サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「サードゥ・スンダ・シン」


2017.5.11


聖書拝読: マタイ11:28


疲れた者,重荷を負う者は,誰でも私のもとに来なさい.休ませてあげよう.


皆さん,おはようございます.


今朝は,イエス様が現れた事で有名なインド出身のスンダ・シンについて,語りたいと思います.


近頃は,科学と技術が発達し,結果として,キリスト教は,魅力を失いましたが,神様は,イエス様と神様を証するために特別な人を遣わされました.その人は,インド出身のサードゥ・スンダ・シンと言う人です.


彼は,インド北部のプンジャブ,ランプール・カタニアの村のシーク教徒の家に生まれました.彼は,裕福な家に生まれ,両親の暖かい愛の中で育てられました.彼は,1889年生まれで,幼い頃からとても宗教性がありました.7歳の時,彼は,インドの経典を暗唱することが出来ました.そして,彼は,聖書と他の宗教の経典を学びました.


宗教と宗教哲学を学べば学ぶ程,彼は,真理への大きな望みを抱き,満足できませんでした.そして,彼は,真理への望みを満たそうとして,インドの多くの有名な聖徒達を訪ねましたが,誰も彼を満足させられませんでした.学校では,彼は,実際強い反クリスチャンでした.ある時,彼は,聖書に油を注いで,燃やしました.彼の反クリスチャンの気持ちの為に,彼はトラブルに巻き込まれました.そして,お父さんは,彼を他の学校に送りました.


彼は,忠実なシーク教徒で,シーク教が道であると主張しました.真理の探究において,彼は,瞑想もしましたが,もっと大きい知識への望みに対して,闘争を続けました.ある時,彼は考えました「では,私が引き裂いたこれらの聖書は,全ての後に,多分何か言いたい事があるだろう.多分それらの中に,良い事があるだろう.」


そして,彼は,聖書を手にして,無造作に開くと,マタイ11:28の聖句に目が止まりました.「疲れた者,重荷を負う者は,誰でも私のもとに来なさい.休ませてあげよう.」その聖句を読むと,彼は気持ちが良くなりました.彼は,それから大きな啓示を受けましたが,未だ,彼は,シーク教の伝統宗教から抜け出す事は出来ませんでした.彼は,聖書は何かを与えてくれると気付きましたが,それでも彼が信者となるのは,とても困難でした.


彼は,教師を訪ね,質問しました.また,彼は,彼の知らない事を指導してくれるように,その教師に頼みました.ある時,彼は,もう一度聖書を開きました.ヨハネ3:16を見ました「神は,その独り子をお与えになった程に,世を愛された.独り子を信じる者が一人も滅びないで,永遠の命を得るためである.」この聖句は,彼に,再度,大きな啓示を与えました.


しかし,彼は未だ,イエス様を信じる必要があるという,かすかな感覚がありませんでした.そして,彼は心中もっと困りました,自己矛盾と苦悩のために.彼は,とても葛藤しました.自殺を考える程,逡巡しました.そして,彼は霊界に入り,そこで真理を探究しました.


彼は生涯,真理の探究の線上にありましたが,彼が満足する真理を見出す事は,彼には易しい事ではありませんでした.彼は,早朝に起きるようにしました.12月でも,霊的な条件として,冷水で身を清めました.彼は,懇願しました.「神様がいらっしゃるなら,私に現れて下さい.」祈りの中に,彼は加えました.彼がこのような精誠をもって祈っても,まだ,神様は彼に現れず,彼は,鉄道の列車に身を投じようとしました.彼の家を毎日5時に通過する列車があり,彼は,その列車に身を投じて,自殺しようとしました.


そして,4:40頃,列車の来る30分前に,彼はとても変な体験をしました.彼は,後に,以下のように証しています.「彼が祈っていた部屋で,彼は,黄金の光を見ました.初めは,何かが燃えていると思いました.周りを見ましたが,燃えている物は何もありませんでした.そして,彼は『これは,神様が私に下さった答えに違いない』と感じました.彼は,光の中を見て,『ああ,これはイエス・キリストが私に現れたに違いない』と直感し始めました.


これは,その時彼がどのように感じたかでした.彼は,神様とイエス様が,栄光の中に,彼の前に現れたと感じました.とても貴重で,聖なる現象が,彼の目の前で起こりました.彼は言いました.もし,インドの宗教の神様が,彼に現れたら,彼は,直ぐに,その神様の前に敬拝をしたでしょう.もし,それが,彼にとって喜びであれば,彼は跪いて,その神様を崇拝したでしょう.


しかし,彼は信じました「これは,私が,数日前まで呪い続けていたイエス様である.」彼は,イエス様がインド語と母国語で彼に語られるのを聞いたように思いました.彼は,イエス様が言われたことを聞きました「何故,私を迫害するのか.私は,全世界のために,十字架で亡くなりました.私は,あなたに,この事を理解して欲しい.」


その瞬間,彼は,イエス様は十字架で亡くなられたが,実際には,彼は亡くなっていなかった事に気付き,
そう確信しました.彼は,今も生きておられる.事実,彼は,イエス・キリスト御自身の前に居ました.そして,彼は,心に途方もない平安が訪れ,頭を垂れました.彼は,感じました「これが,私が捜していた平和です.これが,私が本当に願っていた事です.」スンダ・シンがもう一度立ち上がると,イエス様を見る事は出来ませんでしたが,心の中の平安な気持ちは,生涯彼に残りました.


彼は,眠っているお父さんの所に行き,起こして言いました「私は,キリスト教徒になりました.」お父さんは言いました.「戻って,眠りなさい.君は,数日前に,聖書を破いていた.クリスチャンになったと言うのは,どういう意味ですか.私は信じられない.」彼は答えました「イエス・キリストは今も生きておられることを,私の目で見たことを証します.」そして,彼は宣言しました「今から,私は,イエス様に従います.今日から,私はイエス様の弟子であり,私は彼に仕えます.」


彼は,イエス様が火となって,彼の前に現れたことを体験しました.そして,この事が,彼の哲学を完璧に変えました.彼は,新生したことを感じました.そして,キリストのニュースを20世紀の人々に伝え,キリストを伝道する決意をしました.


スンダ・シンのことを考えると,私は,二代王様が,どのようにアボニムが,彼を通して,霊的な役事をされるかと,何時も語られることを思い出します.二代王様は言われました「私は,自分が語りたいことだけを語っていません.アボニムが私を通して語っておられます.」そして,私がそれを聞くと,深く啓発されます.二代王様は,続けます「アボニムが,言うべきことを私に語られます.そして,私は,自分が語りたいことだけを話していません.私は,アボニムが指示されることを,ただ表出しています.」私は,彼が何回か証言しているのを聞きました.彼は,自分の意思で語っていません.唯,アボニムの意思に従って語っています.彼は,アボニムが彼に語るように言われた事だけを語っています.


私達は,アボニムは,亡くなっておられないという事を信じ,知る必要があります.彼は,未だ生きておられ,彼の摂理を指揮されています.私達が,二代王様がされるようにすれば,アボニムが私達に言われたようにすれば,アボニムが私達に語られたように語れば,私達の目の前で,驚くような奇蹟が起こるでしょう.私達が,アボニムが私達に語られたようにすれば,私達は,スンダ・シンがシーク教からキリスト教に変わった以上に大きい奇蹟を体験するでしょう.


神様が亡くなったと考えてはいけません.アボニムが亡くなり,もう何も霊的な役事をされていないと考えてはいけません.その代わりに,彼は生きておられ,私達と一緒に働かれ,そして,私達が信じる事は何でも実現する事を知って,信じましょう.


一人のサンクチュアリ食口が私に言いました「私達が聞く,二代王様の御言は,彼の御言ではなく,アボニムの御言です.二代王様を通して,アボニムが語っておられます.」私達がそう信じて,それらの御言に従って活動すれば,驚くことが,世界に起こることを,私は確信します.二代王様と同じ信仰と確信を持ちましょう.私達がそうすれば,私達が真理であると信じる事は何事も,本当になるでしょう.


私が,アボニムにお会いした日,彼は言われました「この家は貧しく,みすぼらしいが,この家から発する御言は,キリスト教を統一し,世界の全ての宗教を統一するでしょう.」


アボニムがそう言われた時,私は心の中で疑いました「この家は小さいし,彼には2,3人のメンバーしかいない.彼は,キリスト教の統一,全宗教の統一を語っている.世界の統一まで語っている.天宙まで統一すると」私は,「天宙」という言葉を聞いたことがなく,アボニムに尋ねました「どういう意味ですか」彼は,答えてくれました「天と地の事です.これは,天と地を統一するのです.」


私は,心の中で疑っていました.アボニムはその事を察して,私に尋ねました「聖書を持っていますか」私は「はい,ここにあります」と答えました.彼は,更に「宜しい,何処でもランダムに開けて,どの聖句でも指して下さい.何でもいいです.」そして,私は聖書を開いて,マタイ伝14章にしました.そして,アボニムに言いました「私は,14章を見ています.」アボニムは「では,31節は何と言っていますか」


それは,イエス様がペテロに,船から出て,水の上を歩くように言われた箇所でした.ペテロは,始めましたが,風が吹いて,怖くなりました.彼は沈みかけたので,イエス様に叫びました「どうか,私を救って下さい」そして,31節では,イエス様は,手を伸ばされて,ペテロに語りました「信仰の薄い者よ,何故疑ったのか」


ここで,イエス様はペテロに語られました.もし,彼が,唯信じていれば,御自身がされたように,水の上さえも歩くことができたのです.


アボニムは,私に31節を拝読するように言われました.「信仰の薄い者よ,何故疑ったのか」アボニムは言われました.「はい,これは,私があなたに語る事ではありません.聖書です.聖書が,あなたに語っています.『信仰の薄い者よ,何故疑ったのか』」


だから,問題は,私達の信仰です.私達は,どれ程強く信じられますか,どれぐらい強い信仰を持っていますか.これが,私達が成せることを決定します.この場合は,私達は,その信仰がある限り,何でも成せることを,私は強く信じます.


神様とアボニムは,私達の過去も,現在も,そして,未来もご存知です.アボニムは,私達の百年前の先祖を,千年前の先祖が誰かをご存知です.私達が,アボニムが,これらを全てご存知であると信じれば,彼は,私達の全てをご存知の方として,私達の前に現れます.しかし,私達が,そう信じない時は,彼は,私達の所には来ることが出来ず,来られません.


今朝は,シーク教からキリスト教に転向したスンダ・シンについて語りました.シーク教徒は,ご存知のように,頭にターバンを巻いています.


アボニムは,途方もない摂理を,地上で為されたのと同様に,続けて指揮されています.私達が,アボニムが,霊界において続けられている摂理の役事を信じる程度によって,私達が成せることが決定されます.


今日,私達は迫害されています.人々は私達を指差し,呪っていますが,それは問題ではありません.問題は,私達が,どれだけそれを忍耐して,克服できるかです.問題は,私達の信仰であり,私達が,真の信仰を持つ事です.誰もが信じる事を信じるのは,容易ですが,誰も信じない事を,そして,見えない事を信じるのは,とても難しいのです.私達は,天一国の市民にふさわしい信仰を持つ必要がある時です.そして,不可能と思えることを信じる必要がある時です.私達が,そのような強い信仰を持てば,それらを齎すことが出来るでしょう.


その様な信仰を持ちましょう.一髪の不信仰も持ってはいけませんが,完全な信仰を持ちましょう,これらのことを成せる完璧な信仰です.私達がそうする時,結果を出す事ができます.それは,神様がこの時代に為そうとされた理想を十二分に,実現することです.この事は,神様とアボニムとイエス様に,喜びと栄光を齎します.そして,霊界の全霊が,私達と共に働き,アボニムだけでなく,霊界の全ての霊が,そうすることが出来るでしょう.


よって,今朝は,そのような信仰を持ちましょう.そして,これらの全てを完遂しましょう.


どうも,ありがとうございます.


ビデオ: 

34:47-1:16:53



<鷹の目>
私達は,どういう経緯で信仰を持つようになったのでしょうか.人生の事に悩み,悩み抜いた結果,原理を聞いた人もいるでしょう.キリスト教の土台の上に,統一教会に導かれた人もいるでしょう.あるいは,勝共運動から導かれた人もいるでしょう.日本では,ある時から,万物を授かり,鑑定などを受けて,原理を学び始めた人も多いと思います.様々な経緯があって,私達は今に至っています.そして,全員の共通事項は,再臨主,真の父母様,アボニムに出会ったという事です.康オモニムも,本稿の後半で証されているように,アボニムとの出会いが忘れられなかったのです.私達も,アボニムとの出会いは,生涯,忘れる事はできません.例え,教会を離れた人であっても,アボニムとの出会いは,忘れられないと思います.


スンダ・シン師(1889-1929)は,イエス様との鮮烈な出会いがありました.そして,その出会いは,まるで現代のパウロ(サウロ)の様でありました.クリスチャンやキリスト教と反駁し,迫害していたような彼が,イエス様に出会って,完全に転向しました.インドは,社会的にも,宗教的にも,複雑な国です.現在のインドは,人口の7割以上がヒンズー教徒です.クリスチャンは,人口の3%に満たないと報じられています.スンダ師の時代には,もっと少なかったのではないかと推測します.極少数派の中でも,彼は,綺羅星のような存在です.インド各地を回り,伝道活動をされたようです.チベットにも何度か足を運んだようです.最期は,定かではありませんが,チベットであったと言われています.


冒頭に戻りますが,イエス様やアボニムのような特別な聖人に出会うと,普通の人は,途轍もない衝撃を受けます.そして,その後の人生が大きく変わっていくのです.私達もそうでした.アボニムに出会って,人生が大きく転向したのではないでしょうか.それは,信仰の原点とも言える重要な事です.アボニムとの出会いを,或いはイエス様との出会いを,大切にしましょう.小生にも,一度だけですが,生涯,否,永遠に忘れられないアボニムとの出会いがあります.皆さんの持っておられるアボニムとの出会いを忘れないようにしましょう.そして,本稿にもあるように,アボニムは,今も休まれることは無いでしょう.神様の御旨が未完なままで,アボニムが休まれるでしょうか.霊界と地上界を遍在的に活躍されているに違いありません.
統一Gは分裂し,ますます,混迷の時期となりました.一度,神様とアボニムに真剣に祈って見ましょう.真摯に問えば,どうすれば良いかを必ず教示して下さる筈です.

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