サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「最後まで残る者となりましょう!」


2017.8.8


拝読マタイ26:39-41
少し進んで行って,うつ伏せになり,祈って言われた.「父よ,できることなら,この杯を私から過ぎ去らして下さい.しかし,私の願い通りではなく,御心のままに.」それから,弟子達のところに戻ってご覧になると,彼等は眠っていたので,ペテロに言われた.「あなた方はこのように,わずか一時も私と共に目をさましていられなかったのか.誘惑に陥らぬよう,目を覚まして祈っていなさい.心は燃えても,肉体は弱い.」


皆様,お早うございます.
今日は,人生において,物事が考えるように進まなくても,受け入れて,最後まで行かなければならない時に,どう歩むかについて,語りたいと思います.最後まで歩める人は誰でしょうか?


私達自身で考えるならば,とても難しいことですが,私達が,特別な言葉を理解し,国の命運に影響し,韓国の人達の生命に影響し,神様の摂理に影響するかどうかを考えると,私達が,よく理解することがどんなに大切なことかが,分かると思います.私達が,特別な言葉を理解できなかったなら,数千万の人達の生命に影響するのです.私達の全国民の生命です.このように貴重なことですから,私達は,夜を徹して,何を学ぶべきかを研究しなければなりません.


私達がこのような道を歩むなら,私達は,一つの言葉,一つの文字さえも失ってはなりません.私達が,学びに精誠と専心(献身)を捧げるなら,私達は私達が受けようと求めていたグレードの結果を,得られるでしょう.人生において,私達の行いが結果に影響する場合,私達は真剣に歩むのです.私達の生命が危険にさらされる場合においても,私達の行いが重要であることを,忘れることはできません.


母親達はいつも言うのです.「私の子は,賢くない.彼は良い結果が取れない.」これは,子供が馬鹿だからではないのです.集中力に欠けるからです.人が亡くなろうとする場を想像して見て下さい.もし,彼が特別なことを学べば,生きられるのなら,彼は瞬間に(写真に写すように)鮮明に覚えるでしょう.彼は見るものを全て覚えるでしょう.


私達の学びにおいても,例えば,精誠を込めれば,学べないことは無いのです.アボニムは言われました.聖書に関して,アボニムは,1年,2年,そして3年も格闘する時期があったのです.私は,アボニムの聖書を見ました.聖句は赤いアンダーラインで一杯でした.


私達が,私達のために何かをしても,希望はありません.しかし,私達が,国や神様のために何かをすると,何時も希望があります.国,世界,神様は復活するからです.生き続けるからです.精誠を捧げて真剣に歩む人も,短期間には多くを成せません.長い期間には,歴史に残る人になるでしょう.


イエス様が2,000年前に受けた苦難は,今までの間,人々の心に残りました.そして,彼が生涯受けた状況は,後の人達が経験しました.


私達は,最後まで残るためには,物事が今よりもっと厳しくなっても,私達は許容できることを知る必要があります.私達自身を中心にしたことは,歴史の流れにおいて,全て洗い流されることをはっきり知らなければなりません.


イエス様は神様を中心に成したことだけが,残ることをご存知であったと,私は信じます.だから,彼は神様を中心としたことにのみ,多大な努力を捧げたのです.最期に神様の前に行かれた時も,失望し,破壊的な状態ではなかったのです.彼は,何時も神の息子としての位置を保ちました.希望と善の道です.


それ以来,多くの人達がイエス様と同じ道を歩むと言いましたが,実際には,多くの人達はできなかったのです.アボニムは何度も言われました.アボニムは誓ったのです.舌を噛みながら,イエス様の行かれた道を神様と共に歩むことを.処刑される際も,イエス様は,不屈の姿勢で,処刑する人達の許しのために祈られました.


イエス様はその時,考えたに違いありません.「私は,今神様の元に帰って行きます.しかし,私は時が来れば,必ずまた来ます.」彼は,私達が勝利する日は,私達が世界を征服し,私達の敵を許す時であると考え続けたに違いありません.亡くなる瞬間においても,ご自身の勝利を絶対的に確信し,その時を期待したのです.彼は祈られ,一時的に勝っても,いずれ敗れるローマ人と他の人達を祝福しました.


イエス様は,内的にも外的にも全てを克服した人でした.彼は,神様の前に,忠誠と孝行の基準を如何に立てなければならないかを考えたに違いありません.彼は,世界中の誰もできなかった,最期の瞬間に敵を許したことで,尊敬されています.イエス様の生涯は,内的にも外的にも,不足はなかったのです.彼の生涯は,地上の33年間で終わったのではありません.彼はずっとこの世界に生き続けているのです.


歴史は,イエス様が探した道以外には流れません.イエス様が探したゴール以外のゴールには向かえないのです.これは,キリスト教が世界宗教となった理由です.どんなに迫害されても,抑圧されても,破壊されることはありません.その代わり,残ることが運命づけられ,世界宗教となりました.どんなにクリスチャンが迫害されても,更に更に大きい勝利に向かいました.


サンクチュアリに居る私達も,今同じ道を歩んでいます.私達は,朝夕,神様のために働き,天一国を地上に建設するために生まれたことを,覚え,確信し,誓わなければなりません.私達は,アボニムが祝福の祈りの中で,天一国の第二王様を与えて下さり,精誠と専心を第二王様に捧げて下さった故に,彼は地上天国を建設できることを知っています.


私達は,天国建設のためにこの世に生まれ,それを成した時,この道に最後まで残れる人となることを確信しなければなりません.私達は,その偉大なゴールを目指し,大望を持ち,大志を抱く時,最後までこの道を歩めるのです.


最後まで残る者となりましょう! 私達が亡くなる時は,敵と一緒ではなく,神様と共に亡くなり,天が共にあるようにしましょう.


それはイエス様の生き方です.全てのエネルギーをイスラエルの将来への責任に投入されました.そうするために行かなければならない道を歩まれました.弟子達は全員逃げ去りました.彼等は生き残りたいので,散って行きました.しかし,イエス様はそう考えませんでした.最期まで,イエス様は神様の御心のために生き,この世界に,神様の御心と摂理を残すために,行かなければならない道を歩まれました.


イエス様はそうすることで,このサタン世界に新しい伝統を植え付けられることをご存知でした.それを成すため,彼はその道を行かれたのです.彼は,祈られました.「父よ,できることなら,この杯を私から過ぎ去らして下さい.しかし,私の願い通りではなく,御心のままに.」イエス様のこのお祈りに全てが含まれます.全てがこの短いお祈りにあるのです.


今朝は,このお祈りを覚えましょう.そして,サンクチュアリ教会のメンバーとして,この道を最後まで,最終ゴールまで残る者となりましょう.


感謝します.


ビデオ:

The King's Report 08/08/17



<鷹の目>
康オモニムのこのお話と,2017.9.24に劉正玉会長が,説教で証されたアボニムの御言葉,「将来,この道を歩む上で多くの困難があるだろう.困難の真っただ中あっても,あなたは,信仰を失ってはならない.私は,どれだけ統一のメンバーが残るかを見なければなりません…」とのリンクを感じます.


2012.9以降,程度の差はあっても,私達には,様々な困難な状況が生じました.2015.1.18に亨進ニムが「沈黙を破って」の説教をされた時,小生は混乱しましたが,また真のご家庭における内紛が生じたと思っていました.ブログなどは見ていなかったので,それ以上の事実は分かりませんでした.家庭連合で起こってきた事実を知ったのは,かなり後でした.その時は,驚愕以外の表現がありませんでした.それでも,知性と霊性で「正しい道」を求め,今に至っています.


信仰において,固定観念や先入観を持たないことが大切だと思います.イエス様が福音の御言葉を語り始められた時,律法学者やファリサイ派の人々は,聖書の記述を文字通り解釈し,イエス様と対立し,やがて,イエス様を非難するようになりました.アボニムも成約の御言葉を沢山伝えられましたが,「再臨主は,雲に乗って来られる」と妄信している普通のクリスチャンには,受け入れられず,多くの人達に避難されて,同様な道を歩まれました.今は,後継者,亨進ニムの時代になっています.私達は,固定観念や先入観に縛られることなく,「正しい道」を悟り,その道を最後まで歩みたいものです.

×

非ログインユーザーとして返信する