サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

 康賢實オモニム「サンクチュアリ教会の働き人達の決意」


2017.6.2


聖書拝読: ルカ 17:33


自分の命を生かそうと努める者は,それを失い,それを失う者は,かえって保つのである.


皆さん,おはようございます.


私は,今日のお話に「サンクチュアリ教会の働き人達の決意」という題をつけました.


私達の命(人生)が保てるように,サンクチュアリ教会は創られたものではありません.それは,私達が五感の働きだけをすれば,行くことの出来ない道です.私達が,生死の体験をしながら行く道です.従って,どんなに多くの人達が,私達を打っても,私達はそう感じないし,前進を続ける事が出来るでしょう.


イエス様は言われました,「自分の命を生かそうと努める者は,それを失い,それを失う者は,かえって保つのである.」彼も,このような体験によって歩まれました.アボニムが時々,とても難しい状況に際して,私達は実際に怖いが,彼は決してサタンの前に妥協されなかった事を,私は覚えています.


アボニムは,人々から苦しめられ,嘲られ,迫害されましたが,いつも,神様の位置から考えました.そして,決して,天法を破ることは有りませんでした.彼が,重労働を課せられた時も,他の人達に対して後退することはありませんでした.彼は,数千万のサタンを打ち負かし,常に勝利されました.


生きる私達全員が知る必要のある一つの事があると思います.つまり,人々は,地上に永遠に生き残ることはないという事です.私達は,アボニムが私達と共に長く居て下さると思いましたが,彼も世を去りました.


私達が霊界に行くと,通過しなければならないプロセスがあります.つまり,私達は,ある確かな証書が必要です.私達は,まず,何処でその証書を得ますか.私達は,私達が神様とアボニムが願われたように人生を生きたことを認める勝利の証書が必要です.サタンが,私達にそれを書かなければなりません.私達は,何とかして,サタンにその証書を書かせる必要があります.


イエス様は,この事実をよくご存知でした.よって,彼は,三年間の公生涯の初めに,サタンを呼んで,この証書を,御自身のために書かせました.キリストの三大試練がありました.サタンは,イエス様に世界の王国を見せて,言いました.「私を拝めば,これらの全てをあなたに与えよう.」イエス様は,応えました.「いいえ,そうはしません.あなたは,神様を拝しなさい.」サタンは,イエス様が,国家と世界のレベルで勝利されたことを認めさせられました.サタンは,イエス様に,この証書を書かざるを得ないことを渋々認めました.その時点で,悪魔はイエス様を拝み,彼から離れました.そして,天使達が来て,彼に仕え始めました.


私達も,サタンから証書を受け取る必要があります.その後,私達は,イエス様から証書を受け取り,そして,アボニムから証書を貰う必要があります.そして,最後に,私達は神様の書かれた証書を受け取る必要があります.それが,私達が,神様の臨在される処に立てる唯一の方法です.よって,私達は,蘇生期,長生期,完成期の段階の認定を受ける必要があります.私達は,神様が,私達を真の息子・娘と判断された,神様の最終証書を受け取る必要があります.


私達は,私達が神様のものであることを証すこの証書を神様から受け取るために,全ての精誠と献身を献げる必要があります.それは,私達が最後の一線を勝利して越えられる道です.今日,サンクチュアリ教会のメンバーは,とても難しい時期にいます.


アボニムは,二代王様を代身者として,相続者として,そして,後継者として任命されて,果たすべき全ての事を亨進ニムが果たしてくれることを願っておられます.後継者と相続者の位置は,極めて恐ろしいものです.彼は,アボニムが立てられた全てを相続されました.


真のカインと真のアベルが一つになる事はとても難しい事ですが,これは起こりました.そして,それは,私達が本当に感謝出来る素晴らしい事です.カイン・アベルの関係が,ここで復帰されたので,私達は勝利の道に居ることを知り,希望を持てます.


アボニムは二代王様を祝福され,彼に祈りを捧げ,彼に反対する者達は,破壊者であり異端者であるとまで宣言されました.私達も責務を与えられた事に気付く必要があり,二代王様が,アボニムの後継者,相続者,そして,代身者としての彼の使命と役割に勝利されるように祈る必要があります.


私達はまた,アボニムが破壊者,異端者と記された人達が,悔い改めて,王様の処にくるように祈る必要があります.


よって,今朝,私は,皆さんが,全身全霊をもって精誠と献身を献げて,この責務に勝利して,アボニムの願われた世界が地上に実現される事を,懇切に願います.


どうも,ありがとうございます.


ビデオ: 

26:19-42:46



<鷹の目>
「『誠を投入せよ! 眠気の中でも投入せよ! へとへとになるまで投入せよ! お腹が空いても投入せよ! 』と何度も何度も自分に言い聞かせ,ありとあらゆる反対とデマの中にあって,種を蒔く心情で祈りました.(自叙伝増補版,148頁)」これが,アボニムが,青坡洞の教会に移られた後,毎日1,2時間の睡眠で,7年間も歩まれた頃の証です.康オモニムが言われる「皆さんが,全身全霊をもって精誠と献身を献げて,この責務に勝利して,アボニムの願われた世界が地上に実現される事を,懇切に願います.」とは,正しくこのアボニムが,直接見せて残して下さった精誠と献身の基準を指しています.


アボニムは,「私は生涯を祈りと説教で生きて来ました.(同,152頁)」と証されています.アボニムは,頭の中の知識ではなく,(天の)切実な心情を吐き出すために,多くの場合,説教の内容を前もって考えなかったようです.語る前に10時間以上祈祷をされて,真心を捧げたと言われています.嘗て,同じように説教をされている先輩を見ました.彼は40分祈れば,何かを語ることが出来ると言っていましたが,その内容は,小生には十分とは感じられませんでした.10時間以上の祈祷となると,徹夜祈祷の後に,説教を語ることになります.アボニムは,その基準で精誠を込められたという事になります.私達には,とても及ばない基準ですから,せめて,その1/10の1時間以上の祈りと精誠が必要ではないでしょうか.


さて,人の事をとやかく言いたくは有りませんが,今,人の前で語る際に,1時間以上の精誠を込めている人がどれぐらい居るのでしょうか.私達は,アボニムの伝統を守りましょう.そして,アボニムの教育を残しましょう.祈りの伝統と八大教本・教材による教育です.祈りが形骸化し,真心がなくなり,また,八大教本が改竄され,遺失しつつある今日,私達は,誤謬を看過することなく指摘し,堂々とアボニムの伝統と御言による教育を守りましょう.


イエス様の教えは,神様を愛し,隣人を愛することでした.そして,人が友の為に命を捨てること以上に大きい愛はないと言われました.しかし,パウロ神学は,聖書において,イエス様の十字架による死が否定的に記述されているにも関わらず,イエス様の十字架による死は予定通りであったとし,十字架による贖いをベースに置いています.とんでもない教義と体系が造られてしまいました.そして,キリスト教を信奉する彼らは,20世紀に至っても,隣人を愛することは出来ませんでした.キリスト教国でない我が国の先人達が,むしろ人種差別の撤廃を世界に先駆けて呼び掛けた事は,どう理解すべきでしょうか.


偉大な教祖が亡くなると,側近の弟子や後世の者達が,創始者の教えと異なる教義や体系を立てることは,十分あり得ます.仏教もお釈迦様の本当の教えは何だったのか不詳のようです.弟子達が教えをまとめたと言われていますが,後に多くの宗派を産んでいます.イスラム教も然り,コーランに記されていない事が平気で罷り通っています.私達は,アボニムの本当の御言を確実に後世に伝える義務と責任があります.新たな教義や体系を立てる必要はないし,その根拠もありません.新たな教義や体系が出て来た時は,アボニムの御言に照らし合わせて,それらの真偽を検証しなければなりません.

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