サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「アボニムが私を大邱の開拓に派遣した時」


2017.3.21



聖書拝読: 創世記1:1-2


初めに,神は天地を創造された.
地は,混沌であって,闇が深淵の面にあり,神の霊が水の面を動いていた.


皆さん,おはようございます.


今日は,皆さんに,私が開拓に行った時に起こったことについて語りたいと思います.


私は,いつも,両親に感謝しています.両親は,私に神様とイエス様の知識を下さいました.私は,両親から神様とイエス様を引き継ぎました.神様とイエス様を受けることができ,神様とイエス様と共に人生を生きられたことに対して,彼らに感謝します.よって,私は,両親にとても感謝しています.


そして,私は,極幼い頃から,心の中で神様が生きておられることを知って,生きてきました.


聖書は,「初めに,神は天地を創造された.」の行から始まります.初めに,神様はそこにいらっしゃり,天と地を創造されました.私が,天と地を創造された神様を知れること,そして,神様と共に生きられることが,どれ程感謝であるか,表現が出来ません.


私が,神様の知識をもって生きられ,神様とイエス様の知識を多くの人達に広げる使命に誇りをもってきたので,私の人生は,本当の意味と価値がありました.私が,アボニムに出会えたのも,アボニムが,私に開拓に行くように語られたのも,このためです.


私は,アボニムに尋ねました「私は,何処に行くべきでしょうか.」アボニムは,「大邱市には,信仰的な人が多い.だから,大邱に行きなさい.そして,そこで,信仰的な人達を伝道しなさい.」と応えられました.私は,アボニムに1952年に,お会いしました.そして,アボニムが私に行くように言われたのは,1953年7月20日でした.よって,私は,その日に大邱に出発し,開拓伝道を始めました.


私が,初めてアボニムにお会いした時,彼は,釜山の一画,凡一洞(ボンイルドン)の小屋に住んでおられました.後に,彼は,釜山の他の場所,水晶洞(スチョンドン)に移りました.水晶洞に居た,ある朝,とても早朝に,アボニムが私を呼びました.そして,私は,お会いする為にお部屋に行きました.


その時,アボニムの周りに居た人達は,誰も伝道をしていなかったです.私は,アボニムに繋がる前から,伝道師でしたから,彼は,私に,伝道と開拓に責任を持つように言われました.アボニムは言われました.「開拓は容易ではない.伝道も簡単ではない.あなたが,誰かを伝道する時は,彼らの人生を受けとめて,神様に導くのです.だから,これは,経験した人だけが理解できる難しいことです.」


アボニムは「大邱に行って,はっきり40日間開拓しなさい.もし,39日目の夕方に戻ったら,私は,あなたとは関係がなくなるでしょう.その時から,私は,あなたに会わないし,話さないし,姜[康]賢實とは関係がなくなるでしょう.」と言われました.


私は,考えました.「わあ,とても恐ろしいグループに入ってしまった.彼は,私に,40日間行かなければならない,40日を満たさなければ,私は,ここから放り出されると言われました.」その頃,アボニムの周りには,10人も人が居ませんでした.アボニムは,私に行くように指示されたので,他の人達は考えました.一人の人が,私に,服を二組買ってくれました.その人は,私に二組買ってくれたのですが,少しして,私が出発しようとする時,一組がなくなっていました.一組は見つかりませんでした.


アボニムは,その人が買ってくれた一組を何処かに仕舞いました.そして「2000年前に,イエス様が弟子達を送る時,服を二組持たない様に言われたので,あなたは,一組しか持てません.彼は,一組だけにすべきであると言われました.また,あなたは,お金を沢山持ってはいけません.お金は殆ど無いか,或いは無賃です.財布を持ってはいけません.」と言われました.


よって,彼は,私を殆ど無賃で,送りました.辛うじて,ほんの僅かなお米を買えるお金でした.私は,「40日間どうやって生き残りましょうか.彼は,そこに40日間行くように言われましたが,どうやって生き残るのでしょうか」と思いました.


そして,私は「わあ,私は,共産党より恐ろしいグループに入った」と考えました.私は,準備をしましたが,スーツケースや,そのようなものが無かったので,実際に,荷造りすることが出来ませんでした.私は,物を全て包める大きな白い布だけを持ちました.服もそこに入れました.


出発しようとする時,アボニムは,私に,原理原本のコピーを下さいました.それは,アボニムご自身が書かれた手書きの原理でした.そして,彼は,私に指示されました「あなたに必要な物はこれだけです.これだけを持って,これから説教をしなさい.」そして,私は,原理原本と聖書のコピーと讃美歌の本を持って行きました.それが,私の持ち物の全部でした.


出発の寸前,アボニムは私のために,祈祷して下さいました.「お父様,この若い娘(当時,私は二十代で,彼は,私を若い娘と呼びました.)は,今,正に大邱の開拓に行きます.どうか,彼女と共にあって,彼女を助け,彼女が戻る前に,大邱にあなたの教会を建てる事を許諾して下さい.」


私は,アボニムがいらした釜山から出発し,自分の中で考えました「わあ,先生(当時,私達は,彼をアボニムとは呼ばず,先生と呼んでいました.) 先生は,本当に,私に行って,基本的なお金も持たさないで,40日間で,教会を建てる事を願っておられ,行って,私が神様と共にある事を願っておられる.彼がこれをされる時,イエス様が2000年前にどうされたか,弟子達をどう送られたかを考えておられます.だから,これは,本当にとても深刻な事です.」


今でも,私が困難に直面する時,私は,アボニムが私を伝道の使命の為に送り出す時,私の為に涙の祈祷をされたことを思い出します.


アボニムは,復帰歴史が簡単ではなく,とても難しかったことを示唆されました.彼は,私を送りたくなかったのですが,それは,必要だったので,私を送らなければならなかったのです.そして,彼は,どうか彼の心情を理解してほしいと頼まれました.


当時,私は,聖書について少しは知っていましたが,原理については,殆ど何も知らず,原理を講義できるような立場ではありませんでした.そして,私は,物を白い布に包んで,釜山の鉄道の駅に行きました.大邱に行く途中の列車の中で,私は,自分の中で考えました「これは,私が先生に,行くと約束した道ですが,とても難しい道です.」そして,何が起こるか,とても不安でした.


大邱の駅に到着し,列車から降りましたが,その後,何をするか,考えはありませんでした.そして,祈りました「神様,私は今,何をすべきでしょうか.どの方向に行くべきでしょうか.私は,何処に行くべきか,何をすべきか,分かりません.」


その瞬間,私は,声を聴きました.その声は「あなたは,この道を一日も歩んでいません.私は,一人の対象を完成させるために,6000年間,歩んできました.あなたは,一日さえも許容できない.不平を言わないで.」そして,私は我に返りました.


そして,祈りました「神様,私がここに来た以上,私は成功しなければなりません.成功の基台の上で戻らなければなりません.神様,どうか私を助けて下さい.主よ,私を助けて下さい.」「私がこれをする限り,私は,大邱における最大のキリスト教会に行くべきでしょう.」そこで,私は,イ西門(セムン)教会と呼ばれる最大の教会を訪れました.数千人の教会員が居ました.


私は,その教会に行き,夜,祈祷しました.朝,私が,教会のドアから出ようとする時,信徒である一人の女性に会いました.彼女は,早朝祈祷をするために,近くの山に行こうとしていました.彼女は,私に同行し,一緒に祈祷することを許してくれました.


私は,伝道するには,深い精誠が必要であると感じました.私達が,神様とイエス様と共にあり,神様とイエス様を期待するような位置に,私達自身を立てる必要があります.これが,私の伝道する使命の始まりでしたから,私は,祈るために山に登りました.私は,その為に祈り,また,私が人々の心に種を植えて,彼らが,神様は生きておられることを理解できるように祈りました.


山に登る途中,私は,歌を歌いました.この歌は,エデンの園と神様と共にある歌でした.この歌は,アボニムと一緒に何度も歌った歌でした.天国が始まる時の彼の役事と奇跡です.


私が,その歌を歌うと,10人ぐらいの人達が来て,私の周りに集まりました.彼らは「私達は,あなたの歌声を聴きました.それは,人の歌声とは思えませんでした.私達は,一人の天使と思いました.でも,ここに来て,私達は,人である事を確認しました.」私は,自分で考えました.「私は,人間です.彼らは,私が動物だと思いましたか.」彼らは,私がその歌を歌っている時,来ました.


これらの10人の人達は,大邱の南門(ナンムン)教会の人達でした.彼らは,そのように私の所に来て,私に,神様の御言を語るように頼みました.そして,私は語りました.アボニムは,私に原理原本のコピーを下さいました.それは,彼ご自身の手書きで,それを使うように助言して下さいました.それで,私が彼らに語ったことは,その本の内容をベースとしていました.


そして,驚くべき奇蹟が起こり始めました.彼らは,それが素晴らしいと考えました.彼らは,言いました.「私達は,神様とイエス様を信じて来ました.私達の何人かは,40年間,また,誰かは,30年間です.しかし,私達は,このような事は聞いたことがない.これは,私達が,神様が生きておられる事を理解する,本当の助けとなります.あなたが,これを語ることは,素晴らしい.」


私は,約1週間,彼らを伝道し続けました.驚くことに,彼らは眠らないし,食べないし,神様の御言を連続して,聞きたかったようです.彼らは,このような歌声は聞くことが無かったし,彼らの生涯において,どんなメッセージからも,このような多くの霊性と恵を受けたことはありませんでした.


そして,アボニムは,その山に霊的に来られました.彼は,来られました.私は,彼が凡一洞や水晶洞で,穿いていたグレーのズボンを穿いているのを見ました.上着も,彼が着ておられたものでした.


彼らは,信じ難い経験として,これらの御言を神様から聞いた事を宣言しました.彼らは,今まで,そのようなものは決して聞いたことがありませんでした.彼らは,「私達は,これらの御言によって,頭がおかしくなりました.私達は,自分達が自分達ではありません.」私が,語る時,彼らは泣き,余りにも感動し,信じられなく,私自身も信じられませんでした.


これは,私が,原理のこれらの御言は,本当に力強く,本当に神様からの御言であると感じ始めた時でした.


これを,もうこれ以上語る時間がありません.別の機会に続けます.


ありがとうございます.



ビデオ: 

25:54-57:15



<鷹の目>
この証をされる時,康オモニムは,ややお疲れの様子でしたが,御言を語るにつれて,段々お元気になられ,後半は,とても力強く語っておられました.ビデオで確認して欲しいと思います.釜山時代は,多くの奇蹟があったように聞いております.やがて,李耀翰(ヨハネ)先生も来られます.草創期の基盤が一気に固められた感が有ります.


今も,ある意味では,私達は草創期にあります.2012.1以降,真の父母様不在のような時期が続いていました.1960年以前まで戻されていたと思います.2017.9の入籍祝福によって,一気に完成期の祝福をされた父母様と二代王様・王妃様でした.聖人の歩まれる路程,御生涯は,殆ど悲惨なものです.犠牲の上に,また犠牲を払われ,私達,堕落人間を救って下さったアボニムでした.その御恩を忘れてはなりません.その大恩に,私達は何をもって報いたら良いのでしょうか.私達も,精誠を尽くす事でしょう.微力でも,精誠を尽くして,二代王様と共にアボニムの願いに立つ事でしょう.


御言の改竄など以ての外です.信仰者としてあるまじき事,あり得ない事です.そういう事が起こった背景をよく考えて見ましょう.御言を変える事は,アボニムへの裏切りではないですか.聖人に対する遺恨があるように感じます.遺恨を抱くのは,誰でしょうか.アボニムの御言,業績,伝統を葬り去ろうとしても,無理でしょう.私達の脳裏と心中に,アボニムの御言,業績,伝統は残っています.それらを,正しく後代に伝える事が大切です.

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