サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

竹内 洋子さん,康オモニムについての証




2019.2.19,フィンランド,ヘルシンキ



私がサンクチュアリーに来てから、"栄光の賜物"の天一国国歌をインターネットの動画を見ながら歌い捧げる時に、"世界基督教統一神霊協会"を創立された時の写真と共に流れる"栄光の賜物"の動画が有ります。


其の写真には真のお父様の直ぐ隣に若々しい康お母様が映っています。嬉しそうにお父様に寄り添われる姿です。


「あー姜先生は如何されているのだろう?サンクチュアリーには来られないのだろうか」と、いつも考えました。


私が会った康お母様は2001年祝福夫人21修練会の後、韓国に任地を頂いた時でした。くじを引きましたら、任地は西大門でした。 皆様は西大門が任地だったら如何感じますか?


ソウル市で有るからお父様にお会いできる機会があることが嬉しかったですが、西大門は西大門刑務所があったところです。日本が朝鮮半島統治時代に建てた刑務所であり、梨花女子大事件が起こって1955年お父様は西大門刑務所に服役されました。


何かとても重い様な、でも、そんな重大な任地で晴れがましい様な複雑な気持ちで任地に着くと、そこの責任を持たれたのが康お母様でした。


今から18年も前の事ですから、康お母様は70歳は過ぎておられたでしょう。


西大門教会は教勢が小さく、貧しい教会で食べ物があまりありませんでした。昼間は訪問伝道をしました。 韓国の夫人達とペアになって活動しました。


時には市場から買って来たニラと、ジャガイモと小麦粉でプッチンゲを作って食べたり。春菊を唐辛子で和えたサラダの様にして食べたりしました。スープは前に日に残った食べ物を全部入れて食べました。


康お母様はどんな食事でも、必ずご父母様にお供えしてから頂かれました。


又、私達が到着した翌日から「条件祈祷しましょう」と、言われて西大門の塀の前に行って祈祷しました。ここで「ここで受けられたお父様の恨を解放しなければならない」と、おっしゃっていました。


体は70歳過ぎておられましたが、何時も早く起きて、皆と一緒に西大門に祈祷に行かれ、皆と一緒に床に座りながら食事をされて私の家庭の状況なども聞いてくださいました。


お父様から伝道された其の時から今まで何時も、前線で戦われて来たんだなぁと屈服する思いです。私の母の様な私の親族の様に感じています。



<鷹の目>
90歳を越えられた康オモニムは、目覚めれば、聖書と原理講論を拝読されていると聞きました。今でも、アボニムに少しでも近づいて、アボニムにもっと侍ろうとされる姿勢は、信仰者の模範です。統一教会のオモニと呼ばれた所以だと思います。近頃は、あまり食が進まないことも多く、休まれることが多いと聞いておりますが、回復されて、食口達に多くの証を聞かせて頂きたいと思います。

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