サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「韓国の殉教者,朱基徹(チュ・キチョル)牧師」


2017.4.24



聖書拝読: マタイ5:11-12


私の為に罵られ,迫害され,身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられる時,あなた方は幸いである.喜びなさい.大いに喜びなさい.天には大きな報いがある.あなた方より前の預言者達も,同じように迫害されたのである.


皆さん,おはようございます.


今日は,朱基徹牧師について語りたいと思います.彼は,併合されていた1945年以前に,日本の朝鮮総督府から要求されていた神道参拝を拒絶した牧師でした.


1945年までの日韓併合時代には,朝鮮総督府が要求した神道参拝を拒絶した人が,沢山居ました.そのような人達の中で,朱基徹牧師は,特に有名です.彼は,半島の南東部(昌原)で生まれました.キリスト教会の礼拝を行う信徒の4人の息子の1人として生まれました.


彼は,学校を修了することが出来ませんでした.彼は,或る日,復興会に参加しました.とても感動したので,彼は,伝道師になることを決意しました.そして,平壌(長老)神学校(現,北朝鮮)で学びました.延禧(ヨンヒ)専門学校(延世大学の前身)の第19期生として,卒業しました.彼は,多くの教会で,牧師を務めました.釜山草梁教会は,私達の教会の真正面にありました.馬山や平壌でも,牧会者を務めました.


1936年に,韓国のキリスト教団は,総督府の要求する神社参拝をするか否かで,深く対立していました.当時,朱牧師は,草梁教会の牧師でした.彼は,彼の司教会議に,神道参拝を拒否する文書を提出する行動を起こしました.地方紙の釜山新聞は,これを大きく取り上げ,論議が広がりました.


キリスト教団の論争は,「神道参拝は,クリスチャンにとって罪となるか.」でした.多くの論争がありましたが,北部のある教団は,1938年に,最初に参拝しない事を宣言しました.この北韓の教団は,会議において,クリスチャンは神道の神社に行ってはならないと議決しました.


朱牧師は,クリスチャンは行くべきではないという主張の為に,当局に逮捕されました.その動きは,彼が居なくても南部にも移動し,彼は起訴されませんでした.彼らは,動きが過ぎると彼を釈放し,後に警察は,彼を再び逮捕しました.


彼の妻,呉真模氏もとても信仰の強い人でした.彼女は,彼に言いました.「どうか,最後まで,闘い続けて下さい.勝利して,監獄から出てきて下さい.」大論争は,平壌山亭峴教会で行われました.そこでは,この問題がとても熱い論争になりました.警察は,治安維持の為にそこに行かなければなりませんでした.そして,誰かがこの状況を話しました.


清水という日本人の警察官は,実際に,クリスチャンが神社を参拝しても,罪ではないと教えましたが,朱牧師は立ち上がり,この日本人を批判しました.彼は言いました.「私は,あなたの知識に感動しましたが,私は,ここに座って,あなたが,私達に,神道の神社に参拝することを心配すべきではないと,聖書を引用して語ることを許すことは出来ません.」彼は,日本人に非常に強く語ったので,その時から,彼は反体制活動家として知れるようになりました.


日本人は,それは罪ではないと主張しましたが,そう語ったことに困惑し,聴衆は,朱牧師の話に感動しました.日本の警察が支配するには,緊張した状態でした.


1939.7に他で逮捕されて,7カ月後に釈放された劉牧師が居ました.彼が釈放されてから,初めて自分の教会に顔を出すと,キリスト教信者が一杯でした.日本の警察は,その教会を取り囲み,実は何重にも取り囲み,教会の中に立ち入り,トラブルになりました.


その時,朱牧師は,教会の副牧師でした.彼は,教会の誰かが逮捕されても,彼らは,3カ月以内の刑減にされる筈だと主張しました.彼は,彼らが3カ月以内の刑減をするなら,神社参拝に反対しないという取引を日本人としました.


しかし,朱牧師は,結局,最後まで神社参拝に反対することを選び,これに影響されませんでした.警察は,それ以降,彼に説教をしない様に言いました.朱牧師は,応えました.「私は,神様の権威で説教をします.神様がこの権能を私に授けました.あなたが,私に説教をする権能があるかどうかを語れると考えるのは,越権です.従って,私は,神様が私に,そうする権能を下さる限り,説教を続けます.」


その時,彼は,日本人の警察官からとても批難されました.警察は,朱牧師が説教を続けるなら,彼を逮捕すると脅迫しました.彼は言いました.「説教をするのは,私の責任です.だから,私はそれをして,あなたは,必要な事を何でもできます.私を逮捕したいのなら,そうして下さい.」


彼は,付け加えました.「私は,唯,自分がすべきと考えることをしているだけです.」そして,大きな対立になりました.警察官は言いました.「あなたが,日本の天皇陛下の警察官から下された命令に背くのなら,あなたは,ここから直接,拘置所に行かなければなりません.」朱牧師は応えました.「日本の憲法の下で,私達には,信仰の自由があります.だから,あなたが,今,信仰の礼拝を妨害すれば,自分達の憲法に反する事になります.」彼は,とても強く語ったので,日本人の警察官は,退散しなければなりませんでした.


その人は,朱牧師を見ながら語りました.そして,彼は,鋼の決意をして,誰にも曲げませんでした.そして,彼に対する人は,彼には再処置が必要である事を知りました.


朱牧師は,白装束で演壇に登り,礼拝を始めました.彼は,マタイ5:11-12(前出)を拝読しました.


私の為に罵られ,迫害され,身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられる時,あなた方は幸いである.喜びなさい.大いに喜びなさい.天には大きな報いがある.あなた方より前の預言者達も,同じように迫害されたのである.


彼は,宣言しました.「生きた神様は,ここ,私の隣にいらっしゃいます.」そして,説教の5つのポイントを説明しました.


聖殿は,人々には,入る場所がなく,とても緊張した雰囲気で一杯になりました.彼は,神様に懇願しました.「死の力を克服できるように,私達をお助け下さい.」彼は,知恵の為に,そして,サタンの迫害を受けられることを祈りました.彼は,神様に,義の為に生き,義の為に死ぬことを許されるように,懇願しました.そして,神様に「神様,私の魂をあなたに献げますから,あなたの好きなようにして下さい.」と献げました.


警察官は,張り詰めた雰囲気のため,彼をすぐには逮捕出来ませんでしたが,2,3日彼を拘束した後,拘置所に送りました.彼らが,連れて行く前に,彼は警察官に語りました.「私は,最後に一つ頼みが有ります.私には,80歳になる母が居ます.そして,私は,母にさよならを言いたいのです.」彼は,お母さんの部屋に入り,そこで,神様に,留守中に彼女の面倒を見て下さるように祈りました.


彼は,平壌警察署に連行され,全部で7年の間投獄されました.獄中の7年間に,彼は,祈り,説教し,讃美歌を歌いました.警察官は,彼がそうすることを禁じ,止めようとしましたが,彼は続けました.


彼は,警察官に語りました.「説教するのは,私の仕事です.それは,私がすることです.そして,あなたの仕事は,人々を逮捕する事です.あなたは,すべきことを出来ますが,私は,私がしていることを止めません.」


拷問は,余りにも激しく,彼は,時々気絶しました.ある時,彼は,絶命の寸前でした.彼が気絶すると,警察官は,彼を起こすために,水を注ぎました.彼らは,時々,水に赤唐辛子を入れました.基本的に,彼は殆ど,意識のない状態でした.それが,何度かありました.


彼が,絶命の寸前になると,外に出されました.彼らは,処置し,彼をもっと拷問するために戻しました.その間,彼は,説教し,神様に祈りました.「私の魂は,あなたの手にあります.あなたの御心のままにして下さい.」


朱牧師は,キリスト教会では,今日も,とても良く知られていて,人々は彼を,とても尊敬しています.彼は,勇気を与えてくれました.彼は,韓国人全員を神道の神社に参拝させようとする日本人の努力に抵抗するように,人々を鼓舞しました.


彼は祈っても,讃美歌を歌っても,説教をしても,何時も,涙を流していました.彼は,「イエス様は,御自分の為ではなく,国家と世界の為に亡くなりましたが,私は,それは出来ません.だから,私には,価値がありません.」と言いました.


朱牧師のストーリーは,クリスチャンの間では,長く語られてきました.彼は,獄中で,とても難しい十字架を背負っていましたが,「イエス様が,ゴルゴダで背負った十字架に比べると,私の十字架は何でもありません.」と言いました.そして,何があっても,彼は,常に勇気を出して,希望を抱いて,最後は,そのような状況を越えて,勝利を得ることが出来ました.


彼は,時々,拷問をしている人達に聞きました.「あなたが,今,私にしていることの為に,あなたは,どんな罰を受けるでしょうか.あなたは,このように私に拷問をして,笑って,冗談を言っていますが,どんな気持ちですか.」そして,彼が話すと,彼らは,時々,暫く拷問を止めて,後で,また,拷問を続けるために戻って来ので,彼らにも良心が有りました.


彼が,出獄する時には,体がとても弱っていました.視力が低下し,肺と心臓が悪かったのです.彼は,とても病弱でした.しかし,獄中にいた時,彼は,いつも感謝していました.彼は,何が起こっても,常に,神様を賛美しました.彼は,何時も感謝していました.獄中で,彼は,しばしば讃美歌を歌いました.「私は,上に押し上げられています…もっと高い地に…」彼は,牧師を解雇されて,投獄されている時,彼の家族は,牧師館から立ち退かねばならず,行くところはありませんでした.


1944年,彼は,遂に亡くなりました.韓国が解放される前年でした.その時,47歳でした.彼は,祈った時,宣言しました.「神様が,私を呼びました.神様は,今,私と一緒におられます.神様が,私が行く時に,私を霊界に呼びました.」そして,彼は,神様に,自分が一定で,決して変わらない様にいられるように,助けて下さるようにお願いしました.彼は,亡くなる前に,最後の祈祷をする時,それは,とても力強く,家全体が揺れていました.


彼は,義の為に,本当に闘った人でした.7年間,彼は,難しい闘いをして,イエス様に沿って十字架を運ぶという思いで,彼は,十字架を運びました.彼は,キリスト教の本当に勇敢な戦士でした.彼は,韓国のクリスチャンが,世界の前に誇れる韓国キリスト教の殉教者です.


獄中にあって,しばしば,彼は言いました.「死を経験することは,さほど,難しいことではありません.何故なら,それは,一時的であり,素早いことだからです.しかし,もっと難しいことは,日々,死が続くことです.」


昨夜,私は,朱牧師を思い出しました.そして,韓国には,どれぐらい多くの偉大なクリスチャンの殉教者が居るかを熟考しました.本当に神様を愛し,彼の為に,全心全頭脳で闘い,神様の摂理の為に,本当に命を献げた人達です.


私は,これらの殉教者に感謝し,神様が韓国を保護し,滅ぼされない様に祈りました.アボニムは,朱牧師や韓国の他の殉教者達を讃えました.アボニムは,強い教会は,彼らの犠牲の基台の上に建てられたと言われました.


勿論,私は,彼を何時も尊敬しています.今日,私が,彼のことを話した理由は,今,彼が霊界に居れば,もし,彼が,神様の本当のみ旨を知れば,彼は,間違いなく,アボニムに着いて居たでしょう.そして,彼は,韓国を守り,神様のみ旨を地上に完成する為に,アボニムに沿って働いたでしょう.


私達が,殉教者の事を語ると,今の人達は笑います.彼らは,「まあ,それは,大昔に起こった事です.」と言います.しかし,私は,それには同意しません.私は,今日,私達が韓国にこのように強いキリスト教会を持つ事が出来たのは,殉教者達に感謝すべきことであると考えます.そして,私は,この教会が滅ぼされないことを知っています.


今正に,キリスト教の火の中に,一つの琥珀色が残っています.それは,アボニムに祝福された二代王様と共にあります.私達は,今,二代王様と共に働く必要があります.そして,アボニムを落胆させてはいけません.二代王様を失望させてはなりません.そして,私達は,最後に勝利の御旗を掲げ,頌栄と勝利の歌を歌いましょう.


どうも,ありがとうございます.


ビデオ: 

20:28-1:06:24



<鷹の目>
朱牧師は,平壌において,神社参拝を断固拒否した中核的な人物でした.彼が最期まで,信念と信仰を貫き,過酷な拷問に耐えて,遂には獄死された事は,立派なことであり,信徒の鏡です.彼らの犠牲の上に,今日の韓国社会やキリスト教会の発展があることは,紛れもない事実です.


しかし,併合当時の状況は,既に世代が変わっており,真実を語れる人も殆どいません.終戦後,韓国(朝鮮)人が,併合時代の事は,白を黒にするような,反日のデマを広げたことは明確です.例えば,本稿に,日本人警察という表現が有りますが,当時の警察官は,半数以上が韓国人でした.警察の統率は取れていた筈ですから,あたかも,日本人の警察官だけが,悪事を働いたようなことはあり得ません.ここにも,小生は,極端な誇張と虚飾を感じます.また,警察が,朱牧師に,説教をしない様に言ったとありますが,この行には,大いに疑問が有ります.当時の警察は,そこまで,踏み込んでいなかったことは,多くの証言から明らかになっています.大日本国憲法施政下においても,責務を果たしている国民であれば,信仰の自由は保障されています.韓国では,現在も歴史の真実が,大きく曲げられています.過去の事象は,複数の信頼できる人達の証言や正式な記録に寄らないものは,信憑性に欠けます.韓国や北朝鮮は,日本と戦争をして勝った訳でもないのに,あたかも戦勝国のような思いに逆上せ上り,敗戦した日本を貶めるために,ありもしない反日の流布を始めました.半島から発信される併合時代の情報には,思想的,扇動的な意図がある場合が多く,私達は,相当濃い色眼鏡を掛けて見る必要があります.


神社参拝は,罪である(偶像崇拝)という解釈が述べられていますが,この点は,さほど単純な話ではないです.神道の神社には,基本的には拝む偶像はありません.キリスト教会は,イエス様の十字架像やマリアの像を設置している所も多いです.古事記に記された神道の最初の神様は,天之御中主神(アメノミナカヌシ)と言われています.つまり,神道の始まりは,一神教でした.その後に,多くの神々が登場して,やがて,先祖や偉人を神として奉るようになっていますが,私見では,神道の根本は古代ユダヤ教と密接に繋がっており,神社参拝が罪であるという考え方には,無知と偏狭さを禁じ得ません.併合時代に,総督府は,皇民化政策からキリスト教会やクリスチャンにも,神社参拝を依頼たようですが,強要した記録はあるのでしょうか.朱牧師のように,参拝に反対する活動をすれば,反体制運動家として,当局は,取り締まらざるを得なかったということでしょう.また,長老派では,神社参拝を拒否した約70人が投獄されて,その中で50人が亡くなり,20人は生還したと記録されていますが,神社参拝を頑なに拒否した信徒は,全体では寧ろ少数のようです.当時の状況から,多くの信徒は,参拝を普通に行いました.彼らは,参拝は宗教行事ではないし,罪にもならないと考えました.寧ろ,日本への愛国心を表明するものと考えていたようです.参拝を拒否した信徒達は,思考を聖書に限定し,神道は偶像崇拝であると規定しました.神様の目から見てどちらが,正しいのでしょうか.皆さんのお考えに委ねます.


朱牧師らは,殉教が神様より賜った使命であるかのように,考えたようです.そして,自分達の犠牲が,後代に多大な繁栄と栄誉を齎すことを期待して,殉死されて行ったようです.今は,再臨主,アボニムを頂いた時代です.そして,使命は二代王様に,確実に継承されています.私達は,幾多の罵り,迫害,悪口を受けても,それらを,二代王様・王妃様と共に生きて,乗り越えて行き,有終の美を飾りましょう.

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