サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「草創期,大邱市におけるアボニムの祈り方」


2017.6.8



聖書拝読: エレミヤ 29:13


私を尋ね求めるならば見出し,心を尽くして私を求めるなら,私に出会うであろう.


皆さん,おはようございます.


今日は,皆さんに,大邱市において多くの難しい問題があった時,アボニムが祈られた方法について語りたいと思います.これは,1954年であったと思います.大邱の近所に,スソン洞と呼ばれた処がありました.玉世賢さんと私とアボニムが,貧民窟の中の最も貧しい部屋に住んでいました.


アボニムは,毎朝3時に起きて,祈られました.当時に戻って,アボニムがどのように祈られたかを考えると,彼は,がむしゃらに急いで,実際には祈りの間,ずっと泣きながら,涙を流しながら,祈られました.


祈りの中で言われました.「神様,お父様,私は,あなたにお約束したのを覚えています.そして,この約束をした瞬間を覚えています.」「神様,私は,ある時までに,あなたの御旨を果たす事を約束しましたが,それは,私の予想より長くかかっています.時が来ても,私は未だ,あなたの御旨を果たせていません.そして,本当に申し訳ありません.」彼は,このように祈られた時,泣きながら祈られました.


近所には,市内の他の所よりも,もっと貧しい人達が住んでいました.その近所に,私達は一部屋だけがあり,全員が一部屋に住んでいました.従って,私達の状況は,言葉では言い表せない程難しかったのです.アボニムは,毛布一枚と寝具だけをお持ちでした.マットレス(敷布団)はなく,毛布の半分を敷布団に,もう半分を掛布団にされたので,折り重なるようになりました.私達は,そのような難しい状況にあって,神様が,私達の難しさをご存知でしたから,私達に同情し,助けざるを得ませんでした.


状況は,余りに破れかぶれでしたから,実際に,私達が頼り,信頼できるのは,神様だけでした.私は,アボニムの声と彼の祈り方を覚えています.そして,実際にアボニムは,精誠と絶望の中,神様の後を探し,本当に神様は,御旨を果たすのに,私達を助けなければなりませんでした.アボニムのお祈りを聞いた時,私も泣いていました.私達が祈った時は,実に涙ぐましい時でした.アボニムは,霊的に死んだ人達が復活するように,再び命を与えられ,神様の御旨が為されるように,人々の霊のために祈られました.


私が後に,日本の食口達のために祈った時,アボニムのお祈りを思い出しました.そして,私は,日本の食口達のために沢山涙しました.私は,一度アボニムに尋ねました.「アボニム,あなたはご存知です.私が,韓国の食口達の為に祈っても,沢山泣くことは無く,涙もありませんが,日本の食口達の為に祈ると,涙が沢山流れます.それは,どうしてでしょうか.」


アボニムは言われました.「日本の食口が信仰生活に生きる時は,自分がないのです.彼らは御旨の為に生きています.御旨のためにのみ生きています.自分達の事を考えないのです.これが理由です.」時々,日本の食口の家庭は,次の食事に食べる物がなくても,そのように難しい状況にあっても,彼らは,何時も献金を果たしました.


私が,日本に居た時,日本食口がどんなに食事を犠牲にしていたかを見ました.そして,古い衣服を着て,摂理の為に資金をもっと捧げていました.私が,これを見た時,日本の将来は,明るいと本当に思いました.日本の食口が,どんなに献金をしたかを見ました.持っている資金だけでなく,資金が無ければ,彼らは献金をするために,お金を借りました.


その時,韓国の食口が日本の食口を笑っていたのを覚えています.「献金をするために,彼らはお金を借りて,何をするのか.誰が,そんな事をするのか.」献金をするためにお金を借りると言う,この考えは,韓国の食口には出来ない,大変な事であると気付きました.それは,日本の食口だけができる大変な事でした.私は,日本の食口達の信仰は,普通の信仰ではない事に気付きました.それは,彼らの肉の肉,骨の髄から沸き出した信仰でした.私は,日本に居る時,それを直接見ました.


さて,大邱に戻ります.このような難しい時期に,アボニムが祈られた時,私は,彼が神様に語るのを聞きました.「お父様,私は,あなたにお約束した時までに,あなたの御旨を果たすことが出来ませんでしたが,少し延長しても,私は必ず果たします.だから,どうかご安心下さい.」そして,沢山涙を流して,本当に泣いて泣いて,このように祈られました.お祈りを聞きながら,私は「私がアボニムの基準に到達できなくても,彼に従う者として,私は試みる振りは出来る,彼が果たすのを助けるために,アボニムがなさる事と同じ事をしている振りは出来る.」と思いました.


私は,日本に7年間居ました.その間,私は,日本の食口と一緒に住んで,働いて,多くの事を教わりました.私は,その時,神様は本当に生きておられ,世界中で活動されている事を知りました.私は,日本に居た7年の間に,それを見ることが出来たし,何度も経験することが出来ました.


例として,日本の食口が献金を受けた時,彼らは,その献金に対して祈りました.しかし,時には,彼らはとても忙しくて祈ることが出来ず,その様な状況で,時には,献金を納めた人が戻って来て,返すことを要求したのを私は見ました.私達が,精誠を献げなければ,完全な精誠で献身を献げなければ,私達がした事は全て,私達が受けた祝福も,結局,なくなってしまうことを見ました.


大邱で,アボニムが語られた時,多くの涙を流されました.そして,聞いている人達も,感動し涙しました.アボニムは言われました「皆さんは,難しい道を歩んでいても,皆さんの前には,道が見えています.しかし,私がこの道を始めた時は,ない道を歩んでいました.私は,全てを開拓しなければなりませんでした.そして,神様だけが,私がどのようにこの道を見出したかを知っています.」


彼は,言われました.「私は,皆さんに教えました.だから,皆さんは,先生の事を知っています.神様の事を知っています.天国を知り,地獄を知っています.未来も知っています.しかし,私は,私の前にない道を歩んでいます.私は,この道を開発し,切り開かなければなりません.だから,私は,皆さんより,遥かに難しい立場に居ます.」彼は,これを涙で語りました.


私のノートに,アボニムが1961年に語られた事が記してあります.彼は,言われました「1961年ですが,私はまだ,このような立場に居ます.しかし,この道は,皆さんに開かれています.だから,皆さんは,この道に従い,勝利した人々にならなければなりません.」「皆さんは,この時代に対して責任を持つ人にならなければなりません.この道を知らない人達は,進むことはできません.しかし,私は,皆さんにこの道を見せました,そして,この道を教えました.だから,この時代に責任を持ち,勝利するのは,皆さんの立場です.」


彼は,私達が,担い手の基準にならなければならないと言われました.私達は,彼が,私達に開いて下さった道を見る事が出来ると言われました.彼は,私達が,神様の祝福を受け,この祝福を相続する為に,私達は,改革精神を持たなければならないし,霊的改革者になれるように,維持して下さいました.


アボニムは,私達に,アブラハム,モーセ,イエス様は,各々自分の立場を自分で見出していった闘士であった.そして,私達も,神様の御旨を果たす,そのような闘士にならなければならないと言われました.アボニムは,後に,日本の食口達も,どのような闘士達であったかを語られました.彼が,果たす事が出来ないと思われるような任務を与えても,彼らは,まだ,前進し,その任務を果たすために,一生懸命に闘いました.


アボニムは,後に語られました.日本の食口達が,これを出来た理由は,彼が,リーダーとして最初に困難な道を歩み,彼らは,その道に従ったからです.私は,アボニムが神様の御旨を果たすのに,とてもがむしゃらで,真剣に努力されていたので,神様は,アボニムを助けるしかなかった事を,しばしば感じました.これが,私の周りで起こった事を,本当に見ることが出来ました.


今日,私は感じます.今の時代も同じです.私達は,アボニムに呼ばれた担い手の基準になり,そのような開拓者(パイオニア)になる必要があります.そして,アボニムが,私達の前に敷かれた道において勝利できます.


アボニムは,祈られました「お父様,どうか私を助けて下さい.あなたの助けが無ければ,私はこれを成せません.私は,あなたが,背後に立たれ,私を助けて下さった場合のみ,それを成すことが出来ます.私自身のパワーと力では,私は,一歩も前進することは出来ません.」アボニムは,生涯を通して,地上から聖和される時まで,神様を信頼し続け,御自身の力ではなく,神様の力によって働かれました.


アボニムが,御自身の手で,原理の原著,原理原本を執筆された時,1951.5.11に着手されて,1952.5.10に終えました.アボニムは,後に私に,語りました.彼が,それを執筆しておられる時,金元弼氏が,傍に居ました.私は,彼と一緒に誰が居たのか,知りませんでしたが,アボニムが,余りに早く執筆されるので,傍に座った人が,彼の使う鉛筆を削るのに,とても忙しかったと,彼は言われました.


アボニムは,執筆される時,多くの涙を流されました.彼は,時に賛美の歌を歌い,時に祈られました.そして,原理原本の5巻,全690頁を脱稿されました.アボニムは,後に,原理原本は,真理の結晶であったと言われました.それは,多くの箇所が,詩的に書かれています.それが,真理の内容を表現できる唯一の方法であったと説明されました.


統一教会の初代会長の劉孝元氏は,原理原本を最初に読んだ時,彼は,その前に,多くの他の宗教の経典を研究していましたが,感動に酔いしれたそうです.そして,彼は,原理原本をコピーしようと思い立ちましたが,彼が写す時に,涙を沢山流したので,1ページを写すのにも数日要しました.


アボニムは,劉氏が,原理原本に対した時,多大な精誠と献身を献げたと言われました.アボニムは,このような精誠と献身を献げる子は,家から離れても決して亡くなることは無いし,精誠と献身故に,何時も褒賞されると付け加えられました.


アボニムは,はっきり決意されていました.彼は,どんなに難しい状況にあっても,惨めな環境にあっても,彼は,何時も上に上って,そのような環境を越えることを宣言されました.


そして,私は,アボニムの言われたのを覚えています.「私は,何人の女性達が前線に行けるのか,そして,何人が,神様の御旨の為に,そうする準備ができるのかと思う.」


どうも,ありがとうございます.


ビデオ: 

23:43-1:00:11



<鷹の目>
草創期のアボニム,そして,先輩食口の皆さんの歩みは,涙の祈祷と奇跡の連続であったと証されています.開拓時代,蕩減時代は,難しい状況が続いていたと推察します.本稿にも紹介されているように,アボニムの路程は,御自身も吐露されているように,前人未到の正に暗中模索の連続であったと思います.
小生が知るのは,70年代以降です.その頃も,韓国,日本,米国など世界中の食口は蕩減路程を歩んでいました.例えば当時,訪問ならば,120軒訪問すると,1軒だけ時の人に出会うという話がありました.それぐらいの基準で,少なからぬ青年達が,精誠と献身を尽くして歩みました.彼らの多くは,今何をしているのでしょうか.摂理の変化に対応できなかったのでしょうか.寧ろ,摂理の為に犠牲になったとも思えます.


今は,蕩減の時代ではないと言われていますが,各自の段階は異なっていると思います.今も,蕩減的な内容を清算している人もいると思います.兎に角,最後まで精誠を尽くして歩みましょう.それには,まず,信仰基台です.何時も神様を信じ,良心の声に従い,アボニムの御言と他の人の言葉を天の声と思って生きましょう.そして,実体基台です.今は,主管圏を復帰する時代でしょう.つまり,天一国です.アダム家庭にて,失われた主管圏をアベル・カインが一体化して,各自が責任を持って復帰する時です.アボニムは,凄まじい資金と資源を投入して,様々な事業を展開されました.それらは今思うと,全て実体復帰への布石であったと感じます.


家庭連合や三男派は,アボニムが心血を注いで残された遺産を,真の相続者に正しく相続させなければなりません.真の相続者は,言うまでもなく,七男の亨進ニムです.過日,ある食口と話すと,その人は,アボニムの相続者は決まっていない,実績を上げた人が相続者になると言っていました.こういう,一見正しい様で,根幹から微妙にずらされた信仰観もあるようです.家庭連合や三男派等に残っている人達は,アボニムの相続者・後継者・代身者が誰なのか,はっきりしていない人が多いと思います.この点がはっきりした時に,私達は,自ずと道が見えて来る筈です.繰り返しになりますが,混乱の中を迷っている人達が,天の恩賜によって,正しい道に復帰される事を祈念致します.

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