サンクチュアリ週刊ニュース

主に,米国サンクチュアリ週刊ニュースの和訳です.

康賢實オモニム「神様の御旨の道,み言,人格,心情」



2017.1.19


今日は,マタイ4:4を拝読して始めたいと思います.


イエスはお答えになった.「『人はパンだけで生きるものではない.神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある.」


今日は,また,「御旨の道」神様のみ言,人格,心情の箇所を拝読して始めます.


「神様のみ言は,創造の価値として現れねばならない.ゆえに,神様のみ言を宣布した後,聞かなければ審判を受けるようになる.


み言は万民のもの……すべてを与えなさい.


み言が財産である.


み言がみ言として残っていてはならない.そのみ言が実践されることによって,初めて発展があり,世界の完全伝道が可能となる.


公的なみ言は,語る人にも責任があるし,聞く人にも責任がある.


生命の問題は,生命によってのみ解決できる.み言に生命があるので伝える時には,生命の火花が飛ぶ感じで叫びなさい.


み言を語る時,歴史的な因縁を想像しながら,宇宙性を帯びて語りなさい.


汗を流しても天宙復帰の心情で復活の汗を流さなければならない.


み言を伝える時,真心をもって受けたので,真心をもって与えなさい.私の心情に天の心情を加えて与えなければならない.


先生が語るみ言はたやすく語るようであるが,これを語るために解体してみたり,合わせてみたり,実験してみたりして,間違いないという結論が出たので,自信をもって叫ぶのである.それゆえ統一教会のみ言は『そうであるだろう』ではなく『そうである』と自信をもって語れるのである.


休む時,原理を抱いて休み,起きる時,原理を中心として起きなさい.今皆さんは原理を知ったとしても,原理の活用法は研究しなかった.原理を活用することを知らねば原理的生活ができようか.


み言を心と頭だけで知るのではなく,体で分かって行いなさい.我々は,み言で武装された実体,即ち,み言の原子爆弾とならねばならない.それゆえ爆発すべき目的地に行って不発弾となってはならない.


原理をどれ程知ったかが問題でなく,どのぐらい実践したかが問題である.


神様のみ旨を知って神様に代わって責任を持ち,神様の歴史的な恨みを晴らさなければならない.


イエス様のみ言は,永遠に渇くことのない生命の泉だと言ったではなかったか.皆さんも単にみ言を供給してもらっただけ語る噴水のようにならず,み言の実体となって尽きることのない生命の泉を掘りなさい.


原理を中心として神様を中心として侍って進む時は,先生も責任を持って下さる.


いついかなる時,生命を懸けてみ言を伝えたことがあるか.


世界復帰のため,我々のみ言が学問的思想的な基準を中心として,具体化されねばならない.そうするためには,思想を中心として,世界の思想を屈服し統一された一つの方向に導かなければならないし,教会を中心とした多くの難題を解決しなければならない.


み言は聞いて鑑定しなさい.初めと終わりが同じであるか.誰の利益のためにやって,誰によってなしたかによって鑑定しなさい.


言葉は縦的に広がらない.私を中心として横的に遠くまで広がって行くので,勝手に語ってはいけない.


言葉で全体に支障をきたらせば,それは困る.


み言を頭だけで知らずに,心で知り,体で感じなさい.


先生が語られるみ言は全部遺言にして,残さなければならない.


み言と一体となりなさい.心がみ言と一体となって行動的な面へと進めば,必ず繁殖が始まる.


最高の善なる人格,最高の幸福の実体,最高の愛の実体を作り得るみ言.


言葉を必要以上に話すことによって,神の誇りを妨げる者となってはいけない.


神が自慢する前に先に語りたい心はもったとしても,神の自慢を妨げることはやめなさい.


豊かな資料を持ちなさい.先生は歴史と共に闘って勝利した実談を語るのである.それゆえ,いつも実感が湧き出るのではないか.


終わりの日には言葉一つで天と地が行ったり来たりする時である.アルパで始まった悪の歴史がオメガで終わる時であり,エデンの園で人間達に聞かせた神側とサタン側の二種類の言葉が聞こえてくる時であるので,しっかりと分別して従わねばならない.


原理は神様に会える道を教えて下さったが,神様と共に生活することについては教えてくれなかった.ゆえに,先生が必要なのである.」


私が今日拝読したみ言は,重要な中で最も重要なものです.アボニムが語られた時,全てのみ言に対して,大きい闘いのさ中におられるようでした.アボニムは,正に神様が何年も何年も語りたかったみ言を,そして,御心情の状態によって決められて,語ることが出来る事実をいつも語られました.


神様とサタンの間に大きな闘いがあり,アボニムは,語られる前にこの大きな闘いを通過されました.でも,多くの場合,私達はこれらのみ言をアボニムと同じように理解することはできません.アボニムは言われました「皆さんは,先生がどれぐらい闘ったかを理解できない.これらのみ言に,どれほど多くの闘いがあったかを知らない.先生は,闘いに勝利した結果として,これらのみ言をただ,語っています」


ゆえに,今日その感覚で,これらのみ言を聞く時,語る時,実践する時,私達はアボニムの立場でする必要があります.アボニムが,神様のみ言を語られる時は,一歩も妥協しませんでした.


何かが本当ではない時,アボニムは傷つかれ「これは違う.これは正しくない.」と言われました.彼は気が遠くなる程,とても傷ついたのです.


それで,私が皆さんに今朝語りたいことは,私達はこれらのみ言を知って,受け止め,アボニムと同じ心情と立場において実践しなければならないと言うことです.


アボニムが簡単に来られて,語られたように私達は感じるかも知れませんが,そうではありません.アボニムは,1時間語るためには,1時間準備して,祈祷されました.私達はみ言が分かりませんでした.み言を実践しませんでした.百分の一も,万分の一も.私達は,本当に真剣な心情をもち,これらのみ言を聞き,他の人達に伝えなければなりません.


全人類が,真理の正しさを知り,私達は真理を人類に伝えなければなりません.


本当にありがとうございます.




<鷹の目>
昔,教会の出版物が少ない頃,実践する食口達は,いつも「御旨の道」を拝読していたのを思い出します.御旨の道は,1972年に初版が発行され,79年に第二集が発刊され,その後,二つが合本になりました.


康オモニムが,ポイントを語って下さっています.多くのみ言を聞き,知りましたが,私達が実践したのは,万分の一にも満たなかったのでないかと反省します.67年近くアボニムに侍って来られた康オモニムは生涯,「アボニムについて行くのは,簡単ではないです」と言われ,いつもアボニムのみ言を学ばれ,受肉され,実践されていました.私達も,オモニムの模範的な信仰姿勢を真似て歩みたいものです.


小生が,アボニムを実感するのは,次のみ言です.
「み言で理想を与え,人格で実践を示してあげ,心情で愛を与えなさい.」

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