サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「体験を通して学ぶ信仰」


2017.3.31



今日は,体験を通して学ぶ信仰についてお話したいと思います.信仰には,体験を通した学びが必要です.私達は,確かな体験を通して歩む必要があります.私達が,どんなに長く信じても,体験によって学んでいない信仰は,続かないでしょう.


信仰するためには,3つの重要な要素があります.つまり,絶対信仰,絶対否定,そして,絶対愛です.アダムとエバは,人類の父母でしたが,堕落によって,彼らの家庭は崩壊しました.堕落の後,神様は,宗教を立てました.宗教を通して,崩壊した家庭を取られ,彼の摂理を導き,彼らを本来の家庭に戻そうとされました.


アダムとエバは,自分達の位置を主張したために堕落しました.従って,私達には,この全てを復帰する任務があります.彼らは,自己中心によって堕落したので,私達は,今,信仰を通して,神様に戻る道を見出す必要があります.それは,アボニムを通して行く道です.


次に,アダムとエバは,自分達を中心とした愛を要求し,自分達に愛を集めることを主張したために堕落しました.彼らは,最後に全てを失ってしまいました.


今日は,私達の自己中心の結果として失われた条件を,私達はどのように回復できるかという事を考えて見たいです.私達は,先祖のアダムとエバが堕落した位置を越えなければなりません.私達は,絶対信仰と絶対否定を持たなければなりません.絶対信仰を持つためには,私達の信仰を生涯続ける必要があります.私達は,亡くなる時も信仰を維持し,死後も信仰を続ける必要があります.


絶対信仰において,最も難しいことは,私達が亡くなる時も信仰を維持することです.もし,そのような状況においても,私達が信仰を維持できれば,私達が死に向かっても,復活の摂理が成されます.


今,サンクチュアリ教会のメンバー達は,前後左右,あらゆる方向から迫害されていますが,私達が死に際してもこの道を続けるという決意をすれば,多くの人々が頭を下げて,私達に屈服するでしょう.


完全な宗教は,自己否定の点から始まります.イエス様も言われました「あなたは,自分の十字架を負って,私に従いなさい.」それは,私達が,自分自身を否定しなければならないことを意味します.私達は,自己否定ということがどんなに大きく,広大であるかを知る必要があります.私達は,心も体も否定しなければなりません.


サタンが主に住んでいる所は,私達の体です.アボニムが,何度も言われました.彼は停まって,尋ねました「皆さんの心と体は一体ですか.」しかし,心と体が一体になっていると応えられた人は,一人も居ませんでした.今日も,私達の心と体は闘っており,その闘いの原因は,私達が堕落したためです.


難しい局面において,アボニムは言われました.「私達は,まだ続ける必要が有ります.この道を耐える必要があります.私達が,忍耐できなければ,成功しません.」イエス様も祈られました.「できる事なら,この杯を私から過ぎ去らせて下さい.しかし,私の願い通りではなく,御心のままに.」彼は,これを,十字架が差し迫った時に言われました.従って,彼は最期まで,神様に忠実でした.


死に直面しても,彼は弱さを見せませんでした.むしろ,強さのモデルを見せてくれました.容易な道ではありませんでした.難しい道でしたが,イエス様は,私達に自己否定を見せてくれました.数回ではありません.何百回も見せてくれました.


彼は,いつもご自身を神様の側としました.いつも,彼は人類の救済のために働いているという確信がありました.そして,それは,どうすれば勝利できるかという確信でした.これが,イエス様が,絶対信仰,絶対否定,絶対愛を強調した理由であり,彼は,私達にモデルを示して下さいました.イエス様は,十字架で亡くなっても,流される血は,いつか将来,人類の復活をもたらす事をご存知でした.


私達の道は,唯歌って,ハミングして,幸せになれる道ではありません.私達は,神様とアボニムの苦痛と悲しみの御心情を体験する必要のある道を歩みます.そうしなければ,私達は,神様とアボニムとの関係を確立できません.私達はその体験が必要です.神様,アボニム,および彼らの御心情の体験を通して学ぶ必要があるのです.これらの体験から学べたことを実践できれば,神様は,私達を通して,驚くべき奇跡を達成できます.


子供にとって,両親への忠孝を表すためには,彼は,両親の困難さを体験する必要があり,両親の難しい状態を知る必要があります.それを知らなければ,忠孝を表すことは難しいです.子供は,忠孝を表すためには,両親と同じ心情を持ち,神様とアボニムと同じ心情を持つ必要があります.また,忠義の主体,忠義の愛国者となる必要があります.そうしなければ,私達は簡単に失敗します.


しかし,私達が,そのようにアボニムの御心情を学ぶ体験を通して学ぶことは,簡単ではありません.私達が,神様の御心情を知ることができる時,私達の心は上がり,アボニムが私達の所に来られ,神様も来られます.そして,信じられないように一体化できます.


私達は,いつか,神様の前で,審判を受けます.私達が審判を受ける時,私達は,危機の際も,混乱の際も維持できる心をベースとして,審判されます.それは,唯一,私達が,神様と完全に一体となった心情を持てる時であり,分離はありません.誰かが,神様との関係を切ろうとしても,裂くことはできません.唯一,その時,私達は,真の永遠の命を得る事が出来ます.


アボニムは,よく言われました.霊界が開けた人達の中には,彼がどのように生きて,彼が何をしているかを見られる人達がいます.世界には,他の人達は知りませんが,何人かの人達は,アボニムの指示を受けて,アボニムに導かれて,人生を生きていると言われました.


今日,私達が生きる世界は,霊界が私達にとても近くなっています.これは,宝です.私達だけが持つ強いポイントです.今までの宗教は,この体験の面が無かったので,世俗化し,衰えました.


体験から学ぶためには,私達は,祈り,精誠と献身を尽くす必要があります.アボニムは,私達に,注意しなさい.そして,啓示とその過程から私達が受けた実現を無視してはいけないと言われました.私達は,このような体験から受けたものを得て,それらを,私達の実際の生活において,実践する必要があります.


アボニムがどのように,生涯を霊的な方法で生きられたかを私は証します.アボニムが国内を旅行された時,アボニムは,朝電話をされて言われました.「分かりました.私は,今日そこへ行きます.」しかし,その後,実際に出かけられると,彼は,全く違う所に行かれました.私達は,アボニムは,御自身が受けた霊的な波動や振動に従って生きておられ,神様の言われた通りに生きておられるのをいつも見ました.


そして,私達の人生も,神様とアボニムと共に生きましょう.私達が,そうできれば,人々は,私達がどのように生きているかを気付くでしょう.そして,彼らは私達の言う事を聞くでしょう.私達が,神様と共に生きれば,人々は,私達が元気一杯であることを見て,自己中心に生きるのではなく,神様を中心に生きていることを知るでしょう.


アボニムは,言われました.事がとても,とても難しい時があり,彼は「私は何をすべきでしょうか」と祈られました.そして,アボニムは,声を聴かれました.「あなたは,死ぬ必要があります.あなたは,死ぬ必要が有りますが,そうすれば,生きるでしょう」「あなたは,祝福を受けられるでしょうが,全人類に祝福を与えることができるようになります.」神様は,常に,我慢するように,忍耐するように,仰ったと言われました.


漢字では,忍耐や我慢という字は,心と刀の字を組み合わせています.私達は,誰かが私達の精神や心に刀を突き付けても,我慢しなさいという意味です.私達の心に誰かが,刀を刺すと,どんなに痛いでしょうか.しかし,誰かが千回耐えれば,彼は千回勝利します.


それは,私達が動く前に,もう一度考える理由です.私達が動く前に考えるための別の時間を取って,それに基づいて動きましょう.


アボニムは,私達に忍耐と我慢の訓練をされましたが,彼も,信じられないような忍耐の訓練をされました.何回も忍耐する事は難しいのですが,アボニムはそうされました.アボニムは,彼に困難な事を与える人に耐えられるかという考えで,忍耐されました.そして,その人が受けた祝福を全て相続することが出来ました.聖書にもあります.最後まで耐える者達は,祝福される.私達が,長い間,忍耐すれば,より多くの祝福を受けるという意味にも,理解できます.


神様は,6,000年間耐えて来られました.そして,神様は私達の父です.私達は,神様の子女ですから,今日の私達の人生において,勝利を得るために,私達も耐えなければなりません.従って,この堕落した世界における私達の人生哲学は,常に,忍耐と我慢をすべきものです.私達は,それを神様とアボニムの為にします.私達が,忠孝と忠誠の哲学を得る所です.


私が知っている家庭は,5世代が一つ屋根の下に住んでいました.アボニムは,3世代が一緒に住むべきだと言われましたが,この特別な家庭は,5世代が住んでいて,私は,その家庭の義理の娘を知っていました.多くの人が,この婦人を訪ねました.年配の婦人でしたが,人々は尋ねました「5世代がどのようにすれば,一つ屋根の下に住めますか.秘訣は何ですか.」彼女は,聞いている人を,沢山の食べ物を地面に置いてある場所に連れて行きました.そこには,地中の甕があり,彼女はそれを開けて,中に有る物を質問者に見せました.甕の中には,忍耐と言う文字が書かれた紙があり,甕に一杯入っていました.彼女は我慢できませんでしたが,最後まで忍耐しました.


忍耐には対象があります.あなたの忍耐には,目的や最終ゴールがある筈です.アボニムは,最大の敵に対しても,忍耐されました.そうすることによって,彼は,人類の真の父母様として立つことが出来ました.


唯,忍耐するだけでは不十分です.もし,私達が「ああ,とても難しかった」と言えば,私達は,条件を失います.私達が,困難に感謝した時,忍耐して,讃美歌を歌えたら,私達は,勝利できます.私達が,忍耐する過程で,不平を言えば,神様は,私達の所には来られません.だから,私達は,忍耐する時にも,感謝の心を持つ必要があります.それは,絶対に必要なことです.


その様な感謝の気持ちが無ければ,私達は,永遠に,忍耐出来ません.そのような感謝の心が無ければ,私達が忍耐していても,神様は私達には,現れません.だから,私達が忍耐する時は,前にゴールを持って,ある期間前進し,そのゴールに達するためのプロセスが必要です.そして,私達が日々,忍耐し続け,常に,ゴールを意識し続ければ,最後には,勝利の結実を得るでしょう.


忍耐する際,私達は,モーセの十災禍を越えなければなりません.信仰の道は,克服の道であり,私達は,前に立ちはだかる障害を,連続的に乗り越える必要があります.宗教は,人々に忍耐と犠牲を教えます.イエス様は,命を得るためには,私達は,それを失わなければならないと言われました.よって,私達が,そのように犠牲になれば,私達は,モーセの十災禍と同じぐらい難しいことも,乗り越えることができるでしょう.アボニムは,忍耐するための秘訣を教えて下さいました.


イスラエルは,メシアが来られたら,彼らは,自分達の国が中心となって,世界を掌握できると考えました.そして,彼らは,唯,自分達の幸せのみを考えました.彼らが全人類のことを考えず,自分達の事のみを考えたので,最後に,彼らは破滅しました.私達も,自分達の道を歩む際,そのような事を克服できなければ,最後に,勝利することは出来ません.


その様な場合,克服できる唯一の道は,精誠と献身です.外的な手段ではありません.アボニムが,ある催事において,敬拝された時,彼は,体験できた生きた神様に敬拝をされたと,言えます.私達が,アボニムが神様の前に表された精誠と献身を知って,私達も,その精誠と献身の表し方を学びました.この精誠と献身をもって,アボニムは,神様と父子の関係を持つ事が出来ました.


彼は,霊界に聖和される前に,この全てを私達にして下さいました.だから,今朝も,アボニムが,感謝の心で,神様に精誠と献身を表された方法を,覚えましょう.そして,私達の人生においても,同様の姿勢を表しましょう.そして,信仰生活をそのように送りましょう.


どうも,ありがとうございます.


ビデオ: 

51:04-1:35:00



<鷹の目>
信仰の本質,神髄に迫るとても深い内容です.講話の時間もいつもより長くなっています.


信仰の3要素は,絶対信仰,絶対否定,そして絶対愛と言われています.家庭盟誓では,絶対信仰,絶対愛,絶対服従と言われています.何度も聞かされて,唱和してきた事です.


ここで言う体験とは,神様とアボニムの苦痛と悲しみの御心情を体験することであり,そうすることによって,神様とアボニムと一つになれると言われています.このような体験を多かれ少なかれ,私達もしてきた筈です.


体験から学ぶためには,私達は,祈り,精誠と献身を尽くす必要がありますと言われました.その路程は,忍耐の連続であると言われています.最後まで耐え忍ぶ者が勝利すると聖書にも記されています.


私達は,神様を感じられるような日々を送りたいものです.日常の事に,また,世の中の仕事などに注力すると,信仰を忘れがちではないでしょうか.神様の事を考えない時間が多くなってはいないでしょうか.アボニムの韓国(南)における第一弟子,信仰の大先輩,統一教会の母と呼ばれた,康賢實オモニムの信仰体験は,さすがに広く,深いものがあります.ここに,証された内容を,一つ一つ咀嚼して,自分のものとして考え,体恤できるようにしたいものです.

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