サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「信仰によって勝利する聖徒」



2017.3.16



聖書拝読: ロマ5:3-5


そればかりでなく,苦難をも誇りとします.私達は知っているのです.苦難は忍耐を,忍耐は練達を,練達は希望を生むということを.希望は私達を欺くことがありません.私達に与えられた聖霊によって,神の愛が私達の心に注がれているからです.


皆さんこんにちは,今日は,皆さんに「信仰によって勝利する聖徒」という題目です.今日,私達にとって最も重要な事は,私達が持てる信仰の程度,範囲と言うことです.私達が,真理と絶対信仰を持つ時,課題や問題は解決されます.


私達は,信仰において,罪が全て許されるという特別な恩寵を頂いています.今日の聖句にも「苦難をも誇りとします」とあります.苦難の最中にあっても,霊界のアボニムが常に私達と共に居て下さり,共に働かれ,協力して下さるという特別に位置に,私達が居る事を知っているので,私達は喜ぶことが出来ます.


絶対信仰がある人達は,神様に心を開くことが出来ます.彼らには,神様に向かう道が開かれており,神様と調和することが出来ます.私達には,功績はありませんが,私達は,信仰によって,罪に対する神様の許しを頂けるのです.


嘗て,私達の教会の老婦人が,「彼女は信仰のために感謝しており,信仰によって,苦難の最中でも喜びが得られる」と言われたことを知っています.考えて見ましょう.その人は,苦難や試練の最中にどのように,喜び,幸せを感じるのですか.唯一信仰によって,このことが得られます.


考えて見ましょう.物事がうまく行く時は,感謝するのは容易ですが,物事がうまく行かない時,苦難の時,試練の時に感謝することは難しいです.信じられない事ですが,もし,皆さんがそのような状況において感謝できるのなら,そういう姿勢は繁殖し,皆さんが感じられる感謝の度合いを増し加えるでしょう.


第3節の「苦難をも誇りとします」とは,苦難の最中にあっても,私達は喜び,感謝し,幸せです.という意味です.私達がそのような状態に達すれば,私達の前には,勝利への道が開かれます.


「苦難は忍耐を生む」とは,苦難から忍耐が来るという意味です.そして,忍耐は何を生みますか.忍耐は,信じ難い勝利を生みます.これは,誰でも得られるものではありません.信仰を持った人のみです.過去の聖徒らは,投獄されました.そして,官吏に殴られました.彼らは賛美歌を歌いました.激しく殴られる程,彼らは讃美歌を大きな声で歌いました.


忍耐は練達を,練達は希望を生むということは,忍耐から練達が来て,練達は私達に希望を与えるということです.信仰に満たされた人々,聖霊に満たされた人々は,望みのない耐えられないような状況に耐えることが出来,勝利をもたらすという希望を持っています.


王様は,今日私に言われました.「ああ,私は聖霊に満たされました.強い霊を感じました.」彼は,霊に余りにも満たされたので,御言葉を語る時,時間がどれ程経ったか分かりませんでした.彼は,本当に聖霊に満たされた人生を生きておられることが分かります.


私達が,霊に満たされると,霊が私達の内に居れば,私達は聖なる人生を生きることができ,そして,私達は勝利できます.


テサロニケ5:23には,どうか,平和の神御自身が,あなた方を全く聖なる者として下さいますように.また,あなた方の霊や魂も体も何一つ欠けた所のないものとして守り,私達の主イエス・キリストの来られる時,非の打ちどころのない者として下さいますように.とあります.


従って,私達の主,アボニムがいらしたら,私達の全霊,全身全霊は,非の打ちどころがないようにしておくことが,とても重要です.信仰によって,私達は,神様の息子・娘となる特権を与えられました.そして,私達に許しの特別の恩寵を下さいました.


それだけではなく,私達は,信仰によって,天国に住む特別の権威を与えられています.信仰のある者は,死んでいても復活が許されて,障害となるものはありません.そして,神様は,私達を天国の所有者となれる特別な位置に立てられます.


黙示録には,天国は,死がなく,言葉では表現できないような素晴らしい所であると,記されています.


黙示録22:1-3
天使はまた,神と子羊の玉座から流れ出て,水晶のように輝く命の水の川を私に見せた.川は,都の大通りの中央を流れ,その両岸には命の木があって,年に十二回実を結び,毎月実を実らせる.そして,その木の葉は諸国の民の病を治す.もはや,呪われるものは何一つない.神と子羊の玉座が都にあって,神の僕達は神を礼拝し….


命の木は,十二種類の異なった実を実らせ,命の木の葉は,全ての病を癒すことが記されています.天国には,呪いはなく,神様の玉座があり,人々は神様に仕え,侍ります.明るい光があり,影はありません.御国では,灯火と日の光は強く輝き,神様の聖徒らはお互いの顔を見ることができ,お互いに幸せになります.


神様の聖徒らが投獄された時,彼らは,天国を体験できる生涯を生きました.時に,7年8年間投獄されても,彼らは,忍耐と希望を持ち続け,獄舎であっても,天国を体験しました.これが,彼らの勝利でした.私達は,彼らの勝利をモデルとすれば,今日の人生において,天国を体験できます.私達は,信仰によって,それが可能です.


私達は,地上で,神様に直接語り,神様に質問し,応えを頂けるように人生を送ることが出来ます.全ては,信仰によって可能となります.私達は,生きた信仰があれば,そのような信じ難き体験ができます.従って,今日,私達は,私達の信仰がどういうものかを,自身振り返ってみましょう.


私は,過去に,アボニムの信仰は,全く信じ難き偉大なものであり,尚も信じ,事実勝利を得られたことを沢山見ました.誰かが,アボニムの所に来て,「ああ,アボニム,私はこのような霊的体験をしました」と言いました.アボニムは,御自身が,直接そこにいらして,それを体験されたように考えられました.そして,その人を励まし宥めました.私達も,アボニムのようにこれらのことを体験できる信仰が必要です.


アボニムの信仰は,作為的な,人間的な,或いは強制的なものではありませんでした.彼ご自身から回り出る,自然なものでした.自然に所有されており,出来ないような状況においても,勝利できる能力が与えられるような信仰でした.


とても強い聖霊が,二代王様と共に居ます.そのような霊によって,彼は,難しい状況においても勝利することが出来ます.私達は,サンクチュアリ教会において,彼と共にあって,共に働く必要があります.


今朝,私は,皆さんを励ましたく,天国を体験できる人生を生きてほしく,神様の聖霊の顕現と共にある人生を歩んでほしいと思います.


どうもありがとうございます.



ビデオ: 

22:20-47:17




<鷹の目>
アボニムの信仰や使徒らの信仰が証されています.小生は,アボニムの信仰の本髄まで知ることはありませんでしたが,アボニムの歌を直接聞き,祈祷を聞いて,そして,み言を頂いた時,その背後から沁み出す,とても深遠な空間の広がりを感じました.神様の愛に包まれたような気持ちになりました.それが,アボニムの信仰の境地ではないかと思います.使徒らの信仰も,私達は,直接体験することはできませんが,聖書に記された痕跡から,彼らの深遠な信仰の境地を感じ取ることが出来ます.ペテロらが,獄中で鎖を解かれ,解放されて自由になった時に,彼らは何を感じたのでしょうか(使徒12章).信じられないような,天使(霊)の役事と神様とイエス様の栄光ではないでしょうか.


今,私達は,成約のペンテコステの時期を迎えました.神様と真の父母様を絶対的に信じ切れば,何か信じられないような奇跡のような事象も起こると思います.ヘロデ王は神様を不信し,悲惨な最期を迎えました.悪なる勢力はやがて,駆逐されるでしょう.そして,神様の栄光が天地に顕現する日が訪れます.その日その時まで,私達は,信仰をもって,色々な困難に忍耐して,真の父母様,二代王様・王妃様と共に歩みましょう.

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