サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康オモニム アボニムは死に対して決して妥協されなかった


2017.2.13*
訓読:ヨハネによる福音書14:1
心を騒がせるな.神を信じなさい.そして,私をも信じなさい.


今日,私は,アボニムが北朝鮮から逃れて,難民となって,韓国に来られた時のことを語りたいと思います.その時,アボニムは南下されていました.後ろに,中共の陸軍が迫っていました.足を怪我した弟子を連れており,彼を自転車に乗せて,移動していました.


アボニムは,その人を簡単に置き去りにして,前進することはできませんでした.とても難しい状況でした.道路の前は遮断され,彼が死を選ぶことは許されなかったのです.前進したくても,前進できない時がありました.


ほとんど,おそらく全ての人が,このような状況では,「こんな状況で何ができるだろうか? どうすることもできない! 」と考え,さ迷うでしょう.しかし,アボニムは,全く心配されませんでした.何もできないような状況においても,神様が,支援して下さっているという確信がありました.神様は,背後にいらして,物事は何とかうまくいくものと確信しておられました.


アボニムは,決意されました.「私は,死ぬまで,前進しよう.良し! 神様は,避難民の中にあっても,私が最も苦しい人になることを願っておられる.」アボニムは,「神様は全ての人を救いたいが,サタンが居るので,神様は杖を振って,そうすることができない.」と感じられたと,語って下さいました.


人を救うために,神様は,彼らを最も難しい状況に置かねばならず,死の場にさえ,行かせなければなりません.これが,多くのクリスチャンが殉教した理由です.残念ながら,そのような死の場の状況において,前進し,命を他の人のために犠牲にした人は多くはなかったのです.


神様がともにあり,神様がアボニムを支援して下さっていることに気づいたとき,「困難は,全く困難には見えません.」と言われました.私達は,生死の状況に直面しないと,神様との関係を深めることはできません.


イエス様が,ゲッセマネの園で祈られた時,「私の願い通りではなく,御心が行われますように」と言われました.私達も,そのような基準に至らなければなりません.個人的な観点では,十字架の道に行きたい人はいないと思います.苦難の道も同様です.しかし,神様の御心の完遂のために必要なら,私達はその道を行く必要があります.復帰摂理を完遂するためには,私達は生死を越える必要があります.


堕落は,人類が,死亡圏に入った時でした.従って,復帰,復活,救いにおいても,私達は,死亡圏に入らなければなりません.とにかく,私達はその道を行かなければならないのです.それは,幸せかも知れません.楽しいかも知れません.多くの人達が,その道を生きて行けば,神様の御心はもっと早く完遂するでしょう.


生死の道を歩む私達は,生死を越えなければなりません.アボニムがサタンと戦われたとき,生死の境を何百回,何千回,何万回,何百万回も越えられました.困難に直面し,波のように,それらは,何度も何度も来ましたが,アボニムは,立てた基準に対して,妥協されませんでした.


アボニムは,例え,全世界が反対しても,戦い続け,反対する勢力を打ち負かす,心を持っておられました.それは,アボニムが持たれ,勝利された心です.


アボニムは,疲れ切った時も,打ち砕かれた時も,希望を持っておられました.人が,打ち砕こうとした時も,希望を表出されました.希望を残せる人,打ち砕かれても,希望を表出できる人が,一番恐ろしい人です.何故なら,その人は負けないからです.


真の父母様(アボニム)は,堕落した人類の再創造に責任をもっておられます.真の父母様は,堕落していない父母の基準を持って,地上に来られました.唯お一人の方が,その責任を持って,地上に来られました.真の父母様,唯お一人が,そうされました.アボニムがこれを完遂されました.神様はアボニムの中におられ,アボニムは神様の中にいらっしゃるのです.アボニムと神様は一体でした.イエス様も言われました.ヨハネ14:20において,「かの日には,私が父の内におり,あなた方が私の内におり,私もあなた方の内にいることが,あなた方に分かる.」


アボニムは,神様に,我が子と認められた方です.彼は神様に認められ,語ったすべてのみ言は,神様のみ言でした.アボニムに関わる全てが正しいのです.


真の父母様は,堕落とは無関係です.つまり,堕落していない父母様です.アボニムは,私達が神様に繋がる家庭を再創造し,真の子女を生むことができる基準を立てて下さった父母様です.アボニムは,サタンの讒訴圏から完全に離れておられます.完成基準におられ,サタンの讒訴圏を越えておられます.ここから,真の父母様の基台は始められました.


イエス様も,とても難しく,悲惨な生涯を過ごされました.でも,彼はそのようには考えなかったのです.イエス様がゴルゴダの丘に向かって,十字架を運ばれる時,彼は,人生を振り返って,「ああ,全ては無意味であった.33年の後,私は笑いものにされるに至った.私は何をしたのか.私は,あまりにも理不尽に扱われた.」とは思いませんでした.


彼は,全くそのようには考えなかったのです.その代わりに,イエス様は,「私は,自分の使命を果たすために行きます.十字架の重荷ゆえに,それが果たせなくても,私の肉体が存続しなくても,私の霊魂は,決して負けません.」と言われました.そして,彼はそのような気持ちを持って,行かれました.


イエス様が,十字架を担って,ゴルゴダの丘に向われる際,大衆の中に居たお母さんのマリアと弟子のヨハネに気づきました.そして,彼らを慰められたのです**.彼は,ご自身が,十字架に向かっているのに,彼らのことを思いやり,慰めることができたのです.


歴史上に,多くの偉大な人がいましたが,イエス様程,神様との関係を持った人はいなかったのです.イエス様の生涯の結果,人類の歴史は新しい方向に向かいました.2000年の後にも,イエス様の精神は,全く衰えていません.アボニムは,神様の摂理をこの(キリスト教の)基台の上で進められたのです.アボニムは,私達の知る以上に,苦難と迫害を受けられました.


私達は,アボニムの路程を学ぶ必要があります.そして,イエス様の路程を歩む必要があります.


どうもありがとうございます.


http://youtu.be/MMXwj0bKvpM?t=768



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*本稿は, 2017.2.13, The King’s Reportにおいて,康賢實オモニムが韓国語で語られた内容を,エルダー本部長が通訳されたものです.


**訳者注 ヨハネ19:25参照


<鷹の目>
康オモニムの聖書に関する深い洞察に感銘を受けます.イエス様のご生涯がどれ程,惨めで悲惨でしたか.霊的な証を聴いて,私達はその一部を知りましたが,もう,顔をあげることもできないようなお話ばかりでした.それでも,イエス様は最期まで,人類を愛し,十字架の道を行かれました.アボニムは,イエス様の十字架の道を生きて超えられたと聞いています.最期まで,弟子と人類を愛したアボニムのお姿が目に浮かびます.イエス様の最期とアボニムの最期が重なって,見えてきます.


今,私達は多くの恵沢を頂き,時に,心身の十字架を担うことがあるかも知れませんが,イエス様やアボニムが背負われた十字架を思うと,殆ど,歯牙にかけることもないようなものです.


金大中の後継であった廬武鉉と金正日の会談以来,10余年振りに,文在寅,金正恩の南北首脳会談が挙行されました.保守系の10年間が過ぎ,韓国が再び,大きく左傾化した証左です.金大中や廬武鉉は北に多額の資金を提供し,その結果,北は強大なICBMや核兵器を持つことになりました.文在寅は,北に資金に加えて何を提供するつもりでしょうか.「一国二体制」などという欺瞞を中共は,使っていますが,実態は独裁です.共産主義の本質は変わっていません.韓国の心ある人達が,現政権の欺瞞に気づき,蜂起することを期待します.

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