サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康オモニムの御言葉 「神様は新しい聖なる種子によって再度摂理を始められます」


2017.1.12


亨進ニム
今日の私達のテーマは「主にあって,私達が救われる喜び」です.苦難にあって,彼らが去る時も.


康オモニムは,もちろんキリストのために,アボニムの権威のために立ち上がりました.異端に反抗し,あらゆるあざけりと軽蔑と憎しみを受けても,アボニムの最初の弟子となられ,そうできなく,全てを失うことに気付きました.でも,彼女は神様を称え続け,それが彼女の力であり,私達の力であり,あなたの力です.苦難と絶望の時も,私達には,神様を賛美することを選ぶ自由意思があります.


康オモニムの所に行きましょう.
訓読 イザヤ6章1-13節
1ウジヤ王が死んだ年のことである.私は,高く天にある御座に主が座しておられるのを見た.衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた.
2上の方にはセラフィム*が居て,それぞれ六つの翼を持ち,二つをもって顔を覆い,二つをもって足を覆い,二つを持って飛び交っていた.
3彼らは互いに呼び交わし,唱えた.「聖なる,聖なる,聖なる万軍の主.主の栄光は,地を全て覆う.」
4この呼び交わす声によって,神殿の入口の敷居は揺れ動き,神殿は煙に満たされた.
5私は言った.「災いだ.私は滅ぼされる.私は汚れた唇の者.汚れた唇の民の中に住む者.しかも,私の目は王なる万軍の主を仰ぎ見た.」
6するとセラフィムの一人が,私の所に飛んで来た.その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった.
7彼は私の口に火を触れさせて言った.「見よ,これがあなたの唇に触れたので,あなたの咎は取り去られ,罪は赦された.」
8その時,私は主の御声を聞いた.「誰を遣わすべきか.誰が我々に代わって行くだろうか.」私は言った.「私がここにおります.私を遣わして下さい.」
9主は言われた.「行け,この民に言うが良い.よく聞け,しかし理解するな.よく見よ,しかし悟るな,と.
10この民の心をかたくなにし.耳を鈍く,目を暗くせよ.目で見ることなく,耳で聞くことなく,その心で理解することなく,悔い改めて癒されることのないために.」
11私は言った.「主よ何時まででしょうか.」主は答えられた.「町々が崩れ去って,住む者もなく,家々には人影もなく,大地が荒廃して崩れ去る時まで.」
12主は人を遠くへ移される.国の中央にすら見捨てられた所が多くなる.
13なお,そこに十分の一が残るが,それも焼き尽くされる.切り倒されたテレビンの木,樫の木のように.しかし,それでも切り株が残る.その切り株とは聖なる種子である.


訳者注 
*セラフィム:神様に仕える六つの翼を持つ天使.謙遜と崇拝を現わし,神様の支配を賛美する.神様への熱烈な献身の理想を表す.


本日は,旧約聖書イザヤ書6章からお話をします.昔,私はこの章から多くの説教をしましたが,今,これらの御言葉がよく分かっていなかったことに気付いています.そして,今生じていることを見る時,この章の預言が現実になっていることが分かります.


預言者イザヤには,ヴィジョンがありました.彼は,いと高きところに神様を見ました.そして,神殿は,彼の礼服の列で満たされていました.彼はセラフィムを見ました.各々は六つの翼を有し,二つは顔を覆い,二つは足を覆い,二つの翼で飛んでいました.イザヤがこれを見た時,意味が分からなかったのですが,大災害がイスラエルに起こると感じました.


初め,セラフィムは神様を賛美しました.「聖なる聖なる聖なる,万軍の主.」しかし,後には大災害が起こりました.そして,イザヤは疑い始めました.「どんな災害がイスラエルに起こるのかと.」そして,彼は神様に言いました.「もし,このような災害が起こるのならば,人々に語るために,偉大な預言者を遣わすべきです.誰を遣わしますか.」


神様は言われました.「ああ,誰を遣わそうか.」イザヤは言いました.「いや,ここに私が居ます.私を遣わして下さい.」そして,彼は行き,人々を呼び集め,神様が見たかった世界を語り,イスラエルに起こることを語りました.


彼は,イスラエルの人々を叱責して語りました.「目で見ることなく,耳で聞くことなく,その心で理解することなく.」彼は,イスラエルに大災害が起こることを語りました.人々の十分の一も生き残らないし,残った者達も焼き尽くされる.と


若い時の事を覚えています.ある女性が黙示録の内容を講義しているのを聞きました.彼女は自分で抱くヴィジョンも語りました.大災害が起こるというのです.人々は,他の人達に会えないで,10里(2.5マイル,4km)も歩くのです.


イザヤは,イスラエルの人々に,神様を中心に生きないで,神様の御心に従わなければ,大災害に直面し,殆ど全員が殺されると語りました.


本章から,神様は過去にも,未来にも一方的に何かをされるのではないことが分かります.神様はいつも,何が起こるかを預言者達に示し,人々は警告を受け,最善の選択をできるようにされます.


今日も,人々が気づいても気づいていなくても,神様は預言されます.彼は,私達に警告し,教えて下さっています.この場合,神様は,十分の一が残りますが,全員が生き残るのではなく,多くが亡くなると言われました.私達が,神様の御心に沿って生きなければ,彼の願うように生きなければ,神様は,無慈悲に私達を取り除くでしょう.


本日,私達はとても重要なことに気付く必要があります.旧約時代,神様はモーセを通して摂理を進められました.新約時代は,イエス様です.そして,成約時代は,再臨主を通して摂理されます.今日,この時代は,天一国の二代王様,亨進ニムを通してなされます.人々が,このことを知らなければ,そして,このことに従って生きなければ,大災害に遭遇するでしょう.


人々がこのことを後で気づくと,遅すぎます.彼らが悔い改めても,救って欲しいと願っても,もう遅過ぎるのです.私達は,このことを理解し,従って生きなければなりません.私達は今日,神様の摂理を理解しなければなりません.私達が,後で気づいても,遅過ぎです.私達に良い結果をもたらしません.そして,私達は凄まじくとても恐ろしい災害に遭遇するでしょう.

皆さんにもう一度言います.ここに示された真実には,凄まじい意味があります.皆さんは,心を開き,耳を傾けて,神様が皆さんに語ろうとされることを聞きましょう.


イザヤ書において,私達は十分の一しか残らないと見ました.そして,全てが生き残らないで,残りの人達の中で,人々が神様の御心に従って生きなければ,神様は彼らを同様に除くのです.


13節において,生き残った人達もテレビンの木,樫の木のように切り倒され,実体が彼らの中にあり,「切り株は残ります.」他の訳によれば,彼らが葉を刈る時,聖なる種子がその実体となります.切り株から,新しい命が成長し,神様はそれから摂理をされます.


神様はこの新しい聖なる種子から摂理を再び為されます.そして,直ちにこの山岳地帯で,とても田舎のようで,何もないようですが,ここで,神様は聖なる種子を持たれ,彼が摂理を再び為さるのはここからです.それは,全人類に救いをもたらします.

ありがとうございます.



訳:ティム・エルダー



<鷹の目>
イザヤ書においては,様々な事象を通して,神様の摂理遂行への強い御心が示され,それにイザヤが堂々と応えているのです.天界の話も多く,難解な箇所も多いです.ここに引用された聖句は,クリスチャンには,ポピュラーなようですが,最終的には,成約時代のことを暗示し,預言されていたとも考えられます.


善は必ず勝つのです.神様の摂理は,多くの人達に受け継がれ,どんなに延長されても必ず,最後には為されるはずです.46:10の有名な聖句「私の計画は必ずなり,私は望むことを全て実行する...」(新共同訳)の通りです.信仰と希望と愛をもって歩みましょう.

×

非ログインユーザーとして返信する