サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「神様が胎中で善悪の分立を始めた理由」



2017.4.4


聖書拝読: ロマ12:1-3


こういうわけで,兄弟達,神の憐みによってあなた方に勧めます.自分の体を神に喜ばれる聖なる生ける生贄として献げなさい.これこそ,あなた方の為すべき礼拝です.
あなた方は,この世に倣ってはなりません.むしろ,心を新たにして自分を変えて頂き,何が神の御心であるか,何が善いことで,神に喜ばれ,また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい.
私に与えられた恵によって,あなた方一人一人に言います.自分を過大に評価してはなりません.むしろ,神が各自に分け与えて下さった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです.


皆さん,おはようございます.


今日は,神様が,胎中で善悪分立の摂理を始めた理由について語りたいと思います.


今朝は,ロマ12章を拝読しました.それは,使徒パウロがローマの人々に書いた手紙です.パウロに聖霊が臨む前,彼は,使徒ステファノの処刑に,実際に立ち会っていました.その時,彼はその事を褒めていました.彼はそれが良い事だと言いました.


しかし,一度,聖霊が彼に臨むと,彼は完全に変わりました.事実,彼は,今日私達が持っている聖書の13の書簡を書きました.彼が毎回記し,また語った各々の御言は,時代を超えて,クリスチャンに啓示を与えてくれました.


ロマ12:1において,彼は,「こういうわけで,兄弟達,神の憐みによってあなた方に勧めます.自分の体を生ける生贄として献げなさい.」と言っています.つまり,あなた方は,体で神様を拝しなさいという事です.


生ける生贄となる事は,簡単な事ではありません.事実,今日生きる殆どの人々にとっては,とても難しい事です.犠牲を献げる時,どんな犠牲であっても,人々は,多くの精誠と献身を献げます.しかし,あなた自身の体を犠牲にする時は,信じられない程の精誠と献身が必要です.


パウロの御言の中で,特に私を奮起させるのは,「迫害の最中にあっても,喜びなさい.*1」です.パウロは,迫害の最中にあっても,喜ぶことができた人に違いありません.従って,私達は,私達の体を,喜んで神様への生贄として献げなければなりません.


旧約時代において,神様の御心を理解した人達は,本当に命を懸けて,命を懸けて神様の御心に従い,忠誠を尽くした事を,皆さんに思い出して欲しいのです.


例えば,ヤコブと彼の路程を学ぶと,彼が神様の御心と,神様が地上で果たそうとされた摂理を深く理解していた事が分かります.よって,彼は,神様の祝福を頂いてから,神様の世代を続ける必要があると感じました.


これは,神様が彼に強制できた事ではありません.ヤコブが自発的にしなければならなかった事です.兄のエサウが,彼に長子権を売り渡した時,ヤコブは,エサウが彼を殺そうとしていたので,家から出る必要があると気付きました.彼は,ハランの地に行き,そこに21年間居ました.騙されても,ハランで多くの困難があっても,21年間居ました.


私達は,ハランにおいて,彼がどれ程,妹娘のラケルと結婚したかったかを知っています.しかし,その地の習慣によって,姉娘のレアが,まず結婚しなければなりませんでした.よって,彼は,彼女と結婚した後,ラケルと結婚しました.私達は,彼が,21年の後,妻達や多くの財産を集めて,エサウの所に帰った事を知っています.


そこで,ヤコブは,その21年間に何を考えていたか,想像して見ましょう.ハランに居たとしても,故郷があり,いくつかの点で,彼は帰る必要があることを知っていました.いくつかの点で,彼は,帰り,故郷を神様に復帰して,戻す必要がありました.彼は,21年間,どのようにしたら,兄のエサウを自然屈服させられるかという事に迷いました.エサウを強制的に屈服させるのではなく,彼が,自発的に,降伏することを逡巡しました.彼は,いつもそのやり方を考えていました.そして,遂に21年後に,彼は成功しました.


ヤコブが帰郷した時,彼は,全てのものを兄に差し出しました.彼は,「私は,女性達は必要ない.この財産も必要ない.私に必要なのは,エサウが私を歓迎し,彼が私に長子権を与えたことを認める事である.」と考えました.


ヤコブがこのようにできた事と兄エサウと彼の間でできた事は,全く信じられない事です.ヤコブは,エサウに全てを献げ,エサウは,彼を歓迎しました.そして,そうすることによって,エサウは,イスラエルの選民圏に入ることが出来ました.


このことは,神様の摂理が,どのように世代を通して,続けられたかという事です.遂に,神様の摂理が勝利し,神様と人類の解放が成されました.


外的には,とても単純でした.エサウはレンズ豆の煮物で,ヤコブに長子権を売り渡しました.そして,ヤコブはレンズ豆の煮物で,長子権を買い取りました.しかし,この背後で起こっていた事は,とても深く明らかな神様の人類復帰に対する摂理でした.これが,旧約聖書において,「アブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神」と,三世代が一緒に呼ばれている理由です.


そして,ヤコブの息子ユダを通して,神様の摂理を続けるための道が全開となりました.神様の摂理がユダを通して,どのように続けられたかを見ましょう.それは,人間的に見ると,完全に不品行な方法で為されました.しかし,それは,神様が摂理を完成された方法でした.


ここで,タマルの状況を見ましょう.タマルは,ユダの義理の娘(嫁)でした.彼女は,聖書における道徳の観点では堕落した4人の女性の一人です.タマルは,人間的な観点では,出来ないような事,実際に想像できないような事をしました.彼女は,信仰深い女性でした.神様の摂理について深く祈り,ユダの血統を存続させる必要がある事を理解しました.よって,それを達成する為に,すべきことをしました.結果として,イエス様が,ユダの子孫として生まれる事ができました.


タマルは妊娠しました.お腹には双子がいて,闘っていました.そして,彼女は神様に祈りました.「どうして,これらの双子は,お腹の中で闘っていますか.」神様は,「あなたには双子が居ますが,単に闘っている双子ではありません.実際には,二つの国民が闘っており,将来,兄は弟に仕えるでしょう.*2」と応えられました.


神様には,他の選択肢はなく,胎中から復帰摂理を始められました.それは,歴史的に勝利の結果を得た唯一の方法でした.


当時の法によると,やもめが妊娠すると,石で打たれて殺されました.或いは,女性が妊娠して,私生児を産めば,彼女は石打の刑で殺されました.にも拘らず,タマルは自分の立場を知り,長子権を得たヤコブの子孫の血統を継続する責任を知っていました.そして,彼女は,そうする為に命を懸けました.


皆さんは,タマルが正にそうしようとした時に,神様に献げたはずであろう祈りを想像できますか? 彼女は,このように言ったに違いありません.「神様,私は,祝福された血統を継続する必要がありますが,そうするためには,私はとても不品行な事をしなければなりません.私をどうかお許し下さい.私には,これが可能な唯一の道ですから.」


彼女は祈ったに違いありません.「私が死ななければならなくても,構いません.私が,数万回死ななければならなくても,構いません.人々が私を指さし,非難しても,構いません.私が欲しいのは,ユダの為に,あなたがこの家に,この家族に下さった祝福を子孫に継続する事です.」


タマルは死ぬ覚悟が出来ていました.そして,彼女の神様の御心への献身故に,彼女は,死の恐怖を克服出来ました.彼女は,驚くべき態度でした.そして,神様の摂理の継続に成功するために,彼女は,この勇気を持つ必要がありました.これが,神様がタマルを最後に祝福した内容です.そして,ユダの家が始まった道でした.タマルの行為によって,神様はそれを果たし,カインとアベルの失敗が胎内で復帰され,摂理を勝利する事が出来ました.


神様が本当に願われた最初の長子権(嗣業)を,地上に出現させたのは,タマルでした.イスラエルの歴史は,本当は,このポイントから始まりました.


タマルが失敗し,イエス様が地上に生まれたことを想定すると,彼には,サタンに攻撃される条件がありました.イエス様が彼なりに産まれる為には,胎中におけるこの勝利の条件が必要でした.胎中におけるその勝利の結果,地上における神様の第一の誕生と第二の誕生が成されました.


ある日,ユダがブドウ園(羊の毛を切る所)に行く途中,タマルは彼に会いました.彼女は娼婦の恰好でした.彼女は彼を誘惑し,関係を持った事が聖書に記されています.それが,彼女が妊娠し,双子を得た方法です.


多くの人々,特に多くのクリスチャンは,聖書におけるこの事案を,何か汚れた,神聖でないものと考えますが,アボニムは,ここにとても集中しました.彼は,この事を沢山語られ,私達を教育されました.人が何を考えようと,タマルは偉大な女性です.何故なら,彼女の行為によって,最後にはイエス様を産んだ血統が残されました.


タマルは,自分に何が起こるかを考えませんでした.人々が,彼女を非難し,彼女を辱める事を考えませんでした.彼女が願ったのは,神様の摂理の成功のみでした.彼女は,神様によって祝福されたユダの血統を終わらせないで続けるのは,彼女次第であったことを知っていました.彼女は,この血統を通して,神様の心の中の恨みを解くことを助けられるよう願いました.それが,彼女の祈りでした.


この世界を復帰するために,神様の血統を立てるためには,神様は,胎中の摂理を始める必要がありました.その勝利の条件が胎中において立てられ,歴史の基台も立てられました.


タマルは,パウロがロマ12章で語ったような生ける生贄でした.つまり,神様が必要とした,摂理に仕える事が出来る人でした.


この事は,私達に,血統の重要性を教えています.世俗の人達は,血統の重要性が分かりませんが,統一教会において,私達は,神様の純粋な血統を維持する事と,純潔を維持する事が,極めて重要である事を知っています.


よって,今朝は,タマルを覚えましょう.彼女と同じ心情を持ちましょう.私達が,数千万回死ななければならないとしても,全て献げましょう.唯,神様の摂理が成功することを望みましょう.


私がここに最初に来た時から,話したいことが有りました.昨日の朝,遂に韓オモニムの事を話すまで,私は,語ることが出来ませんでした.今朝,私は,もう一点加えたいのです.知って欲しい重要なことは,オモニムは,アボニムと異なる道を歩んでいる事です.そして,彼女がした事は,新しい宗教を創った事です.皆さんは,それを「独生女教」と呼べるでしょう.


この頃,彼女は,キリスト教は,2,000年間,独生女の出現を待っていたと主張しています.私は,生まれた時から今までクリスチャンでしたが,キリスト教が,独生女を待っていたような話は,全く聞いたことがありません.オモニムは,それは,あるケースであるのに,誤解しています.そして,近頃彼女は,人々に「皆さんは,キリスト教が待ち望んでいた独生女に今会えたので,とても幸せな筈です.」と言っています.それは,完全に彼女の誤りです.


アボニムは,生涯,この地上に天一国を創建するために活動されました.そして,それを果たしました.彼は,天一国を創建されました.アボニムは,彼の後継者,代身者,相続者を確立されました.それだけでなく,彼はこの人に祈りました.三度戴冠しました.それで,彼は聖和される前に,「全てが成されました.完成しました.」という事ができました.


アボニムは,それをジョークのようにしませんでした.すぐに変わるような暫定的なものとはしませんでした.彼は,それを本当にしたのです.私達はこの事実を受け入れる必要があります.この現実を許容する必要があります.私達は,これを無視出来ません.私達は,それを投げ捨てることは出来ません.


今朝は,タマルの心情を持ちましょう.二代王様,亨進ニムを中心にその心情を一つにしましょう.この祝福された血統を受けて,世界に拡大する事が,私達の責任であり,私達の立場である事を知りましょう.それが,延々と続くように,全ての国と世界中に植えつけられる必要があります.


私達は,これを確信を持ってしましょう.アボニムを落胆させないように,勝利を確立しましょう.


どうも,ありがとうございます.


*1 ペテロⅠ4:13
*2 創世記25:23, (エサウとヤコブの胎内での闘い)


ビデオ: 

21:01-1:03:27



<鷹の目>
旧約聖書に登場する4人の女性は,マタイ伝の系図において,態々女性の名前が記されています.ここでは,特にタマルの事が取り上げられていますが,ラハブ,ルツ,バト・シェバの3人の境遇も同様でした.彼女達は,不貞・不倫は石打の刑に処されるという当時の社会において,正に命懸けで,神様に祝福されたヤコブの血統を守り抜いた4人でした.エバが命懸けで堕落したので,復帰も女性が命を懸けることで為されました.


タマルのように命懸けで血統を守った女性と韓氏のことが,暗に対比されています.タマルらが守った血統は,父系を指していることは明らかです.韓氏は,母系の血統が重要であると言っているようです.残念ながら,母系の血統は,どんどん混ざって行きます.女性の遺伝子x’xは両親から,1つずつ受け継ぎますから,女系の相続は確定しません(x’X, xX).男性の遺伝子XYは,父系のY遺伝子が必ず継承されます.x遺伝子は母系のx’xのいずれかを継承します(x’Y, xY).遺伝子学の基本的な知見から見ても,独生女の誤謬が分かります.アボニムの血統は,男系に継承されます.女系は後継者にはなれません.このことをしっかり認識して,今後の家庭連合の後継者について,注視しましょう.


家庭連合は,新しい教義を立てて,新しい宗教を興した以上,既存の勢力を凌駕しなければ,じり貧となって,やがて衰退するでしょう.アボニムは,全く新しい教義「原理」を提示され,祝福を通して既存のキリスト教を凌駕しました.家庭連合は,新しい教義「無原罪独生女論」で,原理を葬り去ろうとしていますが,同論の聖書的な根拠は皆無であり,世界中のキリスト教とクリスチャンに反駁する空論です.果たして,虚構の無原罪独生女論で,アボニムが勝ち取った原理と祝福を凌駕出来るでしょうか.


小生の好きな御言葉の一つです.「正しいと思われたら,無条件に着手し,果敢に推し進めて行け.必ず神が共に働くことであろう.」諸兄の奮起を期待します.

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