サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

アボニムの教えと初代の教会




2019.5.15


「偽預言者を警戒しなさい.彼らは羊の皮を身にまとってあなた方の所に来るが,その内側は貪欲な狼である.あなた方は,その実で彼らを見分ける.茨から葡萄が,あざみから無花果が採れるだろうか.全て良い木は良い実を結び,悪い木は悪い実を結ぶ.良い木が悪い実を結ぶことは無く,また,悪い木が良い実を結ぶこともできない.良い実を結ばない木は皆,切り倒されて火に投げ込まれる.このように,あなた方はその実で彼らを見分ける.」「私に向かって,『主よ,主よ』と言う者が皆,天の国に入る訳ではない.私の天の父の御心を行う者だけが入るのである.…」マタイ7:15-21


「神様の御国は,私自身から始まる」という言葉を考えると,「私自身」という言葉がないと,深刻な状況になります.聖書には,「心を尽くし,精神を尽くし,あなたの神である主を愛しなさい.」とあります.しかし,「主」という言葉は,単純な意味ではありません.「主」の根本的な意味は,絶対的な内容がある所に,実体として認識され,決して忘れられるものではありません.神様の御国は,主なる神様を信じることで来るものではありません.それは,彼を愛することで実現します.神様のみ旨は,神様を信じることによらず,神様を愛することによって果たされます.
この感覚で,皆さんは信仰が如何に未熟であり,原理から如何に遠く離れているかを認識すべきです.この会合に初めて参加する人も,慰労され,自分を中心に喜びを感じる人がいるでしょう.でも,神様の御国は皆さんの心の中にあり,神様は皆さんから喜びを感じても,神様の御国が地上に創建された訳ではありません.それは,個人的な神様の御国かも知れませんが,御国全体ではありません.この観点から,神様の願いは,個人的な御国ではありません.神様は,それを見て喜ばれません.私達は,ある人が喜べば,国が創建されると,言えますか.神様は,全ての国を水平に統一して,神様の御国を全て完遂しようと試みました.従って,神様はメシア,イエス様を地上に遣わされ,彼を犠牲にすることは出来なかったのに,犠牲にされました.

…地上生活と霊界Ⅱ,神様の御国の理解(その2),(46-74)


聖日礼拝において,亨進ニムは,この2週間がどんなに忙しかったかを語りました.インディアナポリスではNRA(全米ライフル協会)のショーがあり,ハリスバーグではGOA(米国銃所有者協会)の大会が,フィラデルフィアでは「命の権利」大会が,既に数万人が殺害された「計画的父母中絶クリニック」の前で行われました.それに続いて,ジョージア州では,胎児の鼓動が検知された,約6週間目以降の堕胎を犯罪としました.


初代の教会では,キリストの血統の重要性が強調されました.「王」として王冠を被ったイエスの兄弟,ヤコブの血統です.ヤコブの生涯は,イエス様への信仰を放棄しなかった時に終わりました.次は,イエス様の従兄弟のシメオンです.彼は,王冠を被り,エルサレムの司教となりました.彼は,A.D106年に,120歳の時,拷問を受け十字架に架けられました.ローマ皇帝トラヤヌスは,尚も恐れ,兵士を送り,イエス様の二人の甥の息子を殺害し,血統を断ちました.



2019.5.12, サンクチュアリ教会聖日礼拝



彼は,条件づくりの重要さを語りました.信仰の産物としての行いです.私達は,行いによって救われませんが,良い実りを成していることが,クリスチャンの人生の一部です.アボニムの教えは,自助努力(自己依存)と公的な心の市民を生み出します.


パウロは,良い行いも大切であると教えました.ペテロとパウロは,教会を支配する「王」であるヤコブに服従しました.私達も(同じように)しています.私達は,アボニムが天国で微笑んで欲しいです.あなたをファリサイ人(偽善者)にするような誇りは不要です.イエス様は「あなたの右手がしていることを左手には知らせてはならない*1と教えました.


私達の信仰のレベルはどれぐらいでしょうか.例えば,アブラハムのイサク献祭は,信仰だけではありません.行為だけでもありません.遊女ラハブは,イスラエルの侵入を助け,その行いによって(罪を)許されました*2韓オモニムは,アボニムに頼まれた多くの事をしましたが,アボニムへの信仰を失い,アボニムからは何も学ばなかったと言っています.


コロサイ人への手紙において,パウロは信仰を強調し,信仰者に品行方正であるように警告しています*3.彼らは,原理の5%の責任分担の観点を教えています.主権(国家)に対する厳しい訓練と演習が重要です.家庭連合のメンバーはアボニムから離れましたが,祝福を受けたので,いつも救われていると考えています.しかし,これは,自己中心な考え方です.私達は,信仰に対して厳粛であり,良い実りを持っています.鳥が飛ぶためには,一方ではなく,両方の翼が必要です.



*1 マタイ6:3
*2 ヨシュア2:1~
*3 コロサイ3:5~



<鷹の目>
コロサイ書の記述に加え,へブル書11章には信仰について,総論と各論としての多くの信仰者の歴史的考証が記されています.パウロは,信仰を観念的に捉えるのではなく,神様との約束を真とし,その約束の中に生きる事を信仰としています.


康オモニムも証されたように,信仰はあまり複雑なものではありません.私達は,神様とアボニム,そしてイエス様を信じて集ったはずです.神様とアボニムを中心に考え,行動すれば全ての道は正されます.それ以外の事が入ると,信仰の正道から段々ずれるのです.私達は,いつも自身の信仰が正しいか否か,どういうレベルなのかをチェックしましょう.


最近,「成約摂理解説」が刊行されました.その中に,16万人訪韓修練会のみ言とは,全く関係のない「独り娘の誕生」という内容が編入されています.原理講論にも,原理本体論にも言及されていない「独り娘」を強調したいのなら,これらの経典を改定すべきではないですか.アボニムの御言葉を断片的に切り貼りして,虚構を論じた所で,何か実りがあるのですか.虚構は何処までも虚構です.家庭連合に留まっている多くの食口が,韓オモニムや幹部らの間違いに気づいて,アボニムの遺志を継ぐ,二代王様・王妃様に繋がることを祈念します.

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