サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「アボニムは1950年代にどのように祈られたか」


2017.4.28


聖書拝読: ヨハネ14:1-2


心を騒がせるな.神を信じなさい.そして,私をも信じなさい.私の父の家には住む所がたくさんある.もしなければ,あなた方の為に場所を用意しに行くと言ったであろう.


今日は,アボニムが1950年代にどのように祈られたかについて,語りたいと思います.


アボニムは祈られました.


「歴史を通して,働いて下さった私達の神様,どうか,あなたに侍る方法を教えて下さい.どうか,あなたの事情を知るようにお許し下さい.神様,歴史を通して,あなたは人類を心配され,サタンと戦って来られました.どうか,神様,希望を持ち続け,栄光の位置に導く為に,あなたが選ばれた人々を抱くあなたの御心情が分かるようにお許し下さい.


私達が生まれ来たことや,今日得られる栄光を受けることが出来るのは,私達の為ではなく,あなたが私達に恩賜を下さったからです.だから,私達はあなたの恩賜に感謝致します.


私達を,世界におけるあなたの代身として下さい.あなたの御旨を,世界で達成できる息子・娘として下さい.


私達は,あなたが人類によって,栄光を受けるあなたの御旨を完成する為に地上に居ます.私達は,全人類に到達する基台を,あなたのために創り,あなたの御旨を世界で完成することのできる栄光を齎すことができることを切に願います.


私達が,ここに居るのは,自分達の為とは考えないで,私達は,天宙全体の為に,そして,未来の世界の為に,ここに居ると分からせて下さい.私達を,世界の前に,恥ずかしくない息子.娘として下さい.私達は,ここに喜びの栄光を持つことができる事実に,誇りを持てることを願います.


お父様,ここに集まった人々は,あなたに率直でしょうか.彼らは,犠牲(祭物)になりましたか.彼らは,十字架を背負って,ゴルゴダを越えましたか.彼らは,未来の栄光の為にここに居ますか.そして,彼らは,サタンと闘い,サタンを打ち負かしましたか.どうか,彼らと共にあって下さい.お父様,私達が,そのような息子・娘になれるように,結果として,あなたに栄光を齎すことが出来るように,懇切に願います.


お父様,私達が,この道において,完全にあなたに従うことの出来る息子・娘となれるように,懇切に願います.私達を,あなたの前に,孝子・孝女と成らせて下さい.


この全てを,主の御名によってお祈り致します.」


1957.6.23


「私達は,神様の前に,恥ずかしくない息子・娘にならなければなりません.この事は,真の父母様の願いです.私達は,これを完成するよう,神様に許諾願います.私達は,神様の前で,孝子・孝女となる必要があり,これを完成する為に,神様が,私達を導いて下さることを願います.全てを,主の御名によって,お願い致します.」


これらは,アボニムのずっと昔の祈祷でした.今朝の私のメッセージは,とても簡単です.つまり,私達は,神様の御旨の前に,忠臣とならなければならないという事です.これは,アボニムが私達に,真心から,深く願った事です.私達は,アボニムが,私達に神様の前で,孝子となることを願われた意味を,考える必要があります.


「一人の子が,父母に,彼らの好きな料理や食事,食べ物を持ってくれば十分ではないですか.彼が,父母に,あらゆる種類の高級料理を持ってくれば十分ですか.孝子になれば十分ですか.それとも,孝子になる事は,私達があらゆる種類の富と財宝を,父母に持ってくれば十分ですか.


子女が,あらゆる種類の素晴らしい食べ物や富,そして,栄光を父母に持ってきても,その子が父母に対して愛の心が無ければ,全ての物は,誠意のある献物ではありません.


孝子は,何時も,苦難の道を歩まなければなりません.そして,彼が,父母の為に苦難の道を行ったとしても,彼は,それを祝福と考え,克服し,苦難を越えて,もっと大きい価値を探すでしょう.


最も偉大な事は,愛を追及する事です.子女の父母への愛です.父子の関係において,これは,孝子の道であり,彼がしなければならない事です.これは,誰も否定できない原理です.それは,絶対です.」

アボニムは,語りたいことの全ては語れないと,しばしば言われました.祈祷されると,時々,一つの言葉を徹夜で祈られました.一つの言葉は「お父様」です.彼は.「お父様」と徹夜で繰り返しました.


彼は,神様に言われました.
「私は,自分が成した大きなことを,あなたにお見せしたいのですが,私が見せられるのは,破滅ばかりです.私は,怖いのです.」彼は,神様の事情を考えて,しばしば,涙されました.


アボニムが神様に関わった道と,私達がアボニムに関わった道を比較すると,私達が,何度も余りにも傲慢であった,傲慢過ぎであったことに気付きます.私達が,人生をどのように生きたかを振り返ると,何度も,アボニムの為に生きないで,アボニムの為にしないで,自分達を自慢し,宣伝する為に多くの事をしていた事に気付きます.


「孝子は,父母の事情と心情を最優先します.孝子は,自分の責任を果たせない時,下を向いて,額を地につけて跪いて,神様に恩賜を取り去らないように祈祷します.そのように生きない限り,私達は,孝子または,愛国者にはなれません.」


アボニムも,神様の前に,孝子となり,愛国者となるために,このような道を歩まれました.アボニムは,私達の事を異端と呼ぶ者達は,将来,困難で惨めな所に行くと,しばしば言われました.「統一教会の時が来る.」と言われました.


統一教会の食口達が食事をしている食器は,金の食器であり,食口達の位置と私達を異端と呼ぶ者達の位置は,完全に逆転すると,言われました.


「女性達は,この時代の為に生まれた勇敢な兵士達の妻にならなければならず,そして,この状況に生まれた男性達は,真の勇者にならなければなりません.私達は,真の孝子,愛国者となって生きなければなりません.私達は,この事を成すために決意しなければなりません.


あなたが,30代,40代,50代であっても,あなたは,神様の御旨の為に生きて,統一教会の食口達を誇るべきです.


あなたが,今まで困難な人生を生きて来たなら,恨んではいけません.逆に,あなたが,父母の心情をもっと深く理解するためのチャンスであったと気付くべきです.それらの困難は,あなたを導く,夜空の星のようになるでしょう.


孝子は,妻や子供達のためよりも,両親の為に生きる息子です.家庭の中心となって,真の父母様に繋がることの出来る男性です.そして,そのような男性だけが,真の父母様と一つとなった家庭を作り,その位置を子女達に,渡すことが出来ます.


その人こそが,神様の御旨を地上に実現できる勝利者となれます.」


アボニムは,言われました.


「あなたは,誰が真の愛国者か知っていますか.家庭において,孝子の模範となる人であり,それを国家に拡張する人です.彼は,父母や妻子を愛する以上に,国家を愛する人です.孝子は,父母が病気になれば,命をかけて病気を治す術を見出す人です.だから,誰かが父母に対する心と同じ心を,国家に対して抱けば,彼は真の愛国者となれます.あなたが,そのように心を家庭レベルから国家レベルに拡張すれば,神様は確実に,あなたと共にいらっしゃるでしょう.


私は,みなさんに聞きます.このような心を妻子に持ち,水平に拡張して,国家と国民を同じ心で愛せますか.そのように国家を愛し,国民を愛し,社会を愛し,隣人を愛していますか.このように出来る人達は,心が愛に満たされた社会を創る,真の孝子であり,愛国者です.


しかし,愛国者は,その国家に限定されます.誰かが,国家において愛され,愛国者と考えられても,彼は,世界を愛する人にはなれません.


そこで,世界の聖人とは誰ですか.世界の聖人とは,国家のために持った愛を,世界レベルまで拡張した愛国者です.聖人は,全人類と全世界のために生きる人です.聖人は,父母と国家を愛し,その愛を,国家よりも世界の為に生きるように拡張する人です.それは,私が皆さんになって欲しいと思う種類の人です.

その様な人は,全ての国家,民族,人種を超越するでしょう.彼は,世界を救う為に生き,世界に救いを齎すでしょう.だから,これが聖人の道であり,聖人が行かなければならない道です.」


これらの御言は,以前,アボニムが語られました.私は,皆さんに,アボニムの祈祷と一緒に話しました.どうか,世界的な価値のある人となって下さい.父母の為に生き,国家と世界の為に生きて下さい.世界で明るく輝く星となり,世界の為に生きて下さい.


どうも,ありがとうございます.


ビデオ: 

20:00-52:45



<鷹の目>
私達は,日々,家庭盟誓を唱えながら,家庭では孝子,国家では忠臣,世界では聖人,天宙では聖子の家庭の道理を完成することを誓っています.さて,何処まで果たしたでしょうか.家庭レベルは比較的容易かも知れませんが,国家レベルとなると,私達の歩みの影響は殆どありませんが,社会の為に生きることが,結果として,国家の為に生きることであり,国家に忠誠を尽くすことに繋がります.幻想を抱いて国家を弱体化しているような人達は,不忠者です.彼らは,自分の立ち位置が分かっていません.例えば昨今,安倍政権を倒すために,殆ど無意味な言行を繰り返す野党の国会議員達がいますが,彼らは,他にすべきことが山程あると言うのに,安倍反対の祭り騒ぎに昂じているだけです.彼らこそ,忠臣の真逆,奸臣,某国の輩です.


世界的な活躍とは,どういう事でしょうか.例えば,海外に何年か住んで,諸活動をしても,その国に影響するような足跡を残すことは簡単ではありません.私達にできる事は,限られた人達に,何らかの影響を与える程度です.でも,個々人に与えた影響は,意外と長く,人の心と頭脳に残るものです.それが,大きく深い内容であればある程,その後も影響を及ぼすと思います.良い言行に感動すると,その言行を生涯忘れられないようなことも有ります.


私達は,生前のアボニムから,直接,間接に御言を頂き,祈祷を聞いて,心底に残る感動があったのではないでしょうか.国家や世界に影響を与えることと,個々人に影響を与えることは同格です.対象が異なるだけです.私達は,アボニムの生きた御言を携えて,また,生きた祈祷を胸に抱いて,自国民に,そして,他国民に,私達がアボニムから受けた影響と同じ影響を与えようではありませんか.勿論,言語の壁はあります.しかし,アボニムが長く米国に滞在されて,多くの場合,通訳を介して,御言を語って下さいましたが,英訳された御言にも,多くの人達が感動し,復活の息吹を上げたことを忘れてはなりません.


神様の御旨が未完成のまま残っています.私達の人生の限られた時間と空間の中で,いか程の事も出来ないかも知れませんが,日々,与えられた環境において,できることから始めて行う事です.そして,神様とアボニムの前に,更には二代王様の前に,誇れる報告内容を持ちましょう.


なお,1957.6.23のアボニムの祈祷は,祈祷集に編纂されています(祈禱215).本稿は,康オモニムが語られた韓国語を英訳しており,細部においては,表現が多少異なっている事を付記しておきます.

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