物語っています.


最後に,アボニムは言われました「最後に,日本は戦争に敗れました.彼らは今はあまりにも惨めです.復帰摂理が地上で完成する時,日本人は,間違いなく最前線で闘うでしょう.」これが,アボニムが日本の為に祈られた内容です.


私が,この事を日本で説明した時,多くの日本の食口が,あちこちで泣いていました.私が,日本での巡回使命期間を終えた後,私はアボニムに尋ねました「当時,多くの日本人が韓国に住んで居たのではなかったですか.あなたは,本当に日本人の為に祈り,アドバイスをして,彼らを愛したのですか.」アボニムは「本当です.私は,本当にそうしました.」と応えられました.


巡回師として,私は多くの場所を訪ねました.何処に行っても,日本の食口は,最前線に立っていました.私はとても感動しました.私は,アボニムに尋ねました「私が,日本の食口の為に祈ると,熱い涙が沢山溢れました.韓国人のために祈った時よりも,遥かに多くの涙でした.」アボニムは「日本の食口は無私です.彼らは完全に自分がないのです.彼らは,神様の御旨のために全てを投入しています.」


彼らは,お金が無くても,人から借りて献金をします.そのような国民は他にいません,私がこの話を韓国人に話したら,彼らは唯笑って言いました「彼らは,お金を借りなければならないのに,どうして献金をしますか.」日本の食口は,全部を献げています.よって,アボニムは言われます「日本の食口は本当に無私です.神様の御旨の為に既に全てを献げていても,彼らはもっと献げたいのです.神様はこれを愛します.あなたが日本の食口の為に祈った時,熱い涙が溢れたのは,このためです.」


何処に行っても,日本の食口は模範的に生きています.此処にも日本の食口がいます.彼らは難しい状況にあっても,寧ろ「私達は,これは神様とアボニムに対する精誠であることを知っています.」と考えます.彼らは,本当に多くの負債がありますが,献金を依頼されると,もっと多くを出したいのです.韓国人は決してこれは出来ません.アボニムは本当に,日本の食口に感謝しておられます.私が韓国に居た時,アボニムは,日本の女性リーダーのために洋服と韓服を買われました.私も,韓服を借りて着ました.アボニムは,出来る限りのことをされました.今日,多くの日本食口が韓国に住んで,苦難に耐えています.皆さんは,彼らに感謝すべきです.彼らは犠牲を献げ,神様の御旨を地上で果たすために,全てを投入しています.今日は,ここには少しの日本食口しかいません.どうか,そのように生きて下さい.


最後に,私はこれを語りたいです.アボニムの観点では,嘗て,日本人は敵でした.彼らは敵であっても,日本は惨めに追い出されたから,アボニムは彼らをとても励ましました.彼は,日本の為に熱心に祈られました.今日,日本の食口は最前線で全てを献げています.日本の食口は,韓国よりも多いです.巡回師として,そのことを良く知っています.アボニムは日本人を愛されました.彼は,真心の愛をもって祈られました「今,多くの日本人が韓国に住んで,苦難に耐えています.復帰の歴史が始まり,天の闘いが開始された時,日本人と日本は,前線に立ちます.」私達は,歴史を記憶しなければなりません.


多くの日本の若者達は,今何をしていますか.彼らは,命懸けで,アボニムのために忠誠と愛を献げています.私達はそれを知らなければなりません.因果の法則があります.皆さんがアボニムの恩賜を受けた時,皆さんは全力で応えなければなりません.アボニムが,真心の愛をもって日本の為に祈られたので,日本の食口は最前線で働いています.アボニムは神様の御心に従っておられます.サタンが屈服したので,アボニムは私達を,国境を越えた国家レベルにおいて敵を愛するように導いて下さいました.


日本の食口は,全ての献金に大きな精誠をもって献げます.彼らと比較して,私達韓国の食口の場合は,それ程ではありません.私は,アボニムに尋ねました「アボニム,あなたは,日本の食口のために本当に祈られましたか.」アボニムは,本当に祈ったと応えられました.それは,秘密のように聞こえますが,アボニムは,日本の食口のために本当に祈られました.私が,日本の食口の為に祈ると,いつでも熱い涙が溢れます.それは,韓国の食口よりも確かに,日本の食口が神様の御旨の為に最前線に立っているという意味です.アボニムは,この事実も尊敬しなければなりませんでした.


どうか考えて見て下さい.多くの日本の食口が韓国で苦難に耐えています.そして今,多くの日本の食口が米国に居ます.私達が,何時も日本食口の最大限の精誠と愛を献げているのを見る時,それはとても貴重です.私達も,もっと働けるように祈るべきです.アボニムは心から,日本の為に沢山祈られました.彼がなさったことに,どうか感謝して下さい.


アボニムの熱心な祈祷に感謝しましょう.日本の食口は今も,一所懸命働いています.江利川さんは,私が何時見ても,ここでベストを尽くしています.私は,本当に感動し,お辞儀をします.彼女は,正にアボニムの原理に従って生きています.更に,彼女は,この地上に天一国を創建することに注力しています.私は,出会った人に,彼女の事を特別に話しています.私は彼女にお辞儀をするからです.私は,彼女がどんなに苦労されているか知りません.今,江利川さんはサンクチュアリ教会に繋がりました.そして,命懸けで,一所懸命働いています.彼女の精誠と献身によって深い感動を受けた心で,私達も闘い,勝利しなければなりません.


闘って,サタンに勝てば終わりではありません.私達は,勝利の歌を歌う日まで,前進します.多くの人々が統一教会に繋がりましたが,その多くは,10年,20年或いは30年後には去りました.


皆さんは,今日ここに座っています.私達が,この集会で持った貴重な心情の因縁を,永遠の世界に行くまで維持しましょう.私達は,お互いに生き残りましょう.皆さんは,苦難に耐え,精誠を献げているでしょうが,私達が,道から外れたら役に立ちません.私達は,神様の不変の御心情を抱いて,最期まで辞めないで,行かなければなりません.生き残って,勝利を得なければなりません.そうでなければ,私達の苦難は意味がありません.私達の業績と利得は,一瞬に消えるでしょう.


ソウルの私達のサンクチュアリ教会も,劇的な大変化をしています.今は皆が反対しています.しかし,私達は心配ありません.過去の歴史に,どれ程多くの義人や愛国者,殉教者が投獄されましたか.彼らの各々は,神様の御旨を果たすことのみを狙いました.よって,私達も殉教の精神を持つべきです.最期まで残って,忍耐しましょう.私達が勝利した時,全てが大規模に私達に戻って来るでしょう.皆さんが,途中で出て行けば,義人達は徒労に終わります.


霊界においては,私達はお互いに会って,反省するでしょう「私達は,苦難の中で多くの闘いをしましたね.私達は心からどんなに感謝していますか.」アボニムの精神を本当に具現化しましょう.私達は,少数の群れですが,外に出て伝道して,多くの人々が神様の御旨を知るようにすべきです.


アボニムは,二代王を定めましたが,人々は,サンクチュアリについて,多くの悪口を言ってきました.二代王とサンクチュアリのメンバーは,この負の面に晒されました.私達は,非難されなければならなくても,私達は,アボニムのみ言を,貴重な証拠として誇ります.二代王の統治において,カイン,アベルは一体化の勝利を達成しました.アボニムは,戴冠式を三度行い,祈られ,二代王が勝利を得られるために,精実と愛を持って精誠を献げました.今は,アボニムが私達に語られたことを聞く事は出来ません.私達が,これらの兆候を見た時,終末が本当に来る事を知っています.私達を非難する者達は,アボニムのみ言をそのまま受け入れません.彼らは,異なる道を歩んでいます.私達が反省する時,私達が,的確な伝統を築いていることを明確にしなければなりません.これは,アボニムのみ言に関わる事ですから,私達は命懸けで闘い,勝利しなければなりません.勝利して,神様に栄光を献げましよう.私達は,二代王が権威をもって王権を執行できるように,基盤を創る必要があります.


従って,私達は全てを投入し,内的にも外的にも自身を献げて,十分に謙虚になった時,神様は私達の処にいらして支援して下さいます.神様は,私達が勝利を得られる戦闘場に私達を導きます.どうか,沢山祈って下さい.そして,真心の精誠と愛で為して下さい.成長し,達成するのは私達の責任です.よって,神様は我々の味方であって,私達を通して働かれます.アボニムの私達の味方です.そして,私達を通して働かれます.


二代王を中心に,三代王権が確立されました.今から,私達の想像を超える驚異的な勝利を達成するために,真心を献げて祈りましょう.


お祈りをしましょう.


最愛の天のお父様.あなたは,私達にこの貴重な時間を下さいました.そして,あなたの真の御旨が分かるように導いて下さいました.私達は感謝致します.真理は事実として認識されません.真理は,寧ろ踏みにじられて来ました.アボニムは,霊界で心を痛めておられるに違いありません.どうか,あなたが私達に本当にして欲しい事を教えて下さい.アボニムは,霊界から,二代王の為に心を込めて来られました.アボニムはまた,二代王がアボニムから依頼されたことを全て果たすために,精誠の献身をされました.そのことも理解しましょう.


二代王の地上における全ての責任は,正にこの地上にて完遂されるでしょう.私達はそのために本当に祈ります.私達は,力と能力が不足です.私達の生きた天のお父様,どうか本当に私達の処にいらして下さい.私達と一緒に歩み,働き,そして,力付けて下さい.あなたが共に居て下されば,私達は何でも出来ます.天のお父様,私達には多くの欠点がありますが,私達は,あなたの御旨とあなたの世界がこの地上に実現する事を心から望みます.霊界の全ての聖人達も,今私達と共に居ます.私達は,心から彼らが私達と共にあって,私達があなたの御旨の同志となれるように,あなたにお願いします.


どうか,二代王に,心身統一に基づく健康をお与え下さい.そうすれば,アボニムの後継者の全ての責任が果たされるでしょう.アボニムの代身者の全ての責任が果たされるでしょう.天のお父様,私達は心の底からあなたにお願い致します.私達は,自分達自身の力では何も出来ません.最初から,あなたは本然の世界を期待されていました.あなたとアボニムとイエス様と全ての霊界が,私達と共に居て下さるように,そして,本然の世界があなたの御旨によって実現しますように.地上界と霊界の全ての人達が此処に来て,「この地上においても天上においても,あなたの御旨が成されます.」ように.


どうか,例え理由が分からなくても,多くの人々が此処に集うようにして下さい.驚異的な勝利はあなたの役事です.私がする事ではありません.私達は,霊界と地上界があなたと一つになる事を心よりお祈り致します.私達は,あなたのみ言を分かち合う事によって,この集会であなたが下さった恩賜に感謝致します.私達の心と意思と精誠の全てを献げますので,私達を勝利的な信仰の道にお導き下さい.天のお父様,私達は,あなたを信じます.


祝福中心家庭,康賢實の名によってお祈りし,ご報告申し上げます.アージュ.


これが,本日の全てです.来て下さってありがとうございます.


原文
The Words of True Mother Hyun Shil Kang, p321-338.



<鷹の目>
久し振りに康オモニムの講話を読み終えました.諸事情から途中で中断して,今回再度読むことになりました.やや長文になっていますから,読み返しながら自ら編集をしました.


本稿のタイトルは,「神様の息子娘の心情は変わりません」です.このタイトルから,小生は「人間は,変わらないのが良い」と言われたアボニムを思い出します.私達の心や考えは,長く変わっていないでしょうか,それともいつも変っているでしょうか.祈る時は,神様の息子娘のつもりになっていますが,祈りが終わると,普通の人に戻っていないでしょうか.堕落性の多い小生は,何十年経っても変わっていない自分の姿を見ます.人は,本性が啓発されても,根本的に変わることは無いのかも知れません.
アボニムは,信仰姿勢が変わらないのが良いと言われたと思います.本稿にも,記されているように,多くの人々が統一協会に繋がりました.しかし,今周りを見てみると,神側の戦力として残っている人は余りにも少ないです.離脱の理由は様々でしょうが,神様の前に決意した事や神様との約束を守れなかったのでしょう.兎に角,私達は,アボニムの残して下さったみ言を日々訓読して,実践しましょう.そして,天一国の創建に寄与しましょう.


さて,康オモニムが,アボニムから叩かれたことを初めて知りました.最古参の一人であった康オモニムに対して,アボニムは,常軌を逸した異常とも思える基準を要求されました.前人未踏,後人未遂の基準です.例えば,ソウルのパゴタ公園における7年間を越える毎日連続の説教です.雨の日も風の日も説教は続けられたと聞いています.この偉業を,今後誰が越えられるでしょうか.アボニムが叩かれたのも,当時の姜賢實先生に考えられないような基準を立てて欲しかったアボニムの願いがあったからに違いありません.尤も,アボニムが,神様の御旨に対して願われた基準は,何時も常軌を逸していたとも言えます.それに対して,何時も精誠を込めて応えて来た人達の代表が,江利川さんや日本の女性達であったと思います.今は,二代王の時代になったので,非常識な願いはないと思いますが,それでも,天の願う基準は,いつも個々人の全てと最大最多を投入する事だろうと思います.


今,二代王は,テネシー州に新しい清平を建設されています.ある日,人工の大きな滝にライニングシートを設置する事になりました.シートは約1600ポンド(約730kg)と聞きました.シートを拡げて,20人余りの人力で担いで運ぼうとしましたが,シートの大きさと重さのために,人力では動かせませんでした.亨進ニムは,人力で担いでシートを張ったことを記録として残したかったのでしょうが,結局,建設機械(所謂,ユンボ)を使って,小高い処まで運びました.普通に考えると,無謀なことと思われますが,此処にも,人智の限界を目指す姿勢が感じられます.これも,精誠の一つと思います.人を愛する事や万物を献げる事だけが精誠ではありません.小さい作業一つにも真心を込めるのが精誠です.


新清平においては,数十名が今も,献身的に日々建設に携わっています.訓読センターやTiny house,射撃場,人工の滝などを建設しています.彼らは無給のボランティアです.生活費も自前です.数十名がテントや家で集団生活をしながら,食事も給食にして経費を抑えています.最近やっと地下水のくみ上げが始まりました.それまでは,山の湧き水(薬水,生命水)を飲用していました.寒さの中,越冬しながら,日々作業を進めています.彼らの偉業を讃えましょう.そして,何らかの支援をして上げましょう.
彼らの精誠で,やがて新清平は整うでしょう.そして,多くの人々が訪れるようになるでしょう.しかし,後から来る人達は,建設時の苦労を知ることは出来ません.建設に携わった人達だけが,天に宝を積んでいます.新清平の詳細な状況は,動画などを見て下さればある程度分かるかと思います.渡米の機会がある人,或いは在米の人は,一度テネシー州のThorn Hillを訪ねて見て下さい.天一国創建の雛形を見る事が出来るでしょう.


二代王は,いつもミクロコスモスの精誠がマクロコスモスを動かしていくと言われます.また,今の米国,そして世界を変革するためには,殉教精神が必要だと言われます.義人,聖人の犠牲によって,国家や世界が変動したのは事実です.米国の独立戦争は,少数の愛国者が立ち上がりました.日本の明治維新も同様です.そして,先人の中には,少なからぬ有為な人達の犠牲がありました.その事実を記憶しましょう.クリスチャンが少しずつ二代王の元に集ってきています.影響力のある人達もいます.米国において,クリスチャンが天一国創建に繋がる一段高い,再度の独立を捲き起こすことを期待します.

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