サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

アボニムの涙(14a)




14.家庭連合の兄弟姉妹達に言いたい事


1) 私達は,生命力を維持する信仰を持たなければなりません.


私達は,信仰者として,どのような宗教を実践する必要がありますか.この疑問に対処するために,宗教を二つのカテゴリー(範疇)に分けて,考えて見ましょう.一つのカテゴリーは,「閉じた宗教」です.そして,もう一つは「開いた宗教」です.


閉じた宗教の第一の特徴は,全ての信者達に,自ら定義した絶対的な権威に,無条件で服従することを教えます.閉じた宗教は,以下の決まり文句を教えます.つまり,全ての回答,指導規則のどの側面,全ての行動と教義は,絶対,不変であり,そして,既に与えられています.結果として,ある信者がこれらを文字通り受け入れて,それらを疑問を持たずに信じて,従えば,彼は,祝福されて表彰されるでしょう.もし,信者が,これらに従わなければ,彼または彼女は,怒りと罰を受けるでしょう.


これに対して,開いた宗教は,私達に,世界は,当たり前であるとはしないで,日々生きる世界を絶対的なものとして考えない様に教えます.私達に,この世界に満足しない様に教えます.寧ろ,ある開いた宗教は,私達に,超自然的な世界(霊界)を本当の実在の世界とし,その本当の世界のように処しなさいと教えます.このようにするのを助けるために,開いた宗教は,人間として,私達の今の世界に対する考えや評価は,本質的に限界があると,謙虚に認めるように導きます.このような宗教は,私達に,心を開いて常に調べる努力を要望します.そして,私達は,真理の更に深く広い次元を発見し,感じます.つまり,要するに,閉じた宗教は,実在の「表面の構造」にしがみ付いていますが,開いた宗教は,実在の「深層構造」に関心が有ります.


それでは,どちらの宗教が閉じた宗教であり,どちらが開いた宗教でしょうか.実際に,私達が,全ての宗教を,この宗教は開いた宗教で,こちらは閉じた宗教だと言って,真ん中で分けようとしても,これは役に立ちません.宗教をこのように羊と山羊に分ける試みは,適切なアプローチではありません.何故? ほとんどの宗教は,閉じたものと開いたものの両方になるからです.即ち,閉じた宗教の側面と,開いた宗教の側面の両面が,一つの宗教の中にあるからです.


どんな宗教であっても,信者達が,その宗教の本当の目的を深く把握しないで,息苦しい宗教生活を永久に続けて,皮相的な言葉に執着するなら,その宗教は閉じた宗教になるでしょう.一方,信者達が,その宗教の本当の意味を深く知るために,自助努力し,その宗教が進めたい,自由や解放を経験する生涯を生きるように努力すれば,その宗教は開いた宗教になるでしょう.
                         
私達が,自分達の信仰生活のアプローチをよく調べて見ると,私達は,多分,他の人達が,私達に言う事を,無条件に受け入れたり,無条件に拒否する事が,良くないことに気付くでしょう.誰かが言うことの全てを無条件に信じる事は,愚かな「盲信」です.同時に,全てを拒否するアプローチは,違うように見えますが,実は同じ「盲信」の態度から来ています.


「自由論」で有名な,英国の哲学者,ジョン・スチュワート・ミルは,言論の自由を保証する事が重要である様々な理由を論じています.ミルによれば,煌めくアイデアを持っている人達にとって,それらを言論の自由をベースに,他の人達と分かち合う事は有益です.しかし,もっと重要で,根本的なことは,これらのアイデアの利点や欠点が,もっとはっきり知られるという観点を,自由に表現し,議論する過程にあります.


人々が同じ事を考えて,同じ事を言うような社会,或いは,人々がそのように行動する社会においては,淀みが生じます.それが荒唐無稽または,馬鹿げたように見えても,言われたことは問題ではありません.自由なスピーチが許可されている限り,言われた事が,生き生きとした議論の過程を経験します.内容が本当に,無用で,悪いものなら,それは,自然に,拒絶され,絶えるでしょう.


ミルによれば,人々が,他の人達のアイデアを聞く事が許され,自分達を組織して,表現できる所において,社会が平凡な状態から自由になり,この種の自由な議論の過程による連続的な発展を遂げることができると言われています.この為に,言論の自由が保証されなければなりません.人権問題もさることながら,自由な言論は,人間社会の発展には,不可欠です.(「イエスが無視した一つの質問」オウ・カンナム教授より)


少し戻って,家庭連合から来た一人の兄弟と一対一で,とても率直に話す機会がありました.私は,彼が多くの不安を経験し,内的に闘っているという印象を受けました.彼は,青春と将来を摂理のために献身し,家族の反対と周りの人達からの愚弄を克服しました.彼は,今まで,確信と希望を持って,活動に従ってきましたが,突然,彼は,自分が死の淵にある事に気付き,自分自身の選択に疑問を呈して,多くの時間を費やしました.
「今日のままで,家庭連合は,天一国の理想を達成できますか.」
「今日の全ての混乱の中にあって,私は,正しい方向に行っているのでしょうか.」


私達の運動の今の位置を考えると,私達は,落ち着いて考える必要があります.落ち着いて,静かに反省する時間を持って,自分達自身に以下を問う必要があります.
(1) アボニムの聖和以降,家庭連合の幹部達が取って来た一連の変更は,アボニムの遺志に沿うものですか.
(2) 真の父母様が,文亨進ニムを代身者,相続者と宣言したことを考えると,どうして,亨進ニムは教会から去ったのですか.彼は,どうして,母親を非難し,家庭連合の幹部達を,そのような強い憤りと怒りをもって,叱責されるのですか.
(3) 私達は,教会が二つか三つに分裂したと見ます.私達の目の前で,家庭連合の幹部達は,どうして,この状態を積極的に解決することに興味がないのですか.
(4) 私達が,教会の内部で起こっている事に関心を持たないこと,或いは,教会内の事には関わらないことは,アボニムの遺志ですか.私達は,何も知らないで,何も聞かないで,家庭連合本部の指示に単純に従うべきですか.
(5) 私達は,アボニムから,基元節の後は,神様が直接支配すると聞きました.それで,神様は,実際には何をされていますか.「天一国」は,正しく創設されて,それは,本当の天一国ですか.私達は,生涯このように生き続ける運命にあるのですか.これは,私達の子供の世代も同じ運命ですか.
(6) 私が,今歩んでいる道は,神様のみ旨に沿うものですか.それとも,私は,自分自身を何か欺いているのですか.


多くの兄弟姉妹達が,これらの全てについて,混乱しています.何が正しく,何が誤りですか.私は誰に従うべきですか,家庭連合の幹部達ですか,それとも,サンクチュアリ教会ですか.この種の複雑な感覚は,殆どの統一家の祝福家庭が,今日直面するディレンマ(板挟み)を作りました.その事実を考えると,人は,自分の信仰の道を考えて,振り返る時間を持つ事が今まで以上に重要になる理由ではないですか.


従って,寧ろ,私が今日ここで,皆さんに言ったことに集中するよりも,少し休んで,私達の全体としての状態を,客観的に見る必要であると思います.静かになる時間を取って,今日の私は誰なのかを振り返り,叫びや囁きを全て除いて,静かに自身を見つめましょう.


個人的には,私達は,信仰生活における新しい覚醒を体験し,新しい展望が必要であると考えます.例えば,信仰生活を正しく導くために,私達がしなければならない事は何か.何をもってしても避けなければならない事は何か.また,信仰の実践における目的は何か.


今日,私は,世界のデーターにアクセスするのに,手にあるスマホ以外に必要なものはありません.殆ど瞬時に,私は,100人の異なる専門家の知識を遥かに超える情報を得ることができます.私達の生きる今の時代は,透明な情報の時代です.世界の全ての秘密が公開され,覆い隠すことは出来ません.


この時代にも関わらず,家庭連合の幹部達は,天正宮の中で起こっている問題について,立ち入り禁止区域を設けました.私達は,彼らが与えようと決めた情報と,覆い隠した情報だけが得られます.今日の家庭連合は,闘争の旋風に巻き込まれ,断崖に立っています.私達食口は,部外者となり,事実が何かを知らないままです.その代わりに,統一運動に加わっていない社会の人達が,家庭連合の内部における動向を,私達に知らせてくれます.


内部へのアプローチが遮断されても,指示と服従によってのみ動く組織は,生命力を失っています.上意下達(かたつ)のみが許され,下意上達の意思疎通が拒まれる集団には,生命力がありません.コミュニケーションが無ければ,神経が麻痺し,衰退がはじまります.仮に,病が有ると,その病を感じ,感知する能力は無くなります.そのような組織や集団が生き残るためには,二つの道しかありません.抵抗と反逆または,無関心と無視.何が可能ですか.これは,今日の家庭連合における問題の状態を書いていませんか.


私達は全員,今の時,革命的でした.天に導かれて,メシアと出会い,彼に従って,世界の拘束を振り払い,自由と平和と幸福の理想世界を完遂する決意を表明しました.アボニム,メシアに侍って,私達は,勝利して,共に神様の王権を確立するために,荒野時代を通して道を開き,膨大な迫害と苦労した状況を克服しました.メシアが聖和された後,家庭連合は,大きな混乱に巻き込まれ,統一教会は二つに分裂しました.


メシアの遺志が家庭連合から抜けて行った事に気付くと,一人で荒野に立って,神様のみ旨を守っているアボニムの代身者,相続者である文亨進ニムに従って,もう一度,寒い荒野に出て行った人達が居ます.何故ですか.メシアとの約束を守り,神様のみ旨をもう一度,復活させるためです.三代王権を守るために立った,平和,統一サンクチュアリの兄弟姉妹達がいます.


しかし,家庭連合に残っている兄弟姉妹達は,他の考えを持っています.彼らは,もう一度,荒野路程に行って,歩むことが怖いのです.彼らは,これ以上犠牲になりたくないのです.これらの人達は,アボニムに侍るべきか,韓オモニムに侍るべきかに関わらず,家庭連合の幹部達が,正しい事をしていようが,悪い事をしていようが関係なく,天一国で,静かに,快適に,従順に生きたいのです.彼らは,今,最終的に天一国の祝福中心家庭になったと,そして,全てが良好と信じ,天国に向かって行き,天国に入ると,自分達に言っています.彼らは,手名付けられました.実際,飼いならされました.しかし,どの道が天一国に導かれる道かを見出すことを考える前に,私達の信仰生活をどのように実践すべきかを,考える必要があります.信仰生活の正しい観点のみが,私達を正しい道に導いてくれます.


信仰の間違った実践は,非常な損害となります.全ての問題が生じます.私は,「人の自主的,合理的に考える権利」を奪うことは,最悪中の最悪と考えます. 


捩じれた信仰観を持つと,信仰者は,固い,固定された教義観,救済観に陥ります.そして,私達は,既に家庭連合において,これを多く見ることができます.色々な批判を防ぐ連合の中に,多くの構造的な障壁があることは,容易に分かります.そして,これらの障壁は,事実を調べられない様にしています.更に,これらが起こっている事を,誰もが見ることができます.そのような環境において,信仰は自然に,観念的になり,「忠実な」は霊的な習慣に陥り,そこでは,救いの理論だけが拡大します.部外者が,命の生きた呼吸の証を見出す事は,不可能となります.私ですか.私は,これを「プログラムされたロボットの信仰」と呼びます.


考えや洞察が枯渇し,認識の感覚が死んだ人達は,自由と,決定する能力を失っています.彼らは,ロボットか奴隷以外の何者でもありません.


これは,頑なな教義を中心に置く信仰のタイプです.それは,私達の自主的に考える能力を抹消し,生きる価値を創る自由を体験する能力を破壊します.このような信仰のシステムは,私達の思考を,固く,凍った塀の中に閉じ込めて,私達を家畜のように扱い,私達の生命力を搾取します.この種の宗教団体は,私達が,断固拒否しなければならないものです.


真の信仰生活は,私達自身を何度も何度も,毎日毎日,新しくする道です.私自身をどういう位置で見出しても,私は,自らを真理の光で調べて,自分の認識を構築し,自分自身を,真理における自由と解放に,常に向かわせなければなりません.自由な思想や行動における信仰は,教義の拘束によって縛られます.そして,儀式は正しくないし,真の信仰でもないのです.
あなたは,新しい理解を体験し,幻想から目覚める必要があります.もし,そうすれば,あなたの視力が広がることに気付くでしょう.明るい光が,天一国を建設する道を照らします.そして,家庭連合の幹部達によって,今,行われている全ての変更を正しく判断することが出来るでしょう.皆さんは,私を批判することは自由です.議論は,私達に,正邪の区別を教えてくれます.死んだ信仰生活を実践しないで下さい.世界中で,魂と自由な霊が砂漠のように乾き,思想の欠けた無意味な生活をしている人以上に惨めな人はいません.アボニムは言われました.「無知には何の完成もない.」
(続く)



<鷹の目>
同じことを何回か記していますが,2013.1.13(天)の基元節までに,真の父母様の完成期の入籍祝福はなされていません.父母様の祝福が延期された状態で,食口だけが入籍祝福を受けたのですか.家庭連合に残っている人達は,この疑義に応えて欲しいと思います.
アボニムは,最期まで,韓オモニムの帰順を願われ,お二人で,入籍祝福を達成したかったのです.しかし,結局,それは達成されず,アボニムは失意の中を聖和されました.真の父母様が完成期の祝福を受けていない状態で,食口だけが受けたという祝福は何だったのですか.全ての虚構は,ここから始まっています.神様の呼称を変更したり,天一国歌を取り換えたようなこともありましたが,この偽りの祝福こそが,家庭連合の科の始まりです.
今も,純真な食口は,家庭連合の所業を信じて,世界中で,日々,み旨を実現する事と信じて,この祝福の拡大のために歩んでいます.取り返しの付かないような事態が,まるで,伝染病に感染して行くように拡大されています.
祝福の権能は,亨進ニムだけに伝授されています.他の人の司式する祝福は,祝福のようなものですが,本当の祝福ではありません.二代王様と二代王様から委任された人が執り行う本当の祝福を受けましょう.
本稿にもあるように,家庭連合,その他諸派に所属する人達は目覚めましょう.真理の光と神霊の力を受けて,何が正しい信仰であり,食口の歩むべき道かを悟りましょう.

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