サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

 康賢實オモニム「どうすれば私は本然の世界に生きる人になれますか」


2017.7.17


聖書拝読: テサロニケⅠ 5:23


どうか,平和の神御自身が,あなた方を全く聖なる者として下さいますように.また,あなた方の霊と心と体とを完全に守り,私達の主イエス・キリストが来られる時,非の打ちどころのない者として下さいますように.


皆さん,おはようございます.


今日は,皆さんに,本然の世界に生きる人となる為に,私達の姿勢はどうあるべきか,私達の人生はどうあるべきかについて,どのような考えと心情を抱くべきかについて,語りたいと思います.


私達は,堕落の子孫ですから,私達には待ち望む何かが,何時もあります.私達が,待ち望むものは,心情の世界です.堕落以前の本然の世界にあった心の世界です.多くの人々が,これを体験したと思います.


私は,しばしば,堕落の前に,罪が世界に入る前に,人類はどのようであった筈かを想像して見ます.そして,私はいつも自問します「私は,どうすればそのような人になるのか.」しかし,私達が,堕落前に存在したそのような人になりたいと思っても,堕落の結果,人類は,他の被造物以下の位置に落ちました.そして,私達は,自分達だけでその位置に戻る道が閉ざされました.


多くの人達が,そのような人達になる方法について祈りますが,私達が堕落していることが問題です.私達は,したいことが出来ません.私達が,戻りたい位置に戻ることが出来ません.人々は,聖書を見て,どうすればその位置に戻れるかという回答を得ようとします.


私が,この事を考える時,私達は,信仰を失った結果,自分達の位置を失った事に気付きます.従って,私達が,この位置に戻る為には,その信仰を復帰する必要があります.よって,私は神様に語ります「私は,これを自分では出来ません.あなたは,私を助ける必要があります.どうか,お父様,いらして下さい,私と共にあって,私を助けて,私と共に働いて,私がそれを果たせるようにして下さい.」


私は,世界がどのようになって行くのかという絵を頭の中に描きます.それに対する回答は,黙示録22章に語られた新しい天と地です.黙示録22章には,私達が創ろうとしている本然の心情の世界が語られています.


私達は,「神様が私に在り,私が神様に在る*」という状態に到達する必要があると感じます.それは,私達が本然の位置に戻る為に本当に果たさなければならない事です.アボニムはよく言われました.私達は,心に疑いがあってはならない.針の先程の疑いもあってはならない.髪の毛の幅程の疑いもあってはならない.という事を絶対的に信じる必要がある.彼は,私達にこれを何度も語られました.


私は,アボニムに尋ねました.「あなたは,私達があなたとは違う事をご存知です.私達は,堕落していますが,あなたは違います.そして,私達がどんなに努力しても,私達はあなたが出来るようには出来ません.だから,私達はどうすればこれが出来ますか.」


アボニムは,そのような状態に至るために,世界で霊的な主人達として知られている人達の,10倍も100倍も,祈祷し,精誠と献身を献げなければならなかったと言われました.彼は「皆さんは,努力し続けなければなりません.そこに至るまで,精誠と献身と祈祷を献げなければなりません」と言われました.そして「私が,天宙を主管できる前に,自分自身を主管するために熱心に励まなければなりませんでした」と言われました.それは,彼の使命を始める際,人生の課題(焦点)でしたと言われました.


私がアボニムを拝見すると,彼は御自身を完全にコントロールされている方であると見ました.彼は,ある時笑われたかと思うと,次には泣かれ,涙を流され,また,次には笑われました.彼は,御自身の感情を完全にコントロールされて,表現したい他の感情を自由に表すことが出来ました.


私は,神様にしばしば祈りました「神様,私は,あなたが私を創られた本然の道(方法)を切望して来ました.私は,そのようになりたいのです.どうか,私にそれを体験させて下さい.」私は,よくそのように祈りました.


2000年前のイエス様も同じ事を感じられました.彼は「あなたが,私を信じるなら,平和の神様を信じるなら,神様は,あなたに彼の息子であるという名前を下さるでしょう.」イエス様は,信仰によって,私達は,神様の息子,娘であるという名前を持つことが出来ると,私達に語っておられます.私は,私達が平和の人,何処に行っても平和を創り出す人,何処でも平和を与える人になる必要があると思います.


イエス様は言われました「あなた方が,私の名前を信じるのなら,あなた方は,神様の息子,娘の権能を持つでしょう.」従って,私達は,神様の息子,娘の心を持って生きる必要があります.イエス様は,私達には裁く権能があると言われました.アボニムも,私が伝道に行く時,何度も私に,言われました「あなたが,本当に100%信じているなら,あなたは,裁く権能があるでしょう.」


イエス様は言われました「あなた方が,私を信じるなら,あなた方は永遠の命を得るでしょう.」この事は,「あなた方が,私を信じなければ,あなた方は咎められるでしょう.」という意味を含んでいます.私達は,その事を理解し,完全に信じて,その権能を持てるようになる必要があります.


アボニムは,私達は,その絶対的な権能を持つことが出来ると言われました.アボニムが言われたように完全な権能を持つという事は,そのような状態に到達するために,私達が必要と思う事,可能と思う事を何でも出来るということを意味します.


その様な世界を招来させるために,アボニムは,他の人達が幸せな時,幸せになれませんでした.春が来て,人々が喜ぶ時,アボニムは,神様の理想の世界を齎す事に集中していた為,彼らと喜びを分かち合えませんでした.


今朝,私達は,その世界を切望しましょう.しかし,思考だけで望むのではなく,私達が,その世界を創建しましょう.神様が来て下さり,私達と共にあって下さり,この理想を世界で完成できる事を神様に請いましょう.この事の為に,私達の全ての魂と全ての思いと全ての霊をもって,私達が,神様の創られた位置に戻る事が出来るように,働きましょう.


黙示録22章には,私達が実現する事を試みている世界が記されています.神様が私達を創られた道に私達がいる世界です.私達は,神様と共に喜び踊ることが出来る所です.私達が,これを管理できる時,私達は,地上に新しい世界を創る事ができるでしょう.


アボニムの最期の祈祷において,彼は「全て為されました.全て為されました.」と言われました.私達は,自問しなければなりません.「彼が為されたと言われた世界は何なのでしょうか」為されたのは,本然の創造の世界です.その世界が招来する為に,全ての条件が整いました.私達は,心の中でそれを完成しなければなりません.そして,私達は,そのような世界に生きる事ができます.


私達も,「全て為されました.全て為されました.」と大いに言えるようになりたいです.私達は,私達が,全ての事が成し遂げたと言えるその世界に生きることが出来るようになりたいです.私達は,自分達自身と闘っているので,まだその状態には到達していません.


私達は,古い衣を脱いで,新しい衣と共に,新しい心或いは心情を纏う必要があります.そして,私達はこの世界を私達の中で創り,そのような社会と世界を地上全体に広げる事が出来ます.それが起こる時,私達は新しい心と容姿を持ち,私達の中で自分達自身が完全に新生されるでしょう.


私達は,その位置に戻りたいのです,そして,神様は私達を見て言われるでしょう「そうです,これが私が欲しかった人です.私達が創りたかった人です.」私達は,自分達の責務を果たすまで,祈祷して,多くの精誠と献身を献げる必要があります.


私は,アボニムが何度か言われるのを聞きました.彼が達成したものには,自然に,簡単に,自動的に出来たものはないです.彼は,達成した全ての事のために戦わなければならず,サタンと戦わなければならず,世界と戦わなければならなかったと言われました.


彼は,達成した全ての事に対して戦わなければならず,言われました「私はそれが出来ました.皆さんも出来ます.しかし,何故,皆さんは私に聞かなかったのですか.何故,私の言うようにしないのですか.皆さんがしなければならない事は,私が話した事に従う事です.」


私達は,自分達の中で本然の道,神様が創造された本来の人を見出し,祈祷と精誠と献身を献げることを見出す必要があります.そして,私達はそれを齎すことが出来ます.


アボニムは,私達が天一国の所有者になる事を願っておられます.そうする為に,私達は,アボニムが立てられた王様と王妃様と一つとなり,その世界を齎す為に彼らと共に働く必要があります.


どうも,ありがとうございます.



*: コリントⅠ3:16,コリントⅡ6:16~


https://www.youtube.com/watch?v=hbbjxqXNbZQ
33:44-1:04:38



<鷹の目>
本稿のタイトルを考えると,私達の現状とは余りにもかけ離れた内容であり,その重さ故に憂鬱になります.康オモニムが,アボニムに尋ねられた時,アボニムは,「微塵も疑ってはならない」と言われ,「皆さんは,努力し続けなければなりません.そこに至るまで,精誠と献身と祈祷を献げなければなりません」と言われました.私達は堕落の子孫であり,本然の世界の事はよく分かりません.堕落圏にないアボニムでさえ,世界の義人聖人達の10倍も100倍も,祈祷し,精誠と献身を献げなければならなかったと言われました.私達は,一体どれぐらい努力すれば良いのでしょうか.


アボニムは,本性に生きた方ですから,類まれな直観力をお持ちでした.事例や事象の詳細は分からなくても,その正邪だけは,立ちどころに判断出来たように聞いております.本性人は,神様の御心が何時も手に取る様に分かるようです.私達は,そこまで到達出来なくても,私達の子孫が,段々本性人に戻ってくれる事を期待しましょう.


私達は,他の人の堕落性の発露を見た時に,どのように処しますか.その人に注意しますか.それとも,黙って,その人が気付くまで待ちますか.アボニムは,その人の欠点を包んで,責任を持ちなさいと言われました.また,その人を大切にして,愛して,真心を尽くしなさいと言われました.そして,御言の理想を実践して,示して上げなさいとも言われました(御旨の道,指導者,人格).私達が,このように出来れば,既に本性人の領域に達していると思います.教会に入ってから,数十年を経て来ましたが,このように出来る人は稀有と思います.


殆どの人は,外的な観点から内的な世界を見ようとしますが,アボニムは,内的な観点から外的な世界を見て来られたと言われました.アボニムは,まず,神様の事情を考えたという事です.「まず神の国と神の義とを求めなさい.」と聖書にも記されています.私達は,残念ながら,このような観点に立てません.このような観点に立てば,私達の日々の歩みも,自然に律する事ができるようになると思います.私達は,日々,どれぐらい公的な時間・空間を持っているでしょうか.その事を一度点検して見る事をお勧めします.神の国と神の義を求めるという事は,公的な時間・空間を如何に持つかという事でもあります.自分が勝手に公的と思っていることではありません.客観的に見て,公的に歩んでいる事が重要です.


アボニムの御言,「私はそれが出来ました.皆さんも出来ます.しかし,何故,皆さんは私に聞かなかったのですか.何故,私の言うようにしないのですか.皆さんがしなければならない事は,私が話した事に従う事です.」が,とても重く感じられます.私達が,アボニムの言われた通りにしていたら,2013.1.13に正真正銘の入籍祝福と基元節が執り行われ,今日見るような教会の歪な分裂もなかったかも知れません.



原文
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