サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

ドン・ハード氏「日々の高潔な実績が四方に広がる」

 


2018.6.14 
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人生が,各自の利益の個人的な基準に基づくものなら,高い目標を持てなくなり,グループ内で協力することは難しくなるでしょう.文明は,自己中心の基準で造られていません.逆に,個々人のグループに対する利益の貢献で造られています.グループの一員として,あなたも当然利益を受けています.大きいグループになる程,より公的になり,共同となり,あなたの利益となります.


では,そのようなグループの基準は何でしょうか? それは,全てに共通であり,大小にまたがり,グループ全員を含みます.グループには,リーダー達も従者達もいます.グループを形成する原理は,年齢差や世代差を越えて,存続するものです.最も長く続いている原理は,私達の起源に密接に関係しており,創造の初めの原理であり,神様の理想です.


私達が受けた大学や高等教育における現代の教育や政府の制度に反して,神様の原理は,この世界全体におよんでいます.一方,人は新しく建設するためには,破壊しなければならないと教えています.


神様の原理は調和しており,同じ構造でも,更に複雑で全体的な形を付け加えられるものです.人間の方法は,私達が嫌いなら,それを壊して,作り直すでしょう.この時,良い結果を期待しますが,全人類の平和の探求を進展させません.


人間の方法は,私達を許容できるポイントに導くだけです.それは,完全ではないし,得られるものとしては良いからです.人間の方法からは,私達自身も,家庭も,氏族も,社会も国家も完成できません.


一方,神様の理想は,私達の心と体の内的な統一を完成し,理想的な男女による完全な家族関係を完成し,地球において,祖父母達,父母達,子供達の調和的な関係を育て,最終的には,調和した関係の社会と世界を完成させます.神様と神様の理想の原理がなければ,人類は,平和に生き,高潔な生活の実りを享受することはできないでしょう.それは,調和的な相互利益の関係を全員が分かち合える生活です.


「人類はより高い目的のために生きる」或いは「相互の利益」,「日々の調和的で高貴な実績」などを教えないグループは,確実に終焉を迎えるでしょう.どうして,短期間しか続かないものを建設しますか?今日のため,明日のため,または,私達が亡くなれば終わるものを建設しますか? 恐れや死(loss)を演じる人々は,もっと良い方法の自信を失っています.今日のために生きると,明日の幸せを失います.より良い明日のために投資しないことは,あなたの資源を使い果たし,必要な時には,殆ど残ってなく,他の人達の助けを期待することになります.公の財を取ると,豊かになるでしょうが,与えている他の人達との将来の関係を壊しています.


高貴な日々の実績は,個人の利益または,栄光を消費して,もっと立派な善を供する理想です.必要なものを見ましょう,その必要なものを解決するために,貢献しましょう.あるいは,少なくとも,他の人達をよく理解するために,彼らを助けましょう.



立派な活動は,他の人達により良い方法を教え,より良い方法を見せて,全ての例として生き抜き,神様の主権を守り,それは,人類をあなたの家族の一部とし,神様の子孫であることを表します.見返りを期待しないで与えることは,自分達を理想とすることを教えることであり,恐れや死を克服することであり,私達が,他の人達を世話することで,神様のためにドアを開けることです.このことは,真の平和,調和そして,神様が人々と共に住める場所をもたらします.アージュ,アーメン


ドン・ハード,シアトルにて



<鷹の目>
人間的な視点では,個人の利益を追求することが第一のように考えられて,人類史は綴られてきたと思います.ところが,それは,人間の堕落によって生じた,誤った視点であったことに気づきませんでした.神様の視点は,一貫して,対象のために全身全霊を投入することでした.宇宙の創造から,人間の誕生に至るまで,全力を投入された神様でした.にも拘らず,人間と天使長の堕落によって,親(神様)の心が子(人間)に正しく伝わらず,逆さまの心になってしまいました.


この論説は,アボニムの「為に生きる」精神を論じています.人間的な視点,方法の誤りを説いています.誰かが他の人のために何かをすると,された方は,何かお返しをしたくなるものです.これが,人間関係が発展する基です.「隣人を愛しなさい」と言われたイエス様の教えは,正しく,アボニムの「為に生きる」と同義です.儒教の中心に「仁」という教えがあります.他の人を思いやるということです.これも,「為に生きる」に通じています.


アボニムの御言葉を思い出します.「愛を求めて生命を犠牲にするのがより中心であり,真に近いのです.生命を求めて愛を犠牲にするのは自分中心ですが,愛を求めて生命を捧げるのは,自分中心ではないからです.」御言葉選集174-16, 1988.2.23

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