サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「苦難と解放」


2017.6.16


聖書拝読 マタイ26:36-37(KJV)
それから,イエスは弟子達と一緒にゲッセマネという所に来て,「私が向こうへ行って祈っている間,ここに座っていなさい」と言われた.ペテロおよびゼベダイの子二人を伴われたが,その時,悲しみもだえ始められた.


皆さん,おはようございます.


今日は,苦難と解放について語りたいと思います.


アボニムは六回投獄されました.1948.2.22ピョンヤンにおいて,初めて投獄されました.1950.10.14に出獄されました.2年8か月投獄されていました.囚人番号は596でした.私達が覚えやすい番号です.596は,韓国語の発音では「不当な処置」*1にとても似ています.


投獄された当時,アボニムは29歳でした.主に,玉世賢(オクセヒョン)夫人と金元弼(キムウォンピル)氏が面会をされました.キリスト教の牧師達が,アボニムを逮捕するために,北朝鮮政府に80項の申し立てをした結果,彼は1948.2.22に逮捕されました.


北朝鮮においては,当時共産党政権が始まったばかりでした.宗教を弾圧することが彼らの政策でしたから,アボニムはピョンヤンの警察に逮捕されました.1948.4.7アボニムは法廷に立たされました.


法廷は,この裁判の結果に関心のあるクリスチャンや他の人達で一杯でした.そして,非常に緊張した雰囲気でした.でも,アボニムはとても堂々と立たれ,ご自身が正しいことを人々に見せることを確信されていました.法廷が進み,懲役5年の評決が出されました.最後に,アボニムは何かお話したいことがあるかどうかを問われました.

アボニムは,「不正な」という言葉を正式な判決文書から削除するように要望されました.ここにおいて,アボニムは,ご自身の教えの全てが誤りではなく,真実であることを間接的に主張されました.そして,判事はアボニムの要望を聞くと応えました.その時の罪状は,「社会風紀の紊乱」でした.


私は,玉夫人から,法廷に立たれたアボニムのお姿は,2000年前にポンティオ・ピラトの法廷に立たれたイエス様のお姿にとても似ていたとお聞きしました.当時,イエス様は「あなたは,神の子ですか」と聞かれました.そして,あざけられ衣服を脱がされ,茨の冠を載せられました.彼らはイエス様を「ユダヤの王」呼び,あざけり,彼の頭を殴りました.


アボニムの法廷も同様に,彼らは小声で笑ったり,アボニムをあざけり,彼を罵る声が法廷に満ちていました.誰かが尋ねました「あなたは本当にイエス様ですか」また,誰かは「あなたは,文イエス様ですか」と.それは,あなたの言ったことではないですか.これらのことはあざけるために言われるものです.彼らは「あなたは,異端の主人であり,異端の主人がどのようにイエス様になれますか」と加えました.彼らは,このようにアボニムを嘲笑し続けました.


アボニムは3か月半ピョンヤンの刑務所に残され,5月20日に,東海岸の興南刑務所に移送されました.その監獄は徳里(トンイ)特別労務者収容所と呼ばれていました.この監獄は,咸興(ハンフン)の町から南に約12km(7-8マイル)の所です.日帝時代の肥料工場でした.日本人は大きい肥料の山を残して行きました.肥料を掘り出して,出荷できるように,かますに入れるのが囚人達の仕事でした.


この労働はとてもきつくて,誰もできませんでした.囚人達の住環境と食べ物は極端に非衛生で,皆地獄を味わいました.多くの人達が収容されていましたが,殆どの人は刑期を全うできず亡くなり,棺に入れられて出されました.


とても粗末なご飯とトウモロコシや豆が与えられました.それが全てです.量も極めて少なかったのです.口の大きい人なら,与えられた食べ物を三口で食べてしまう程でした.彼らが働き続けるのに必要最小限の量を与えました.長期間生きていくには,不足でした.


勿論,お体の大きいアボニムにとっても,食べ物の量は不十分でしたが,アボニムは最初の3週間は,配給された食べ物の半分を回りの人達に与えました.アボニムは,残った半分がご自分に割り当てられたものだと考え直しました.


アボニムは,興南に収監された最初の週からそのようにされて,3週間が過ぎると,配給の全てを頂きました.そして,ご自身に語りました「良し,今日から配給を2倍食べる.私は二人分の配給を食べる.」ご自身にそう語ることによって,アボニムは周囲の人よりもっとエネルギーを出すことができました.


玉夫人と金元弼氏は,隔月でアボニムを訪ね,色々な穀物の粉を袋一杯に詰めて届け,また季節が変わる度に,季節に合う衣類を一式届けました.でも,アボニムは,はったい粉を受け取ると,同じ部屋の人達に分け与えました.


その様に分け与えることは,この様な環境では,誰もできませんでした.日毎に,人々は亡くなりました.多くの場合,人は食べ物を口に入れて,噛んでいる途中で亡くなりました.そして,他の囚人達は,亡くなった人を奪うために争い,彼の口を開けるのです.彼の口の中にどんなご飯が残っていても,わずか一粒のご飯であっても,それを取り出して,自分の口に入れました.それは,地獄の状況でした.


私は,このことをアボニムから直接聞きました.食事の時間になり,人々が配給を貰います.彼らは,食べても食べていることに気付きません.各々が食べていても,他の人達を見て,彼らが何を口に入れているかを見ています.自分のものを食べながらも,他の人達の口にあるものがうらやましいのです.


彼らの手は自動的に食べるように動き,食べ物を咀嚼しますが,目と頭はいつも他の人の方を向いています.それが,食事時に起こることでした.時々,誰かが,自分のご飯を食べた後で気付いて,お茶碗が空になっているのを見て,彼は立ち上がって,狂人のように「オイ,誰が自分の食べ物を盗ったのか? 」と言いました.


アボニムは,状況を思い出しながら,神様を愛する人達は,同じように食べ物も愛し,彼らは歴史の中心人物になったはずです.と言われました.そして,彼は,人々が,神様は生きて,働いておられることを知るように維持されました.


その様な状況において,アボニムにとっては,配給を全て食べることより,半分を食べることが,心理的にももっと多くのエネルギーを出すことができたのです.


夜,囚人達には,コップ1杯の水が配給されました.アボニムは喉の渇きを潤すことはできましたが,彼は手ぬぐいを入れて湿らせて置き,朝4時に起きて,その手ぬぐいを使って,お体を拭いました.


夜間,アボニムはトイレの隣で休まれました.その理由は,アボニムが部屋の中央で休まれると,夜中に他の人がアボニムを踏み越えるためです.神様代身であるお体を誰かが踏み越え,尊敬しないことが,何よりもお嫌いでした.


アボニムは,ご自身の状況は一度も考えられませんでした.アボニムはいつも,上の神様の状況を考え,彼の周りと彼の下の全ての人達の事を考えました.収監された時,アボニムはご自身のためには,一度もお祈りをされませんでした.天の父は,既に彼の状況をご存知であり,それで,ご自身のために「私を救って下さい.助けて下さい」ということは不可能だった.と言われました.神様はもう,神様の状況故に,苦しんでおられるのに,そのように彼が祈ると,神様の御心に爪を立てることになるので,そのようなことはしたくなかったのです.


私達は,学び,アボニムに似るようになる必要があります.彼は,神様のみ旨の成就以外の事は考えられませんでした.ピョンヤンにおける使命を果たす時も,アボニムは,説教やお祈りの時に,多くの涙を流されました.しかし,監獄においては,彼は神様に涙を見せられませんでした.天地に,彼の弱さを見せたくなかったのです.


収監された初日から,アボニムはピョンヤンに残された信徒達のために祈られました.一日に三度,彼らの名前を挙げて,彼らが,そのような難しい状況においても,信仰を維持できるように祈られました.そのようにできない時は,アボニムは,時々,彼の教会のメンバーの名前を暗唱されました.


私は,アボニムが収監中にされた仕事を語りたいです.彼の囚人番号596は,「不当な処置」にとても似た発音だと言いました.囚人達は,朝8時に監獄を出て,肥料工場に行き,午後5時まで,8時間働きます.この8時間には,彼らが工場に向かう30分と,昼食の30分は含まれていません.


問題は,仕事の量であり,その間に完成させるように要求されている仕事の量でした.彼らは,自分達をまるで,朝8時に動き出し,夕方17時に停まる機械のように扱いました.1,500人の囚人がいました.彼らは工場に出入りする際は,ペアで手をつなぐ様に言われていました.


10人のチームに分けられました.誰かが肥料を山から掘り出し,誰かがそれをかますに入れます.そして,誰かが重さを計量し,誰かがかますを縛ります.一人一日に130かます,10人のチームでは,1,300かますを作るように要求されていました.


アボニムは後に説明されました.これが,一日に三食十分食べさせられた普通の労働状態で,社会で普通に働いているのなら,多分,チームで一日に700かますができるでしょう.しかし,彼らは,殆ど二倍の量を要求しました.弱い人もいました.彼らは,かますの回りを行ったり来たりして,時々足が下に崩れました.そして,彼らは歩道に座り込みました.


これは,本当にかわいそうな状況でした.健康な人でさえも,6か月後には肺病になりました.でも,アボニムは最も難しい仕事を率先してされました.厳寒の冬にも,アボニムは一所懸命働かれ,水の中から出てきたように汗びっしょりでした.


それは,窒素(硫安)の肥料でした.そして,彼らは保護具を与えられませんでしたから,素手で処理するしかなかったのです.窒素は彼らの体を蝕み,時々,骨が露出する程でした.その時アボニムは言われました「サタンから来た人の肉が全て脱落しても,骨は残ることを,見なさい!」


アンモニアは怖いものです.そして,労働状況は,想像もできない程の最悪です.その中にあっても,アボニムは神様のみ旨と食口のことを考えられました.彼は,いつも,最も難しく,最も危険な仕事を探して,自ら率先してそれをされました.他の人達は,ため息をつき,不平を言いましたが,アボニムは「いや,私は修練会にいる.中央修練会です」「私は,このような状況における人の心理を学ぶ必要があり,それで,私は彼らに教えることができる」これが,アボニムが耐えられた方法です.


もう長く話しました.ここで止めます.別の機会に,アボニムの獄中の生活を続けて語ります.


本当にありがとうございました.


王様からのコメント
何と美しい証でしょうか.勿論,私達は別の日にそれを語りました.全き神様のキリスト,完全な人,そして,彼は人類が経験した全ての苦痛を体験されました.王妃様は別の日に,キリストが完全な人でなければ,唯の神様なら,彼は,私達の抱く全ての感情を体験することはできなかったでしょう.と言われました.でも,私達がどんなシナリオに居ても,どんなに抑圧され,蔑まれ,捨てられ,軽視され,見捨てられたと感じても,キリストは私達が貫徹していることをはっきりご理解しておられます.

絶対的に美しい証です.今朝は,とてもとても貴重な康先生の証でした.

ビデオ*2 


訳者注

*1 596は韓国語では「オ・グ・リュク」と読みます.これは韓国語の「オグル,억울하다」「濡れ衣を着せられて無念だ」という意味とよく似ています.…真の御父母様の生涯路程②,p158


*2 英訳 https://christkingdomgospel.org/wp-content/uploads/2018/08/2017-07-16-Suffering-Liberation-Hyun-Shil-Kang.pdf



<鷹の目>
アボニムの興南刑務所の受難は,余りにも有名なお話であり,証ですから,今更,言及することもありませんが,一言,アボニムは,再臨のメシアとして,イエス様の越えられなかった死の峠を生きて越えられて,人類救済の道を開拓されました.そのことだけは,私達の肝に銘じることです.


91年の暮れに,アボニムが金日成主席と会談された時,先方は興南を指定しました.その際,アボニムも興南の監獄を思い出されて,とても複雑なお気持ちになられたと聞いております.それでも,アボニムは,一点の恨みもないように心を徹底的に整理されてから,金主席とお会いになられたと証されました.この内容を見てもサタンとの霊的な凄まじい闘いがあったことが伺われます.「私達は,学び,アボニムに似るようになる必要があります」と証された康オモニムの精誠を見習いましょう.

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