サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「100歳で息子を授かったアブラハム」


2017.5.30


聖書拝読: 創世記 12:1-4


主はアブラムに言われた.
「あなたは生まれ故郷,父の家を離れて,私が示す地に行きなさい.
私はあなたを大いなる国民にし,あなたを祝福し,あなたの名を高める
祝福の源となるように.
あなたを祝福する人を私は祝福し,あなたを呪う者を私は呪う.
地上の氏族は全てあなたによって祝福に入る.」
アブラムは,主の言葉に従って旅立った.ロトも共に行った.
アブラムは,ハランを出発した時75歳であった.


皆さん,おはようございます.


今日は,100歳の時に一人の息子を授かったアブラハムについて,話したいと思います.一人の男性が100歳の時に一人の息子を授かることは,神様の奇蹟が為されたに違いありません.神様が彼と共にあったので,彼の力によって為されました.神様は,彼を信仰の祖としてご存知であり,彼を祝福しました.彼の生涯を通して,誰もが彼を信仰の祖として認識しており,その理由から彼を拝むことができます.


彼は,単に信仰の祖であるばかりではなく,神様によって,イスラエルの人々の父になるように選ばれました.彼は,何処に行っても神様を,彼の家族とイスラエルの神様として証ました.そして,彼はそれを内的にも外的にも示しました.彼は,何処に行っても,神様が彼の右手にいらして,神様が彼と共におられた事を,喜んで証ました.


創世記12章を読むと,神様は実際に,アブラハムを選ばれました.この時は,彼の名前は未だ,アブラムでした.第3節において,神様は,途方もない祝福を彼に与えました.神様が,誰でもアブラムを祝福する人は神様が祝福し,誰でも呪う者は神様に呪われる,と言われた事は,とても素晴らしい事です.


アブラハムは,神様が共に居て下さり,神様が彼を選んで下さったことを信じていたので,何処に行っても恐れはありませんでした.アブラハムは,彼の人生のどの場面においても,神様が何時も,共に居て下さったことを経験したに違いありません.最小の事から最大の事まで,神様が何時も彼と共にあって下さり,彼に協力し,また,日々彼の人生に干渉されました.


アブラハムは,何処に行っても,石を集めて,主の為に祭壇を築きました.彼は,神様がこの祭壇に来られて,そして,イスラエルの民の夢と願いを叶えて下さるように祈りました.この方法で,彼は,信仰の祖となる条件を立てました.そして,神様が彼と共に生きておられる事を,彼に協力して下さる事を,そして,彼の為す全ての事に,神様が共にあって下さった事を,多くの方法で実証しました.


アブラハムは,神様は存在するだけでなく,彼と彼の家族と来るイスラエルの国を守っておられるという信仰を持っていました.彼の信仰は,神様はイスラエルを守るだけではなく,イスラエルと共にあって下さるという信仰でした.アブラハムは,神様をイスラエルの神様として,この国を中心に摂理を導かれている神様として信じました.


私達も,神様が私達と共にあるだけではなく,神様は私達の味方であり,私達も神様の味方であり,神様が私達を中心に摂理を指揮されているという自信を持って人生を過ごしたら,それは,途方もない自信と慰労を私達に与えてくれるでしょう.


アブラハムには,息子が居ませんでしたが,100歳の時にイサクを授かりました.この息子は,彼にとってはとても大切であったに違いありません.そして,彼はイサクを大いに愛し,思いやりをもって育てたに違いありません.神様がアブラハムを試されたかどうかは分かりませんが, 神様がアブラハムに,イサクを祭壇に置いて,燔祭として献げるように語る時が来ました.


この息子は,彼が100歳の時に,遂に授かった息子でした.最も大切であったことは,私達も想像できます.しかし,神様は,この要求を彼に課しました.普通の人は,確実に不信仰に陥ったでしょうが,アブラハムは,神様がこの要求を課すには,もっと大きい御心があるに違いないと気付いていました.従って,彼は,神様に従い,いう事を聞くように決めました.


アブラハムは,この燔祭を献げるために,イサクと一緒にモリヤ山に登りました.登る途中,イサクは尋ねました「お父さん,今,私達は,この燔祭を献げるためにモリヤ山に登っています.薪があります.必要な物は全てありますが,実際の献げ物がありません.それは,何処にあるのですか.」アブラハムは,「ああ,私は実は,お前を殺して献げる.」とは答えませんでした.彼は,「神様が,きっと献げ物を備えて下さるだろう.」と答えました.


私達は,アブラハムがこれらの言葉を息子に話した時に,どのように感じたかを,多分想像することが出来るでしょう.しかし,彼がこのような状況で,山を登っていた時でさえ,彼は,神様の御言にほんの僅かの疑いもありませんでした.彼は,何時も,神様の御言に従順に従おうとしました.彼は,この燔祭の結果として,大きい祝福が来るに違いないと確信していました.


考えて見ましょう.仮に,神様があなたの所に来られて,あなたが100歳で授かった息子のように大切にしているものを献げなさいと言われたら,あなたは許諾し,従えますか.それを,あなたは信仰で越えられますか.それが,アブラハムが出来たことです.


今朝,私達は,微塵の疑いもなく,或いは,神様への僅かな不信仰もなく,この燔祭を進めたようなアブラハムの信仰を持てることを望みます.アブラハムは,この事が出来たので,今日の世界中の多くの人達が,彼を信仰の祖として仰いでいます.これは,何という祝福でしょうか.私達は,この事にどんなに感謝すべきでしょうか.彼の信仰は,50%とか90%ではなく,完全でした.100%でした.そして,彼は,この従順の結果,大きな祝福が来ると,絶対的に確信していました.


今朝は,あなたがそのような絶対信仰を持てば,神様はあなたと共にあり,あなたとあなたの子孫に大きな祝福を下さる事を,どうか信じて下さい.私は,アブラハムは信仰の祖と呼ばれる以上の値打ちがあったと感じます.神様は,「アブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神」,これら三世代の神様と呼ばれています.これは,アブラハムが第一世代として,この強い信仰を持ったからこそ可能でした.


そこで,アブラハムは息子を祭壇に載せて,彼を殺害する為にナイフを手にしました.その瞬間,彼は神様の声を聞きました「アブラハム,アブラハム,あなたは,息子に手を下してはいけない.」そして,アブラハムは実際には,息子イサクの燔祭を行わなかったのですが,神様は,彼が燔祭を完了したものとして,受け取られました.


今朝は,私達は,この話から学ぶ必要があります.仮に,神様が私達に,出来ないと思う事をするように,進んで,それをしなさいと言われたら,私達の中の信仰を見出しましょう.神様に頼るために,そして,神様がそれをされるために.私達が,それを出来るならば,神様は,私達を祝福し,私達の子孫はそのように信仰の位置に立つことが出来ることを知っています.


今日は,アブラハムと共にあった神様は,私達とも一緒におられ,神様は,私達の信仰と子孫を祝福して下さることを記憶しましょう.神様の御旨は,サンクチュアリ教会を通して完遂され,神様はサンクチュアリ教会と共におられ,神様の勝利の御旗は,サンクチュアリ教会によって,地上に立てられることを確信する必要があります.(ここで,二代王様は,アボジ,アボジと叫ばれます.)


私達は,迫害され,呪われています.私達は,弱小ですが,そうではありません.神様が私達と共におられるからです.神様の御旨は,三代王権を通して,完遂されるでしょう.特に,二代王様と王妃様を通して,神様の御旨は,今日地上において,このサンクチュアリ教会を中心に,成し遂げられています.


そして,神様の御旨は,将来,完遂されるのではなく,既に完遂された事を知って,前進しましょう.それが,既に完遂された事は事実です.その保証と共に前進しましょう.信仰と神様の御旨は成されたという確信をもって,世界中に勝利の旗を立てましょう.


神様は,唯,ゲームをしているのではありません.神様は,二代王様と王妃様,そして,三代王権によって,満たされることをご存知ですから,祝福されました.よって,私達の王様と王妃様の為に,熱心に祈りましょう.もし,世界中のサンクチュアリ食口が一つになれば,私達は,神様の御旨を実現し,勝利を齎すことが出来ることを確信しましょう.


私達の全ての思考,心,そして,意思をもって,王様と王妃様の為に祈りましょう.そうすれば,神様の御旨を果たすのに要する時間は,可能な限り短縮されるでしょう.私達は,熱心に祈る必要があり,そうすれば,この勝利の栄光は神様に,アボニムに,イエス様に返されるでしょう.私達は,また,霊界の全ての人達の協力の為に祈る必要があります.


神様の御旨は成されると考えないようにしましょう.神様の御旨は,既に完遂されたという確信を持ちましょう.そのように勝利する為には,私達にはそのような確信が必要です.


アブラハムが持った信仰を持ちましょう.彼は,神様から100歳の時に授かった息子を献げるように言われた時,躊躇しませんでした.神様と父母様に勝利を齎すために,そのような絶対信仰を持ちましょう.


どうも,ありがとうございます.


ビデオ: 


32:08-1:04:44



<鷹の目>
創世記22章には,神様がアブラハムを試みたと記されています.康オモニムは,神様がアブラハムを試されたかどうかは分からないと言われています.この微妙な機微をどう考えるべきでしょうか.象徴献祭に失敗したアブラハムは,より大きい蕩減条件を立てなければなりませんでした.神様から見ると,アブラハムは,二度と失敗は許されません.アブラハムは,神様の言われる通りに燔祭を献げることしか考えませんでした.神様から言われた通りに象徴献祭を献げることが出来なかったアブラハムは,長く失意の中にあったと思われます.一度の失敗から,抜け出せなかったと思われます.神様は,もう一度,アブラハムに機会を与えざるを得なかったのです.そして,それは,絶体絶命のような状況です.もう一度,アブラハムが失敗すると,復帰基台摂理の延長になったと思われます.アブラハムも人間ですから,神様は,絶対的な信頼を寄せることは出来なかったと思います.今度は,言う通りに燔祭を献げてくれるかどうか,神様は最後まで,不安を感じながら,アブラハムにイサク献祭を伝えたに違いありません.この状況を聖書には,神様がアブラハムを試みたと記してあります.


モリヤ山に向かう途中で,イサクとアブラハムの会話があります.イサクは,燔祭の子羊がないことを知っています.そして,父アブラハムの尋常でない様子も分かっています.そして,敢えて,燔祭の子羊のことを聞いたのは,自分が燔祭となる覚悟を表明したものと推察されます(本体論).アブラハムは,明確に応えていませんが,これは,人の親として,大切な息子に言える話ではなかったでしょう.アブラハムは,燔祭の事をイサクにどのように語り,どのように説得したのでしょうか.恐らく,イサクを殺して,燔祭が完了した事を確認した後,自分も死ぬ覚悟をして,話したと思います.神様のお告げがあったことをイサクに語ることが出来ず,三日の道のりを,ゆっくりゆっくり,歩き山登りをしながら,アブラハムは逡巡したに違いありません.神様から子孫を星の数程にすると約束されていて,希望の星として授かったイサクがどれ程愛おしく,期待をこめて,彼を育んだでしょうか.それを突然,神様から,イサクを献げものにしなさいと言われて,尋常である筈がありません.焦燥とジレンマの地獄の苦しみに突き落とされたに違いありません.悶え,苦しみ,喘いだ後に,最後に死を決意して,アブラハムはイサクを説得したと思います.
本稿では,「彼は,神様の御言にほんの僅かの疑いもありませんでした.彼は,何時も,神様の御言に従順に従おうとしました.」或いは,「微塵の疑いもなく,或いは,神様への僅かな不信仰もなく,この燔祭を進めたようなアブラハムの信仰」と言われていますが,事はさほど簡単なものではなかったと思います.
息子のイサクを殺す代わりに,自分を殺してほしいと願うのが親です.それらの思いを一切,かなぐり捨てて,イサクに話したことが想像されます.まさに父子の心は一致し,二人は絶対信仰をもって一体となり,信仰基台を復帰することが出来ました.


人類の代表として立てられた食口達が責任を果たせず,最も重要な位置にある韓オモニムも責任を果たせない状況において,アボニムは,一人で責任を取られたのではないでしょうか.真の家庭にまで侵入したサタンに,御自身のお体を渡して,人類を活かす道を残されたのではないでしょうか.イエス様の時も,人類はイエス様を不信しました.ペテロが最終責任者と言われています.そして,人類を活かす代わりに,イエス様のお体を献げたと,私達は聞かされています.アボニムの時の最終責任者は誰ですか.韓オモニムであり,全食口です.真の父母様の基台さえも,崩された状況において,アボニムは,真のカイン・アベルの一体化を勝利された,國進ニムと亨進ニムに後を託して,逝かれるしかなかったのでしょう.アボニムの聖和は,余りにも性急でした.7月にあれ程お元気であったアボニムが,一カ月余りで,急に聖和されました.どう見ても,順当ではないと感じます.指折り数えて,絶大な期待を寄せていたD-Dayを迎えることもなく,逝かれたアボニムはどんなに悔しかったでしょうか.そのアボニムの悔しい思いは,聖和された後,私達にひしひしと伝わって来ました.皆さんはそうではなかったですか.


その後の大艱難の中,今は,亨進ニムと妍雅ニムが立って下さっておられます.三代王権が守られています.今後,三代王権を中心に摂理のプログラムは進められるでしょう.家庭連合や諸派の動きは,アボニムから任命されたものではありません.2008.4に亨進ニムは,世界会長に就任され,2009.1には,戴冠式の祝祷を受けられました.その事実を私達は,知っている筈です.三回も戴冠式をされて,祝祷をされたのは,誰の目にも残って,他に手を上げる人達が出ないようにされました.アボニムの正式な後継者は,亨進ニムである事を認識する事が第一歩です.この事実を認められない人は,自分の責任で,正しいと思う道を歩んで下さい.人には,神様の元に復帰される時期があると思います.それが,地上なのか天上なのかは,各自の求めに応じて変化すると思います.皆さんの高邁なる勘案に期待します.

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