サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康 賢實 先生 1953年の証 2007.1.1


注:マイケル・ジェンキンス
愛する兄弟姉妹の皆様,全家庭と全世代の皆様,真の神様の日をおめでとうございます.アボニムは,アウグスチヌス夫人である康賢實先生に,2007年の真の神様の日の朝,証しするように言われました.私達の2007年の目標は,全ての基盤を拡充することです.特に,中心者達とその家庭です.この証は,このような発展に対して,深い霊性を与えて下さるでしょう.真の神様の日にこのようなことを与えて下さった真の父母様に心より感謝致します.


康先生の証
私が,釜山で復帰された時,私達は2メートル四方の小屋に住んでいました.最初の宮殿を見ると,言葉がありません.神様の預言は全て成されました.アボニムが今日まで成されたことは奇跡です.


私達が,アボニムのように生きていたら,アボニムの世界はもっと早くできていたでしょう.


アボニムは,私を大邱(テグ)教会の長老に指名されました.1953年の春です.アボニムは,私達が大邱を開拓しなければならないと言われました.大邱の女性は強いから,一人の女性が大邱を開拓しなければならないと言われました.


その時,私は,サタン世界を打ち負かす準備はできていませんでした.アボニムは私のことを心配されました.私を送りたくなかったのですが,送るしかなかったのです.アボニムは,とても心を痛められました.私は,泣きながら私を送るアボニムのご心中がわかりました.40日間行きなさいと言われました.私は,39日目の夜に戻りました.アボニムは,早すぎると言って,中に入れてくれませんでした.私は,40日間を終えなければならなかったのです.アボニムは,天地の創造主である神様に従っていると言われました.アボニムは,私が大邱にいる時間を考えて下さいました.


7月20日の深夜,できるなら,教会を建てれば良いと言われました.「天のお父様,私が行けないので,この若い乙女を送らなければなりません.」というように,祈って下さいました.アボニムは,神様に,私を護って下さるようにお願いしてくれました.


私は,私の最初の開拓に出ました.発つ前,まだ釜山(プサン)にいた間,初日に,一人の男性が服を二着,私に買ってくれました.私は,気にかけなかったので,一着はなくなりました.アボニムが一着の服を確保されたのを見ました.私は分かりませんでした.その時から寂しさを感じました.


後に分かりましたが,イエス様は,弟子達に,背中のシャツ1枚で(=無報酬で)福音を伝えるように言われました*.アボニムはほんの少しの食糧を下さり,私は出発しました.私が発つ時,アボニムは泣かれました.一人の娘を送らねばならぬことが,どんなに苦しく,悲しかったでしょうか.


アボニムの涙を見て,私の心は安息しました.私を信じて下さっているアボニムを見て,私は決心しました.アボニムは,初日から,これができないとか,この世界的な使命が果たせないなどとは決して考えられなかったのです.もし,アボニムが疑われたら,私達には決してできませんでした.


大邱行きの列車に乗りました.到着しても,行く場所はありませんでした.人々は,各々の家や目的地に向かっていました.しかし,私には,行く所はありませんでした.私は,怖くなりました.神様に祈りました.どこへ行けば良いのでしようか.私は,御声を聞きました.「何を見ても,また何があっても,あなたは,これが難しい状況だと言いますか? 私は6000年間,休むことなく,この道を来ました.私は,6000年間耐えてきました.あなたは,困難だと思っています.彼は,私の名前を三度呼びました.」


「私は,あなたと共にある」ことを忘れないで下さい.私は,神様の御声を聞きました.御声によって,私は大きい教会に導かれました.跪いて祈るべきだと感じました.深夜を過ぎたので,私は放り出されました.日曜学校を行っている地下に行きました…大邱の街を見ると,この街には,私の見方は一人もいないことがわかりました.神様以外には.


マリアという女性を証すために,一人の男性が来ました.その証から,私は偉大な力を得ました.アボニムは涙しながら,私を送り出しました.大邱にいる時,私は徹夜で祈祷し,道が開けました.私は,確信し,信仰を持ち,祈り続ければ,神様は結果を与えて下さり,道を示して下さることを学びました…あなたが,親にパンを求めたら,石を与える親がいるでしょうか? 神様はあなたの必要なものを下さいます.


アンジュウ山という山に登りました.この山で祈るように,誰かが私を招きました.険しい道でした.私達は,頂上に着き,神様に祈り始めました.「どうか,私と共にあって下さい.あなたが,新しいみ言による教会を望んでおられることを知っています.どうか,そうさせて下さい.」と祈りました.そこで,私達は,今までに経験しなかったような規模の礼拝を受けました.そこには,李耀翰(イヨハネ)牧師がいました.霊が美しく,圧倒的でした.とても,美しかったのです.天使の歌声を聴いたように感じて,人々は惹きつけられました.聖書を学びたい人々が来ました.そして,私達は学び,多くの信仰の復興がありました.


40日路程の初めの日々,私達は多くの恵みを頂きました.そのような霊的な役事がありました.そして,誰かが来て,言いました.本当に素晴らしい人が来ています.緑の服,軍服のような服を着ています.啓示を受けました.それは,誰ですか.アボニムでした.彼らは,この方が来られて,自分達のために祈って下さると信じました.アボニムは古い軍用のジャンパーを着て,いらしたのです.教会の長老達は,このようなことは聞いたことがないと言いました.み言は聖書を根拠としているが,聖書の言葉ではない.彼らは,私達に繋がりました.最終日に,私は再臨の講義をしました.一人の男性が,突然膝を叩いて,叫びました.「私は今,啓示を受けました.」私は,何を受けたか尋ねました.「紙に四つの文字が現れました.再臨は韓国です.」


多くの人達が来ました.私達は迫害されました.定期的に移動しなくてはなりませんでした.私は,次に会うことを話せませんでした.その時にいた場所から出されるかも知れなかったからです.私達は,他の場所に移りました.そして,一人の長老が言いました.私達には何もないし,何もないところに行く.でも,神様が私達を導く時,私達は,神様の霊の顕現をはっきり感じられる.


文「イエス」「イエス文」は異端で,彼は北韓から釜山に変な霊を持ってきた.彼はこのキリスト教の牧師が言うように,今は大邱にいます.と噂されました.


姜夫人は,彼に原理の内容を送りました.彼は,驚いて言いました.「私は,あなたは異端の教会と聞きました.でも,教義を読むと,聖書的には正しいし,異端ではなく真理であることがわかりました.牧師は,ノアの箱舟が閉まりつつあり,彼はこの舟,つまり,私達の小さい教会に繋がらなければ,取り残されるという啓示を受けたと言ってきました.彼は,私達に繋がりました.」


これは,私たちの証言です.神様がなさったのです.神様が人を遣わされたのです.アボニムは霊界を開拓されました.私は,アボニムがソウルにいらした時,お手紙をたくさん頂きましたが,警察が捜査に来た時,全部取っていきました.もう二度と見つかりません.それらのお手紙を,保管しておきたいとどんなに願ったことでしょうか.今なら,どんなに歴史的に重要でしょうか.内容は,本当に深いものです.アボニムはどこに行かれても,問題が生じました.彼は,単純に神様のみ言を語られ,人々が興味を持っただけです.すぐに人々が来て,学びました.でも,教会や,家族,他の所にいる人々は,ショックを受けて,アボニムに反対しました.どの段階でも,私達は,全体で非難され,反対されました.


学んでいる一人が,夢を見て言いました.彼はアボニムがお腹を空かしていて,誰かが橋を渡って,アボニムにご飯を差し上げました.これは,大邱の二か所の街で実際に起こりました.どこの誰とも分からない人が,橋を渡って,アボニムにご飯を差し上げました.それが,神様の御業です.


アボニムは,神様の深い御心をご存知です.アボニムが最初に資金を得たのは,米国陸軍基地の兵士らの肖像画を描くことからでした.第一弟子の金元弼(キムウォンピル)先生が絵を描き,売っていました.絵を描くのには長時間を要しました.アボニムは,絵を描くプロセスを格段に速くする方法を見出されました.彼は,背景を塗られました.アボニムは絵を描かれ,鉛筆で線も引かれました.アボニムは,金元弼先生のために,すべて準備されました.(アボニムは金先生に立って,確認するように言われました.)金元弼先生は,顔を描き,特徴をよくつかんでおられました.最後には,お二人ともとても上手になりました.お金を稼ぐ方法はなかったのです.戦争中でした.韓国動乱です.全難民が釜山に集結しました.アボニムは,ご自身のためにお金を貯めることはありませんでした.お金を節約し,他の人達のために遣いました.アボニムは誰かにスーツを買ってあげました.誰かの誕生日には,(戦時中には誰も持っていない)肉を買って下さり,特別な夕食とし,プレゼントを買ってくれました.とても愛されました.アボニムは,このように信じられないような,お金の運をお持ちでした.教会が成長し,アボニムは,人々の世話をするために,お金を稼ぎました.私達のお金の運についても,噂が広まりました.噂の一つは,アボニムが紙をお札の大きさに切り,積み上げて,それに手を置いて,まじないをして,お金に変えている.というものでした.私は,全く馬鹿げたことと言いました.絵を描いて,きつい仕事をして,1ペニーを稼いでいました.アボニムにそのお話を報告したら,アボニムは笑って,「何故彼に,それは本当ではないと言わなかったのか」と言われました.


(米国陸軍のレーション箱の段ボールで作った)小さい小屋で,アボニムは,どのようにして,全世界をまとめ,全宗教を統一し,クリスチャン達は,世界中を廻って,アボニムの仕事を証すか…と語られました.それは,空想のようでした.私達は,貧乏で何もなかったのです.(アボニムは,着古した米国陸軍のジャンパーを見つけて,着ていました.) お話は,とても遠いものでした.でも,今は,全てが実現しました.アボニムは全てご存知です.そう信じる人達は,アボニムの感性に驚くでしょう.彼は,私達の先祖,現状,そして,将来の子孫をご存知です.


私達は,アボニムと共に前線に立たなければなりません.私達が生きているのが,夢のようです.アボニムと共にここに生きていることを考えましょう.これは,実際に起こっていることです.あなたが信じれば,それは起こるのです.


アボニムは最近,私に言われました.「何かが起こるだろうと信じれば,今は,それが起こる時代です.何かが,ある方法で起こると考えれば,そうなるのです.天は,全体で私達を助けてくれています.100%信じれば,神様はそれを持ってきて下さいます.」


                  ************


*コリントⅠ9:18,コリントⅡ11:7参照


<鷹の目>
真の御父母様の生涯路程②の第五節に記されている内容を,康オモニムが証して下さいました.釜山で最初に伝道された康オモニムは,アボニムにどんなに信頼され,愛されたでしょうか.愛弟子を,当時,韓国のエルサレムとまで言われていた大邱の開拓に,単身で送られたアボニムは,どんなに辛かったでしょうか.でも,オモニムの歩みは,神様と一問一答されて,直接導かれるような力強い内容でした.李耀翰先生もこの時に伝道されたことは,有名です.
小生が,教会の門をくぐった頃は,まだ,一人で開拓伝道をしている先輩(Tさん)がいました.涙の祈祷を続けられたTさんであったことを,後に,部外の人から聞かされました.小生は,Tさんが去って,1年後に別の人に導かれました.しかし,Tさんが,地のために,人のために,天に尽くした精誠の基台の上に,小生も乗せられていたことは明らかです.

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