サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「信仰の四つの実り」


2017.6.20



聖書拝読: ロマ 4:15-16


実に,律法は怒りを招くものであり,律法のないところには違反もありません.従って,信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです.
恵によって,アブラハムの全ての子孫,つまり,単に律法に頼る者だけでなく,彼の信仰に従う者も,確実に約束に預かれるのです.彼は私達全ての父です.


皆さん,おはようございます.


今日は,信仰の四つの実りについて語りたいと思います.エデンの園において,神様は,実を食べてはいけないという御言を与えましたが,彼らは,その御言を信じられず,途轍もない惨事が起こりました.信仰の欠如の結果,人類の堕落が起こったので,蕩減するためには,人類は,信仰を確立する必要があります.


信仰者として私達は,信仰を確立し,許し,つまり,最高の祝福を受ける必要が有ります.罪のある人達は,天国に入ることは出来ませんが,私達には罪がありますから,何をしますか.私達は,これらの罪を悔い改め,そして,天国に入ることが出来るでしょう.私達は,許しを受けるために悔い改めます.そして,神様は,私達を義人として認め,彼の息子・娘と判断するでしょう.それは,私達が行かなければならないプロセスです.


許しによって,私達は,罪人の立場から,神様の息子・娘の立場に引き上げられます.これは,神様の大きな喜びです.そうする事の出来る人々は,神様の息子・娘と呼ばれるでしょう.この祝福を受けられる人達は,最高の祝福を受けています.彼らは,神様の息子・娘と呼ばれる人達です.


今朝,私達は,罪人ですが,神様の息子・娘と呼ばれる恩恵を受けられる事を,私は願います.私達が救われるのは,仕事(苦労)によるものではありません.私達が天国に入れるのは,苦労によるものではありません.イエス様は,私達の罪が真っ赤であっても,それは,洗われて,雪のように白くなるでしょうと言われました.


ある人が来て,イエス様に言いました「私は,多くの罪を犯しました.あなたは,幾度,私を許すことが出来ますか.私は,七度まで許されますか.」イエス様は,「七度ではありません.七度を七十倍するまでです.」と言われました(マタイ18:21-22).


従って,私達が酷い罪人であっても,神様とイエス様は,私達が許されて,生命を得る道を,私達のために開いて下さいました.これは,私達の受ける,言葉を越えた恩賜です.神様は,信仰によって,私達を義とすると言われます.私達に功績はなくても,唯,信仰によって,神様は,私達に義の衣を着せて下さいます.私達が,神様にもの凄く感謝できるので,この道を前進する決意が出来ます.


人類が,神様の敵となっても,信仰によって,私達は,神様と調和されます.必要な一つの条件があります.それは,信仰です.信仰によって,私達は,義の衣を着せられます.信仰によって,私達は,神様の息子・娘と呼ばれます.信仰によって,私達は,天国を所有できます.


しかし,この条件は,悔い改めが無ければ,有効ではないでしょう.日々の悔改めによって,私達は,神様と一つとなる国に入ることが出来ます.私達は,神様とイエス様とアボニムと一つとなる事ができます.そして,私達は,天国を所有する事が出来ます.そこで,私達は,神様と一つとなり,お互いが,神様によって一つとなった状態でなければなりません.


忠誠の道はスムーズである筈です.もし,私達が,何時も心配し,気掛かりならば,この道を行くことが出来ません.アボニムは,信じ難い様な信仰をお持ちだったのを,私は見ました.最近,私は,復帰摂理を学んで来ました.私が学ぶと,そこには,凄まじい信仰が注がれていた事が分かります.そこに見出だす信仰は,驚異的です.


信仰は,迫害と苦難の真っ只中においても喜びとなる祝福を,私達に与えます.信仰は,私達に,希望を与えてくれるからです.アボニムは,獄中においても,御自分の状況に対する不平を持つことなく,過ごすことが出来ました.彼は,神様が共にいらっしゃることをご存知だったからです.そして,彼は,凄まじい希望と信仰を持たれました.


アボニムは,他の人達の知らない事を,ご存知でした.その事に感謝し,彼は,凄まじい希望を抱き,苦難のこの道を歩むことが出来ました.その真っ只中においても,喜んでおられました.生涯を通して,アボニムは,獄中において,神様に孝行できたことを感謝されました.


パウロも同様です.ロマ書において,パウロは,迫害の中に栄光があると言いました.アボニムは,無知には,完成も完全もあり得ないと言われました.よって,人々が多くの事を理解する事は重要でした.アボニムは,苦難と迫害の真っ只中においても,神様を賛美する歌を歌えました.そのような状況においても,神様に孝行を返せました.


今日の地上の人達は,誰も,私達のアボニムと同じようには,神様の御心情を知りません.従って,私達が最初に,原理を聞いた時は,それに驚きました.原理は,私達に,神様のことを伝えていたからです.私達は,この御言でそれを感じました.私達は,世界を救うことが出来ました.アボニムが,原理を発表された時,彼は,人類の歴史において,明かされていなかった事を主張したので,とても自信がありました.アボニムは,神様が感動される事を語られました.神様にとって必要であり,神様は,アボニムを助けたいと感じさせられました.それが,アボニムが,そのような大きい自信をもって,前進できた理由です.


私は,アボニムが何度も言われたのを聞きました「先生が,霊界で神様にお会いする時は,どのような状況でしょうか.」アボニムは,神様と,とてもユニークで,深い父子関係をお持ちでした.そして,私も,しばしば,アボニムが,霊界において,神様にお会いして,神様がアボニムの中に,そして,アボニムが神様の中に居らっしゃる状況を想像して見ました.


私は,神様がアボニムを賛美して,「息子よ,よく来ました」と言われたかどうか,或いは「あなたは,どうして,これ以上完遂ではなかったのか」と叱られたのかどうか知りませんでした.アボニムは,しばしば,後者の方だと言われました.私は,アボニムが,今まで歴史において,明かされていなかった事を主張され,今まで歴史上成されなかった事を成されたので,神様がアボニムを賛美されたと思いました.そして,私は,アボニムが,少ししか完遂出来なかった事を,神様に謝ったと信じました.それが,私が起こると期待した事でした.


私は,多分,アボニムは,神様にこう語られたと思います「あなたは,私よりも遥かに多くを成されました.あなたは,もっと苦しまれました.」仮に,アボニムと神様が,霊界においてお会いできなければ,人類に希望はありません.この道が開かれたので,人類は,唯一,希望を持つ事ができました.


私達は,神様をお父様と呼べる,そして,アボニムに私達のお父様として侍る事の出来る,途轍もない祝福を頂いています.これは,全人類に,救いの希望を与える祝福です.


今朝は,私達の生きた神様として,生きた私達のお父様としての神様を信じましょう.私達に救いを齎すために,地上に来られた方としての,私達のアボニムを信じましょう.今朝は,神様に会い,アボニムに会い,彼らを知ることが出来て,彼らの息子・娘に成れた恩恵に感謝しましょう.


どうも,ありがとうございます.


ビデオ: 

45:05-1:21:43



<鷹の目>
タイトルにある四つの実りとは,何でしょうか.本稿の最後にある,「神様に会い,アボニムに会い,彼らを知ることが出来て,彼らの息子・娘に成れた恩恵に感謝しましょう.」の事だと思います.康オモニムの信仰観は,実に単純でした.「神様とアボニムを信じましょう.そして,イエス様を信じましょう.」他の事は,考える必要はありません.と言われていました.この単純明解な信仰観こそが,実は重要です.少し,頭の良い人達は,色々な事を考えます.そして,神様とアボニムから離れて,別の事を考えて,始めます.そして,信仰が微妙にずれて行って,何時の間にか離れています.家庭連合や三男派,諸派も同様だと思います.神様とアボニム以外の要素が必ず入っています.家庭連合では,無原罪独生女や天の母です.三男派は,アボニムに反逆して,組織から離脱し,今に至っています.諸派は,実体聖霊などを唱えています.いずれも,神様とアボニムから,微妙にずれています.康オモニムの信仰が,一番良いと思います.康オモニムは,余計な事は考えないし,しなかったと言うのです.


私達も,同じです.食口は皆,原理を聞いて,神様の内情とアボニムを証され,真理と神霊を受けて,救いへの光輝く希望に満ち溢れて,この道に入った筈です.年数を経て,変化していった人が多かったようです.蕩減時代は,蕩減の重さに潰された人も多かったと思います.神様とアボニムだけを見て来た人は,今も残っています.新たに他の事を始めた人に従ってはいけません.私達は,神様とアボニムを信じて,御言葉と伝統を守りましょう.変えてはならない神様の呼称や天一国歌が簡単に変えられ,新しい経典も登場しています.韓オモニムがご自分の御言葉を増やすのは,良いでしょうが,アボニムの御言を減らすのはどういう意図ですか.原理本体論の教育も殆ど残っていません.そして,いよいよ,追い打ちを掛けるように,韓氏の自叙伝が刊行され,更に,原理講論(再臨論)の改定が画策されているようです.


新約聖書もある期間に,編纂されたようですが,内容は,神様とイエス様の証でした.愛弟子,使徒達の歩みもありましたが,神様とイエス様を証すために,全て記されたと思います.今,家庭連合や諸派においては,神様とアボニム以外の人や事象を証しようとしています.それらは,食口に混乱を招くだけです.天聖経(赤本)は,誰の御言なのかも,不詳になりつつあります.私達は,新約聖書の編纂において守られた天の基準を踏襲しなければなりません.メシアの御言葉を残して,メシアを証しなければなりません.他の人を証してはいけません.それは,神様の願いではないし,アボニムのお考えでもない筈です.経典を改竄すると,ありとあらゆる分派と教派が派生するでしょう.そのような愚かな群れとならないように,私達は,アボニムの後継者と共に,天の正道を歩みましょう.


天から頂いた,貴重な恩賜を守りましょう.多くの迷える人達が,真実と真理を悟り,本稿にも記されているように,悔い改めをもって,正しい信仰に復帰されることを祈念して止みません.

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