サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「祈祷について」




2017.3.9



拝読: 歴代誌下16:9


「主は世界中至る所を見渡され,御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる.この事について,あなたは愚かだった.今後,あなたには戦争が続く.」


今日は,皆さんに祈祷について語りたいと思います.


信仰生活をおくる人々にとって,祈祷は必要不可欠です.祈祷が如何に不可欠かを説明するには,私達は,5分間息をしなくても生きられないことを思い起こしましょう.生きている人々にとって,呼吸を続け事が最も重要です.


祈祷の必要性を理解することは最も重要です.私達が祈祷する時,神様の霊が私達に入り,神様が私達を通して役事されることを感じる事が大切です.


祈祷する人々は,神様が彼らに入って来られ,彼らを通して役事されるという心を抱く必要があります.神様が私達の中にいらっしゃり,アボニムが私達の中におられ,私達の所に来られ,私達を通して語られる時,私達は霊的にもっと成長できます.


人々はしばしば祈祷し,霊感を受けています.祈祷は栄養です.私達が毎日食べなければならない食事のようなものです.祈祷は真剣である筈です.私達は,単純に方式に従ったり,儀式や形式によってできるものではありません.祈祷する時は,神様と対話をしていますから,私達は心を集中する必要があり,正しくない考えは持てません.


統一原理の道を歩む私達にとって,その道は原理と対話するものです.


私達の祈祷が聞かれるかどうかは,私達がどれぐらい真剣に祈ったかによります.私達が為せば,祈祷は聞かれ,私達は神様を見ることもできます.もし,神様が私達の祈祷を聞いて下さらないなら,私達は,もっともっと深く祈る必要があります.祈祷にもっと長時間を費やし,祈祷にもっと精誠を尽く必要があります.


アボニムは言われました.彼が使命に立たれた初期において,1日に12時間以上祈るのが普通でした.


信仰生活において,私達が,神様とアボニムが私達の祈祷を通して働かれ,私達を通して,み旨を果たそうとされている事を体験し,気付く時,私達の祈祷は本当に聞かれたのです.


難しい局面にあっても,そのことのために私達が,深い精誠で祈ると,神様は私達のために,困難な状況を打開する道を開いて下さいます.


祈祷は,神様と私個人との間の約束であり契約であるとも考えられます.一度,契約にサインすると,私達はそれを守る必要があります.私達が難しい状況にある時,私達は祈って,神様に頼みます.大声でお願いします.


例えば,船がまさに難破しそうな時,一部が破損している時には,神様を信じていない人達も,「神様,私を助けて下さい」と神様に叫ぶでしょう.このことは,万民が,本心では神様がいらっしゃることを知っていることを示唆しています.そのように難しい状況では,人々は神様を信じる必要があると知っています.そして,助けてもらうために神様を掴む必要があると知っています.


私は,リー・キウォンという女性に一度会いました.彼女は,アボニムがお祈りしている時に,アボニムを証した人です.その時,アボニムはまだ18歳の学生でした.リーさんは,18歳のアボニムがお祈りされる時,机に座り祈られましたが,あまりにも多くの涙を流され,まるで,誰かが机と床に水をまき散らしたようでしたと語りました.彼女はその光景を見て,この男性は,将来信じられないような人になるだろうと考えました.何か,信じられないようなことを成し遂げると思いました.


リーさんが亡くなりました.家族は,彼女を共同墓地に埋葬しました.アボニムがそのことをお聞きになると,直ちに私達に,彼女の遺骨を韓国の私達の教会の墓地に移すように指示されました.


アボニムには,祈ってもらう三人の高齢の婦人による三位基台がありました.彼女達は祈祷の婦人達でした.彼女達は,彼が為している解決すべき困難な事に対して祈りました.また,彼が決める前に,その事に対して,彼女達に祈ってもらいました.

池承道(チスンドー)お婆さんは,儀式の礼服を作る時や特別な宗教儀式を準備する時に祈りました.彼女がどれ程真剣に祈ったかは,言葉では表現できません.彼女が祈られた時,「神様,私は切に願います.」と言われたのを覚えています.彼女が「切に」という言葉を発するのに,「私は切に願います」の一言を終えるのに5分要しました.彼女がどれ程真剣に祈っていたかということです.


神様が私達の祈祷に答えて下さることを期待するなら,私達は,最大の精誠を込めて,最高に真剣に祈る必要があります.私達が神様に祈り,「神様,あなたは何処にいらっしゃいますか」と尋ねる時,私達は神様の声を聴くことが出来ます.事実,「私は,あなたの心の中心にいる」という神様の声を聴くことができます.


神様は私達の心の根です.心の中心の根底です.そして,楽しい時も悲しい時も,私達と一緒です.神様は,私達の父ですから,どんな困難な時も,いつも私達を助けたいと願っています.


私達は祈る時,神様が私達の心の根であり,心の中心の根底であり,アボニムがいらっしゃる所である事を理解し,知る必要があります.私達が,神様の愛に酔う時,できないことはありません.


以前は,真の父母様の御名において祈りました.今は,自分達の名において祈っています.しかし,誰が,神様が生きておられ,私達と一緒であり,祈祷が聞かれたことを本当に信じていますか.


歴代誌下16:9に,「主は世界中至る所を見渡され,御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる.」とあります.


神様に対して中途半端ではなく,軽率な振舞いではなく,実際に,心が完全に一つなっている人達です.


今,私の話を聞いている皆さんは,今から,精誠と誠実,本当に全ての心と精神を神様に集中して祈り始めると,皆さんが願うことは全て実現されることを知っています.私達は,天の全権威を行使できる貴重な位置にいます.精誠を込めて祈れば,私達に不可能な事はありません.どうか,この事を信じて下さい.


私達が,完全に確信して祈る時,私達の祈祷は応えられるということを経験するでしょう.アボニムは,霊界の全ての障壁を撤廃されました.つまり,そのような結果が来るということです.


アボニムは,公的な使命を開始する際,このことを試験したと言われました.何かについて祈り始めると,それが成し遂げられるまで祈祷を続けました.祈祷によれば,不可能な事はありません.私達はそのことを唯信じなければなりません.私達は,難しい事が祈祷によって解決し,祈りが無ければ到達できないような所に行けることを経験するでしょう.


私達はいつも祈り,行動します.しかし,祈祷と行動が一緒に進行するのが真実です.活動するように,行動するように,私達は祈ります.もし,私達がそうすれば,信じられないような奇跡が起こることを見るでしょう.仮に,皆さんが祈祷の力を経験していないのなら,今から,今すぐに始めることを願います.そして,皆さんは,祈祷がどんなに信じられないような神秘な経験であるかを知るでしょう.


皆さんが,絶えず祈れば,その日に何をしていても,皆さんは,素晴らしい事が起こるのを見るでしょう.それが,皆さんの経験となります.祈祷する時,皆さんの霊眼が開いて来ます.霊眼が開くと,皆さんが伝道する必要のある人達を導くのです.私達の教会の集まりが信じられない程伸びるのは,時間の問題です.


皆さんがどんな困難に立ち向かっていても,困難が解決される奇跡があるのです.今日,聞いている人達が祈祷の人々になる事を願います.皆さんがそうなれば,皆さんの願いは全て実現するでしょう.成し遂げられるまで,皆さんは祈り続けるだけです.


最後に,アボニムのようになりましょう.天地を抱き,地上と霊界のために祈りましょう.神様の摂理のために,祈祷を通して信じられないような奇跡を成し遂げられる人々となりましょう.


どうもありがとうございました.


ビデオ: 

19:25-47:10




<鷹の目>
康オモニムが,祈祷に関して自信をもって堂々と語っておられます.そのお姿をご覧下さい.本稿では,具体的なお話がありませんが,康オモニムは草創期に,多くの困難に遭遇しても,神様に真剣に祈祷することによって,困難が悉く解消して,道が開けた事を多々証されています.


信仰における祈祷の重要性については,今更言うこともないと思いますが,康オモニムが証されているように,本当に精誠を尽くして,真剣に祈ると,その祈りは神様に聞かれ,何らかの結果が生じるものです.小生も若い頃,深夜に祈祷室に入り,長時間祈祷して,そのまま朝を迎えたような事が度々ありました.ずっと祈り続けると,祈り切ったという実感が沸いて来て,暫くすると具体的な結果が出ました.伝道に注力する時は,対象者が与えられるまで,何日も何日も祈り続けたものでした.皆さんも,同様の経験を持たれていると思います.


不肖,私共がサンクチュアリに移った時も,最後は神様に,いわゆる談判祈祷をしました.サンクチュアリのことは聞いていましたが,余り気にしていませんでした.まさか,家庭連合が信仰の根本において変質していたとは,思いもしなかったからです.変質を知った時に,言葉を失いました.そして,サンクチュアリに移る事を決意した後も,韓オモニムを間近で見る機会がありました.韓オモニムに最後の一縷の望みを持っていましたが,それも,韓氏の変貌を見て完全にも消え去りました.


神様の救済摂理は未完です.今も,神様は私達一人一人を訪ねておられると思います.そして,いつか気付いて,目覚めて,立ち上がる時があるであろうと期待して,見つめておられると思います.信仰生活を歩む人々には,尚更でしょう.神様の期待はもっと大きいと思います.神様の願う正しい道を知り,その道を歩みましょう.

×

非ログインユーザーとして返信する