サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「ダビデの悔改め」


2017.4.18



聖書拝読: 詩編51:3-21


神よ,私を憐れんで下さい,御慈しみをもって.深い憐みをもって,背きの罪を拭って下さい.
私の咎を悉く洗い,罪から清めて下さい.
あなたに背いたことを私は知っています.私の罪は常に私の前に置かれています.
あなたに,あなたのみに私は罪を犯し,御目に悪事と見られることをしました.あなたの言われることは正しく,あなたの裁きに誤りはありません.
私は咎の内に産み落とされ,母が私を身籠った時も,私は罪の内にあったのです.
あなたは秘儀ではなく真を望み,秘術を排して知恵を悟らせて下さいます.
ヒソプの枝で私の罪を払って下さい,私が清くなるように.私を洗って下さい,雪よりも白くなるように.
喜び祝う声を聞かせて下さい.あなたによって砕かれたこの骨が喜び踊るように.
私の罪に御顔を向けず,咎を悉く拭って下さい.
神よ,私の内に清い心を創造し,新しく確かな霊を授けて下さい.
御前から私を退けず,あなたの聖なる霊を取り上げないで下さい.
御救いの喜びを再び私に味わわせ,自由の霊によって支えて下さい.
私はあなたの道を教えます,あなたに背いている者に,罪人が御許に立ち帰るように.
神よ,私の救いの神よ,流血の災いから私を救い出して下さい.恵の御業をこの舌は喜び歌います.
主よ,私の唇を開いて下さい.この口はあなたの賛美を歌います.
もし,生贄があなたに喜ばれ,焼き尽くす献げ物が御旨に叶うのなら,私はそれを献げます.
しかし,神の求める生贄は打ち砕かれた霊.打ち砕かれ悔いる心を,神よ,あなたは侮られません.
御旨のままにシオンを恵み,エルサレムの城壁を築いて下さい.
その時には,正しい生贄も,焼き尽くす完全な献げ物も,あなたに喜ばれ,その時には,あなたの祭壇に雄牛が献げられるでしょう.


皆さん,おはようございます.今日は,ダビデの悔改めについて語ります.


ダビデは国王であり,多くの人達が仰ぎ見ていました.彼は,多くの正義を行いました.神様が彼と共にあり,人々は,彼が良い王になると考えました.しかし,ダビデが罪を犯した時,蕩減の道を行かなければなりませんでした.蕩減の道は,涙の道であり,とても難しい道でした.


詩編51章には,ダビデが,普通ではない,恐ろしい罪を犯したことが記されています.彼は,最前線に送った官吏ウリヤの妻を奪いました.彼は,妻のバトシェバを自分のものにしました.そして,彼は,徹底的に悔い改めたことが分かります.それで,今日,私は,彼の悔改めの内容について語りたいと思います.


この詩編51章はよく知られています.皆さんの多くが,それを何度も読んだと思います.私が,今日聞きたいことは,どのようにして,ダビデがこのような過ちを行い,単なる過ちではない,このような罪を犯すことが出来たかです.


ダビデは,ウリヤの妻バトシェバと罪を犯しました.堕落の後孫は,堕落しており,感覚がなく罪を犯すことを覚える必要があります.ダビデの犯した犯罪は,彼が,最前線にいた将軍の妻を奪ったことでした.彼は,良心の呵責を感じたに違いありませんが,とにかく,この犯罪を犯しました.彼は,明らかに我慢が出来なかったのです.


この罪を犯した後,ダビデは泣いて,悔い改めました.彼は,沢山泣いたので,顔が腫れました.聖書には,あたかも彼の腸が引っ繰り返るほどであったと,記されています.彼は,自分の罪の為に,信じられないような苦痛を受けたに違いありません.彼は,それを犯す前は,罪であると気付きませんでしたが,預言者ナタンが彼の所に来て,そのことを語りました.


ナタンは,ダビデに比喩を与えました.裕福な人は,羊の群れを持っていました.貧しい人は,一匹の雌の子羊しか持っていませんでした.彼はそれを労わり,子供達と共に育てました.裕福な人に,何かトラブルがあって(客をもてなすのに),彼は,自分の群れから取らず,その貧しい人の一匹の羊を取り上げました.そして,ナタンは,ダビデに,この場合どうすべきかと問いかけました.要するに,裕福な人は,客を持て成すために,貧しい人から盗みました.


ナタンの比喩を聞いた時,ダビデは,激しく怒りました.そして,その人に対する激情が燃え上がり,「主は,確かに生きておられる.そのようなことをした男は死罪である.」と言いました.そこで,ナタンは言いました.「良いですか,私の語ったこのとてつもない罪を犯した人は,あなたです.」そして,その時,ダビデは,彼の腸が引っ繰り返る程,苦しみました.そして,ダビデは悔い改めて,神様に,自分の罪を洗い清めて下さるように,彼が罪を犯す前の状態に至るまで,彼の不義を徹底的に洗い清めて下さるように請いました.


ダビデには,この罪が,何時も彼の前に残りました.彼は,独りで生きて行くことが出来ませんでした.そして,彼は,神様に,この罪を洗い清めて下さるように懇願しました.彼は,神様に祈りました.彼は,神様に,この罪を見ることができません.どうすることもできません.と言いました.そして,彼をもう一度正しくして下さるように,神様に請いました.彼は,「新しく確かな霊を授けて下さい.御前から私を退けず,あなたの聖なる霊を取り上げないで下さい.御救いの喜びを再び私に味わわせ,自由の霊によって支えて下さい.」と神様に頼みました.


彼は,神様に,彼の中に正しい心を創ることを頼みました.特に,彼は,御前から退けない様に請うたことが分かります.今日,人類が最も恐るべきことは,神様が私達を,御前から退ける事です.そうなると,私達はもう,神様の御前に出られません.そして,彼は,神様に,神様の聖なる霊を取り上げない様に祈りました.


過去に,私も罪を犯しました.そして,その時,神様に祈り,「神様,あなたは,私から何でも取る事ができますが,私達の持つ,この父と娘の関係だけは,取り上げないで下さい.私から,全てを取り上げても,あなたの霊は取り除かないで下さい.」と,請いました.


私は祈りました.「神様,あなたは,私から何でも取ることができますが,私があなたを父と呼び,あなたが応えて下さる体験を取り去らないで下さい.どうか,それを私から離さないで下さい.」私は,神様が私の中で,救いの喜びを復帰されるように祈りました.


ダビデは,神様の前にも悔い改めました.彼が,母の胎から生まれた時から,罪人であったことを,神様に告白しました.彼は,彼の母が,彼を罪の中で宿したと言いました.そして,彼が悔い改めた時,彼は,深く,そして,真摯にとてつもない心で悔い改めました.


今朝,この時が,私達が神様に頼み,私達の罪から神様が顔を背け,私達を罪から洗い清め,私達の中に,神様の霊を復帰できる時間であることを願います.ダビデがしたように,神様に祈りましょう.私達も,罪の中で宿されて,私達も罪があるからです.神様に,私達の罪を見なくて,私達の罪を清め,その罪を記憶されない様に,お願いしましょう.


ダビデは,告白し,涙を流して悔い改めました.そして,彼は,神様の許しを受けました.今朝は,どんなに大きい罪を私達が犯したとしても,私達が深く悔い改め,涙を流して悔い改めれば,神様は,私達を許し,彼は私達の父であるから,私達の罪を覚えてはいないという事を,記憶しましょう.


私達が,神様の前に本当に悔い改め,そのような悔い改めの霊をもって,私達が悔い改めの心をもって神様に近づくと,神様は,私達の父として,私達を許すことができます.


ある時,弟子がイエス様の所に来て,尋ねました.「私が,罪を犯したら,私は,何回許されるでしょうか.」イエス様は,「あなたは,7x77回許される道が有ります.」と言われました.私達は,救い難い罪,許されない罪を犯したと考えるかも知れません.知っている罪を,或いは知らない罪を犯すかも知れませんが,私達が,どんな罪を犯しても,常に,悔い改めて,神様に戻り,神様の許しを受ける道が有ります.


アボニムは,私達にしばしば,蕩減の路程を説明してくれました.蕩減路程は,難しい路程です.涙の路程であって,アボニムは,多くの説明をして下さいました.アボニムは,凄まじい蕩減を払われました.そして,私達は,今日,義の位置に立っています.彼は,絶望的なサタン分立の闘いをされました.そして,彼はしばしば,私達の仲保者でした.彼は,時々,私達の罪を私達が蕩減復帰するのを助けるために,来られました.今も,アボニムは私達の所に来られます.私達の為に祈られ,私達の為に蕩減を払っておられます.


私達が,天(神様)に近づくと,何よりも,神様は,私達が悔い改めの心をもって,近づくことを願われます.そうすれば,神様は,私達が犯した罪を許すことが出来ます.よって,今朝は,この事を覚えましょう.


私達は,神様が本当に,私達の真の愛の父であると気付いていると思います.私達が,どんな罪を犯したとしても,神様は,何時も許す準備をしておられます.彼は,何時も私達の為に蕩減を払う準備をしています.何時も,私達が自分達の為に蕩減を払うことを助ける準備をしています.そして,私達は義の位置に復帰され,神様の霊が,私達の中で復帰され,対応が出来ます.


ダビデは,そのように激しく悔い改めました.あたかも,彼の心は引っ繰り返ったようでした.今朝は,この事を覚えましょう.そして,そのように神様に近づきましょう.そのような絶望的な悔改めをもって.


神様がどのようにダビデを許したかを,そして,アボニムが私達の全ての罪をどのように許されるかを,私達がこのように深く,絶望的な悔い改めをもって,近づいた場合にのみ,彼が,私達の中に彼の霊をどのように再創造することが出来るかを覚えましょう.


どうも,ありがとうございます.


ビデオ: 

26:34-56:47



<鷹の目>
罪の自覚が深くなる程,深い悔い改めができると思います.涙を流して,神様の前に,心から悔い改めることができると思います.天使長とエバが堕落した直後に,二人で神様の前に悔い改めていたら,人類始祖(アダム)の堕落もなかったのではないでしょうか.堕落した直後,アダムが罪を自覚して,神様の前に悔い改めたら,人間始祖の許しと復帰は,どんなに早かったでしょうか.カインが,アベルを殺害する直前に,自らに忍び寄る罪を自覚して,悔い改めたら,アダム家庭の復興が早期になされたのではないでしょうか.色々なことを考えますが,罪を犯した人間が,神様の前に悔い改めるべきは,現在も何ら変わっていません.神人が近づくための基本的な様態です.


勇敢なダビデも,過分な欲望があったようです.ウリヤを死地に送り,戦死に至らしめ,妻のバトシバを奪ったことは,当時のイスラエルは元より,今でも許しがたい行為でした.それでも,ナタンに指摘されて,我に返ったダビデは,潔く神様の前に,徹底的に悔い改めました.そして,バトシバが生んだ第一子は夭折しましたが,第二子は,神様に愛され,偉大な王となったソロモンでした.


教会に来た頃,罪の谷底から悔い改めると,山の頂上まで,一気に引き上げられる.マイナスはプラスに転換されると聞かされました.今でも,私達には,多くの罪があります.それらを自覚した時,本当に申し訳ない思いをもって,涙の悔改めをもって,神様とアボニム,イエス様に一歩,また一歩近づきましょう.そういう,悔い改めが出来る素地のある人達が,アボニムの元に呼び集められたと思います.


家庭連合や諸派に居る人達は,真剣に祈りましょう.皆さんは,アボニムから離れていませんか.祈祷すればアボニムが応えてくれますか.アボニムは,必ず,今の正しい道を示して下さる筈です.真剣な祈祷が必要です.不足な小生が,真剣に祈祷した時,アボニムは,笑いながら,お前は,もう分かっているだろうと言われました.アボニムが教えて下さった道は,サンクチュアリの道でした.皆さんも,同様の体験ができる筈です.目先の事に囚われてはいけません.勿論,生活の基盤は必要です.しかし,生活を確保しても,私達が,真の信仰を見失ったら,何が残るのでしょうか.


ダビデの真剣な悔改めは,現在の私達にも,生きた教訓を示してくれています.

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