サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「イエス様の生涯路程と私達の教会が歩まなければならない路程」


2017.4.17


聖書拝読: マタイ26:39


少し進んで行って,うつ伏せになり,祈って言われた.「父よ,できる事なら,この杯を私から過ぎ去らせて下さい.しかし,私の願い通りではなく,御心のままに.」


皆さん,おはようございます.


今日は,イエス様の生涯路程と私達の教会が歩まなければならない路程について,語りたいと思います.


イエス様は,生涯,一つの目的を持っておられました.彼は,生涯を献げ,その目的の為に命を懸けました.イエス様は,絶対勝利の確信があり,それに対して,全ての精誠と献身を献げました.彼が亡くなった時は,敵の出現によって亡くなったのではなく,神様の出現において亡くなることができる知恵を持たれました.彼は,そのような知恵深い方でした.


イエス様は,イスラエルの将来に責任を持ち,彼らを正しい方向に導くために可能な事を,全て成されました.最期に,彼は,選択の余地がなく,従うしかなかった運命の道を行かれました.イエス様の弟子達は,彼を放棄して,自分達が生きる事のみを考えました.そのような状況にあっても,彼はまだ,神様のみ旨を果たすことに完全に集中しておられました.


イエス様は,それまでに世界中の人達が供した以上の献身と精誠の基準を,見せて下さいました.そして,彼は,神様のみ旨の為に,十字架の道に行かれました.イエス様は,いつも神様と一緒におられ,十字架の道を行かれる際も,落胆されることはありませんでした.イエス様が,敵に支配された所においても,希望の世界を立てられたことを知ります.


マタイ39章のイエス様の最期の祈りにおいて,私達は,彼が「我が父よ」と泣き叫ばれたことを知ります.そして,彼は,このように神様と父子の関係があったのです.神様とイエス様の間には,信じられないような関係がありました.彼は,祈られました.「できる事なら,この杯を私から過ぎ去らせて下さい.しかし,私の願い通りではなく,御心のままに.」この祈祷の中に,神様とイエス様が立っている全ての状況と環境が隠されています.


イエス様は,霊界に行かれて,神様の所に行かれても,彼は,恥じる息子としては行かないで,神様が誇れる息子だと主張できるような状況で行かれました.その時から,多くの人達が現れて,言いました.「私も,この道を行きます.」しかし,そのように出来た人は,多くはありませんでした.


イエス様の刑が執行されていた時も,彼は,神様に,執行人を許すように頼まれました.そして,亡くなる時も,彼は,再来することを約束され,地上に希望を残して下さいました.イエス様は,最終的な勝利が果たされ,神様のみ旨が全地に満たされることを宣言されました.その時,敵が許されます.亡くなる時も,彼は,確信と信仰と最終的な勝利の希望を維持されました.そして,彼は,ローマに対抗する人達に,祝福と希望を与えました.


私達は,イエス様が,何事も,内外の両面から支配されたことを知ります.イエス様は,彼の敵を許すことが出来ました.私達は,彼の神様への忠誠と孝行の基準,そして,彼が立てられた伝統が分かります.彼は,どの道においても,神様の息子でした.


イエス様のお命は,地上の33年間のみで終わっていません.人類歴史の路程を通して,継続しています.歴史は,イエス様が完遂することを捜したみ旨を果たすまで,続きます.そして,その日の実現は近付いています.彼は,そのゴールに集中して,生きておられました.それが,彼が生きられた唯一の道でした.


従って,イエス様のお命によって形成されたキリスト教は,世界的な主要な宗教にならざるを得なかったのです.どんなに多くの迫害を受けても,それは,決して,消滅する運命ではなかったのです.寧ろ,常に,主要な宗教になる運命でした.どんなに多くの迫害を受けても,迫害は,もっと成長するのを助けました.迫害された時に,世界中に浸透できる道を立て続けました.


私達が,今日歩む道も,同様です.私達が,「この杯を私から過ぎ去らせて下さい.」と言われたイエス様の祈祷を知る時,私達は,彼は悲しみで一杯になり,その環境から楽にして欲しいという願いが一杯であったことを,この表現の背後に想像できます.


アボニムが語られた時,彼は,個人,家庭,氏族,国家について語ったのではなく,何時も,私達に,世界全体を考えるように,励まして下さいました.


今朝,この聖句を見た時,私は「我が父よ」の言葉に集中しました.そして,イエス様は,神様と父子の関係であった事に気付きました.この関係は,誰かがどんなに強く離そうとしても,離せないものです.


今朝,私達も同様の関係をもてることを願います.私達が,神様を父と呼び,言葉だけではなく,私達の骨髄から,私達が,神様を父と呼び,「あなたが,私に何かして欲しいことが有りますか.ひょっとして,あなたが,私にして欲しいと願う御業の一部がありますか.私があなたの為に,そのようにできる事を,教えて下さい」と尋ねましょう.


アボニムは,御自身が世界を救い,世界に命を与える為にお生まれになった事を,一瞬も忘れることはありませんでした.私達も,世界に光を与え,世界を救わなければならない者達であるという確信をもって,前進する必要があります.私達が,そのような確信をもって前進すれば,私達は,アボニムが深く願われた天一国を,創建することが出来るでしょう.


また,アボニムが私達に,世界の生と死の全ての問題に責任を持ち,神様が願われる世界を創建することができるように生きることを願ったように,私達が人生を生きれば,また,私達が前進して,命さえも献げて,必要ならば死にも臨んで働けば,地上に驚くような奇蹟が起こるでしょう.


私達がこのようにする時,私達は,天一国の印を植え付ける事が出来るでしょう.世界の何処かに,勝利の旗を植え付ける事が出来るでしょう.それは,神様とアボニムと天一国に勝利を齎すでしょう.


どうも,ありがとう.


ビデオ: 

24:20-44:45



<鷹の目>
康オモニムの証によると,草創期には,アボニムが礼拝の説教をされる時,イエス様がアボニムの直ぐ前に座っておられたそうです.そして,アボニムの一挙手一投足の挙動をご覧になっておられたそうです.アボニムは,イエス様の事を語らずにはいられなかったのです.そして長く,イエス様の生涯路程の証を続けられました.イエス様は,命を懸けて生涯歩まれましたが,使命を果たす事が出来ず,昇天されたこと,そして,私達が,イエス様を十字架に架けたという事を忘れてはならないと,アボニムは強調されていました.


本稿にも記されているように,人類歴史において,神様と本当の父子の関係をもつことができた方は,イエス様とアボニムだけであったと思います.今は,アボニムの勝利圏が,子女様に,そして,全人類に伝授されようとしています.旧約の人達は,神様を主と呼びました.実質的に,イエス様が初めて,神様を,我が父よと呼ばれました.父子の関係が宇宙の根本であると言われています.最も貴い関係です.神様は,御自身に似た息子を産み,繁殖したかったのです.その根本動機は愛でした.その根本動機を切り崩したのが,天使長でした.神様とサタンの闘いは,神様が完全に勝利するまで続きます.


さて,私達は,み旨の道に来て,どれぐらい命を懸けて歩んで来たでしょうか.断食をしたり,睡眠時間を減らして,歩むことも命懸けです.私達が,アボニムの呼び掛け(=摂理)に,一所懸命に呼応してきたのも,命懸けだった筈です.しかし,いつの間にか馴化してしまい,平凡な日々の歩みとなってしまった感があります.兎に角,何を目指し,心がどうあるかでしょう.康オモニムは,私達が,命懸けで歩めば,奇蹟が起こると証されています.亨進ニムは,最近,スカイダイビングを奨励しています.天一国憲法をポケットに忍ばせて,数分の間,命懸けの時間を持つことは,命を懸ける象徴です.冬季には,氷水の中に入る体験訓練もありました.今は,王の王の一見突飛な呼び掛けに呼応するのも,命懸けの象徴であり,精誠の表出と思います.

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