サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「玉世賢お母さん,統一教会の誇り」



2017.2.21


拝読: こういうわけで,兄弟達,神の憐みによってあなた方に勧めます.自分の体を神に喜ばれる聖なる生ける生贄として献げなさい.これこそ,あなた方のなすべき礼拝です.あなた方はこの世に倣ってはなりません.むしろ,心を新たにして自分を変えて頂き,何が神の御心であるか,何が善いことで,神に喜ばれ,また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい.…ロマ12:1-2


今日は,皆さんがよく知っている聖句について語りたいと思います.その聖句は,私達の体を生ける生贄としなさいと言っています.今日は,体を生ける生贄とした人々,統一教会を誇った食口達,私達が,世界中で誇れる人達について語ります.


最初は,玉世賢(オクセヒョン)お母さんです.玉お母さんは,アボニムが興南収容所に収監されていた時に,月に一回アボニムを訪ねた人です.季節毎に,彼女はアボニムのために,新しい衣服を一揃い用意し,アボニムは季節に合う衣服を着ることが出来ました.彼女は,アボニムに食べ物を買われて,穀物をはったい粉にして,必要な時は,いつも新しい靴を買われました.彼女は,そのようにして月に一回,アボニムを訪ねました.私は彼女のことを考えると,いつも感激します.


彼女の夫は,他のキリスト教派の長老でした.そして,彼は私と同じ神学校で学びました.彼女が投獄されたアボニムを訪ねる時は,いつも夫は行かない様に命じました.そして,彼女の教会も彼女の行為に反対しました.反対にも関わらず,彼女は,月に一回行き続けました.


彼女は,夫に知られない様に行かなければなりませんでした.だから,彼女は泥棒のようにこそこそ行きました.彼女は「私がこのことを続けると,夫が離婚すると言うので,私は,今回で最後にする必要がある」と感じたことを詳しく話してくれました.その考えは,彼女が訪問した帰りに,出てきました.その時,彼女は,一人の老人を見ました.白髪と白髭の老人は,彼女の前で「あなたは,どうしてそのように考えますか.どうして文師をもう訪ねないと考えますか.彼は,あなたに期待しています.彼はあなたの訪問を楽しみに待っています.そして,毎月あなたに会うのを楽しみに待っています.だから,あなたは訪問を続ける必要があります.」と言われました.


彼女は,老人に言われたようにしました.月に一回アボニムを訪ね続けました.後に彼女は証しています.彼女は実際,感謝していました.アボニムと一緒に長く居られたのは,この老人が,行き続けるように指示してくれたためであり,彼女は残らなければならず,行き続けなければならないことを知りました.


玉お母さんは,私に言われました「私が行くのを辞めると,何が起こったか私には分かりません.私は,老人が,私に行くように励ましてくれたことを本当に感謝しています.」玉お母さんは私を指導して下さいました「賢實さん,どんなに難しいことがあっても,5年間待って,5年を耐えて欲しいのです.5年の内に,世界は変わります.アボニムの世界になるでしょう.世界が変わり,社会が変わり,教会が変わり,全てが変わることを,あなたは見るでしょう.5年間耐えて下さい.」


私は,玉お母さんの言葉にとても感謝しています.もし,彼女が私に5年という期間を下さらなかったら,私は続けられなかったかも知れません.途中で辞めていたかもしれません.でも,彼女がそのように励まして下さったので,私は残ることが出来,今日,ここに居られます.


玉お母さんは,裕福な家の人でした.何人かの息子達と娘達は,よくやっていました.しかし,彼女は恩着せがましく語る夫と彼女のすることに反対する子供達と生きなければなりませんでした.だから,彼女は,彼らが常時反対するので,彼らと別居しなければなりませんでした.私は,彼女が導いて下さった道に本当に感謝しています.


玉お母さんは,収監されたアボニムを訪ねたことを何度も語って下さいました.彼女は,ご自分の利益やご自身の栄光のために訪れませんでした.アボニムのために,ご自身の体を生ける生贄とされて,訪ねました.彼女は,アボニムに届ける物を風呂敷に包んで,昔の韓国女性がしたように,頭の上に載せて運びました.


収容所に着くと,彼女は運んできた物を全て開梱し,アボニムは彼女に会うと,とても幸せで嬉しかったのです.アボニムは,彼女をどれぐらい待っていたかを語られました.もう数日したら,彼女が来てくれることを考えると,夜も眠られない日が,どれほどあったかを語られました.彼女は,それがとても悲しかったのです.その悲しみは,彼女の骨身にしみるものでした.収監されたアボニムと一緒にいることが,彼女にはとてつもない心の苦痛でした.しかし,月に一回アボニムを訪ねられることに,とても感謝しました.


私達より前にこの信仰の道を歩んだ人達は,容易な道を歩んだ人達ではありません.あざけられ,批難され,反対され,迫害されても,彼らはこの道を続けました.私達が,今日ここにいられるのは,彼らのお陰です.アボニムは,私に何度も玉お母さんの世話をするように言われました.彼女は,唾を吐きかけられても,あざけられても,あらゆる迫害を受けても,アボニムを訪ねることは彼女の使命と考えて,そうされたからです.どんな困難があっても,彼女は行き続けました.


玉お母さんは,ご自分の髪を切り,それを使って,アボニムのために靴下を編みました.私は,その靴下を見ました.私は,彼女があの靴下をどのように編まれたかを想像できました.ステッチ毎に,彼女はアボニムのために涙されたことでしょう.そして,どれ程精誠を込めて,あの靴下を編まれたでしょうか.


彼女の年少の娘さんが訪ね,泣いて,彼女を叩いた時,娘さんは「お母さん,あなたはどうして,こんなことをしていますか.私達は貧しくありません.必要な物は何でもあります.不足はありません.どうしてあなたは,毎月,あんなに遠い興南に,半島を横切って行くのですか.」と言いました.当時,そこに行くのはとても難しかったのです.直行の汽車はありませんでした.しかし,玉お母さんは,そうすることを続けました.


アボニムは,私に一度,証をするように言われました.そして,私は,玉お母さんに5年間耐えるように言われたこととその時はもう20年経っていたことを証ました.証の中で「私は,まだこの道を歩んでいます」と言いました.そして,アボニムは笑われました.私は「20年後にも」「神様のみ旨は未だ,果たされていませんが,私はその途上にあります」と付け加えました.


彼女がお祈りされると,深く,涙で,声はかすれていました.


このような方が生きていらしたこと,天地にこのような方がいらしたということは,本当に驚きでした.私は,今90歳です.私はいつ霊界に逝くか分かりませんが,今朝,私が霊界に逝く前に,彼女のことを証すことが大切であることを感じました.


私達が玉お母さんと同じ気持ちになること,彼女がアボニムに侍った道を相続すること,そして,アボニムに仕え,毎月収容所を訪ねて,全霊と全知と全意思を投じて,アボニムに侍られたことが本当に大切です.


彼女が毎月どのようにアボニムを訪ね,穀物のはったい粉を上げたかを考えると,アボニムはそれをどんなに喜んで受け取られ,彼の部屋の囚人達にその喜びを広げ,はったい粉を分けて上げたことでしょうか.


彼女はそこにいましたが,私達はいませんでした.彼女は私達の代わりに,その状況でアボニムに侍られました.アボニムは言われました.彼女は重要な人ではないかも知れないが,天国では,彼女はとてつもない賞を受けるでしょう.彼女は,誰もしていない時に,そのようにしたからです.


私達は,それを覚えて,そして,彼女がされたように,私達自身を生ける生贄とする必要があると思います.


ありがとうございます.


ビデオ: 




<鷹の目>
康オモニムが30分弱語っておられます.90歳を越えても,原稿を準備されて詳しい内容を,実にかくしゃくと語られています.ぜひ,ビデオを見て頂きたいと思います.


玉世賢お母さんは,アボニムが平壌時代に復帰された三人の女性の一人とされていて,霊的に鋭い方であったとも聞いていますが,詳しい証を初めて聞きました.教会の草創期は,迫害に次ぐ迫害であったことは容易に想像できます.その中傷罵倒のさ中にあっても,ご家庭を犠牲にされて,信仰を貫いて,毎月一度,興南のアボニムを訪ねられた玉お母さんがいらしたことは驚異中の驚異です.汽車もソウル経由だったと聞いています.何十時間もかけて,毎月訪問された玉お母さんの精誠に涙が溢れます.玉お母さんが投じて下さった精誠を私達も汲み取って,み旨を果たして行きたいものです.

×

非ログインユーザーとして返信する